第三十四話 赤色の主人公



 虫型の化け物が動く。

 大きな図体とは全く思えないほどの速さでもって――――尻尾の針で朝比奈陽葵を狙おうとする。



「ひっ!?」



 上級生が後ろへと下がり、校舎の方へと逃げていく。

 おそらく校庭へ戻っていったのだろうと陽葵は判断しつつ、そのまま息を吐いた。



「針はいわば、槍のようなもの」



 足を動かさず、その場に留まったまま剣を構える。

 陽葵の心臓を狙おうとしていた鋭い針はまるで車が突進してくるかのような勢いだった。

 普通の人間であったならば、その攻撃を阻むこともできずに死んでいただろう。



「……その程度か」



 陽葵が溜息を吐いた。

 ――――刹那、化け物の針が上空へと切り飛ばされる。


 人間であればかろうじて見えたもの。

 たった一振り、薙ぎ払った程度の動きだ。

 それだけで化け物の尻尾は斬り飛ばされて、攻撃手段を失う。


 化け物の目玉はあった。

 視覚はあった。聴覚もあった。


 しかし彼女の動きを対処するほどの人外染みたものではないらしい。

 陽葵は考える。二度ほど遭遇した時に退治したらしい化け物共を。



「……どうやら……お前は燕から聞いていた奴等より弱いようだな」



 陽葵には記憶はない。

 しかしこの世界に来た後、数分もの短い時間の中で――――燕から聞いていた話と化け物の特徴と対処法、そして現状の全てでもって理解する。


 燕から聞いた話としてだが、入学式に起きた一度目の防衛戦は己の未熟さゆえに己自身が死にかけた。しかし対処は成功し、誰も死んではいないらしい。

 二度目は怪物たちの動きが段違いに早く、そして燕が言った『なんかすごいな!? ゲームでいうモンスターハウスみたいだね!?』という叫び声がぴったり合うほどの数十もの敵に一人で対処しきったらしい。


 クラスメイトが陽葵を慕う。敬う。恐怖を抱く。

 それは当然のことだと彼女は考える。


 記憶がなくとも己であればそうすると頷く。


 燕以外の友達は作らない。作ることはできない。

 しかしそれでいい。己の役割は人々を守るためにある。


 強さを身につけた理由も、燕が初めて話してくれたあの時から決めたのだから。


 己が女でなければ、力より素早さを選ぶことはなかっただろう。

 女という性別でなければと思うことはある。

 ――――でも今は、どうでもいい問題だった。



「殺した者の報いを受けろ。死をもって償え」



 上級生を殺した跡があった。


 死亡者は二人か……と。

 それならば、二度殺さなくてはと。


 彼女はただそれだけを考える。

 目には目を。歯には歯を。


 化け物には死をもって報わせる。



「そら、どうした? ――――先祖の血は、私に力を与えてくれるぞ」



 数百年前、夕日丘の大地に足を止めた化け物殺しの朝比奈家を舐めるなと。

 そう彼女は――――笑った。嗤った。


 嗤いながらも一歩足を踏み出した。



 虫の化け物の特化している力は驚異的な回復力なのか。

 いつの間にか再生していた尻尾の針が前へ出てきた陽葵へ向けられる。


 しかし化け物の攻撃よりも先に――――陽葵が剣を化け物の顔面へと投げ放った。



「ギィッ――――!」



 目玉に突き刺さった剣に混乱し、攻撃をすることが出来ずにただ傷ついた目玉を再生させようとしているらしい。

 じたばたと顔面に突き刺さる剣を抜こうとして暴れている。



 しかし陽葵が――――その剣に向かって一歩二歩と、前へ出た。

 数歩走って、そして化け物の足を利用し飛び上がる。



 虫の化け物が理解し反撃しようとした時にはもう遅かった。

 突き刺さった剣の柄を握りしめ、奥へと押し込み振り下ろす。



「ギィァァァアァァ!!!!」



 断末魔のような声が化け物から響き渡る。

 しかし陽葵はそれを気にしない。入学当時から聞いていた悲鳴だと――――それを気にする必要はない。


 化け物が倒れ、どろどろの粘土のような状態になって消えていく。

 燕から聞いていた情報とは少し異なるが、これが化け物が死に消えていくという状況かと理解した。


 陽葵は歩いて、ピクピクといまだに動くしっぽの針を切り取る。

 針はまだ固い。粘土のようにはなってはいないと確認する。

 

 武器は時間差で身体と同じように粘土になるのか、それとも違うのか確認して武器にしようと思っていた。



《ふふふふふ、その調子ですよー。そうやってたくさんの敵を倒してくださいねー。そうすれば、とーっても面白いことが起きるでしょうから!》



 妖精の笑い声に向けて、その針を投げ飛ばした。


 しかし妖精の声が遠ざかるだけで、針に当たったような気配は何もなかった。




・・・





 ――――これは、陽葵がまだ夕日丘高等学校に入学していなかった頃のお話。




「陽葵、お前は女として生まれてしまったのだから後継者としては不都合だ。朝比奈家に価値のある男と結婚するように」


「……はい。分かりました、お父様」



 朝比奈陽葵はとある一族の令嬢である。

 ――――それは、大昔から隠されていた血筋に関係するものだった。


 世間が知るわけではない。まあ大企業のトップとして知られている朝比奈家という意味では隠してるわけではないが、それでも変に目立つ行為は避けて過ごしていた。


 大昔からあるしきたりだった。

 朝比奈家が先祖代々守らねばならないルールとして定めていたもの。


 朝比奈家に女はいらない。娘はいらない。

 生まれてしまった娘は朝比奈家を正当に継ぐことができない。

 それゆえに――――後継者となる者の性別が女になる者を入れてはいけない。


 しかし、陽葵が生まれた。

 陽葵以外の後継者はいない。婚約者もまだ決まっていない。


 母は陽葵を産んだ後病気となり子供を産めなくなった。父は母以外を愛せなかった。

 だからもう仕方がなかった。


 娘として生まれてしまったことを悔やむ母の泣き顔。父は陽葵のことを正当な後継者としてまともに顔を見ようとはせず、ただ悲しそうな顔をしているだけだった。

 両親にとって都合の良い人形でいなければ陽葵を見ようとはしない。だから人形でいようかと思っていた時期があった。


 しかし彼女は、燕と出会ってから変わった。



「陽葵。お前は剣道なんぞやらなくてもいい。お前は戦う術を身につけなくてもいいんだ」



 父はそう言い、母は何も言わず陽葵を見ることを止めた。



「お父様。せめて学校で過ごしている間は……自由にさせてくださいませ」



 昔からやらなくてはいけない契約だった。卒業したら一族によって決められた男と結婚をしなくてはならない約束だった。

 やりたいことさえ出来ないまま、決められたレールの上を走らなければならない。


 燕に会う前の陽葵だったら許容していたけれど、今は違っていた。



「せめて……朝比奈家が代々受け継いできた剣の道を……いいえ、剣道だけでも……」



 懇願した陽葵を――――彼女の父は初めて娘の目をしっかりと見た。

 その色は赤く、しかし憐れむような色を浮かべていた。


 娘をきちんと愛したかったという父の哀れみだった。

 初めて言ってくれた娘の我儘を叶えたい父の想いがあった。



「……お前が行く高校は私が決める。それなら構わない」


「っ――――はい。ありがとうございます」



 どうせ、昔から夕日丘高等学校だろうと陽葵は考えて頷く。

 昔からそうだった。夕日丘高等学校が設立した時から、朝比奈家の子供たちはその学校へ入学する。

 一応才覚ある若者を多く出してきた学校としては知られるが、そこまで名門というわけではない。

 しかしそこに行かなくてはならない。



「罪は報わなくてはならない。お前は女として生まれてきた、その罪を背負っていきなさい」


「……はい」




 ――――ある意味これは、陽葵にとっての自我の目覚めでもあった。


 それを呼び起こしたのは、未雀燕であった。







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