第2■話 次はあなたの番
《さあどうするのですかー? ここから出たいです? 代償は必要ですけれどやってみます?》
差し出されたとても小さな手に、私は縋りつく。
だってそれ以外に方法はない。
ここから出られなかったら、二度とお母さんたちにも会えない。
鏡夜にもいくつか文句を言って、喧嘩をして――――それで、鏡夜にもちょっと怖い目に遭ってもらう。それだけでいい。
それで私は許せるから。
「……おねがい。わたしはかえりたいの」
《はい。貴方のご意思、受け取りました――――ええ、ええ。もうやり直しは聞きませんよ》
にこりと楽しそうに笑った妖精が、私から離れて他の場所へと向かう。
鏡夜の部屋から出て行こうとする妖精に私は戸惑う。なんせお願いした矢先に急に方向転換するのは何か意味があるのではと思ったからだ。
鏡がある方に背を向けて、妖精を見失わぬように後を追いかけようとする。
「――――っ?」
背中が何かに引っ張られたような感覚がしたけれど、すぐにそれが離れていく。
なんだったんだろう。何が起きたんだろう。
振り返って鏡の方を見ると――――先ほどは見えたはずの鏡夜の姿が映っていなかった。
私の姿しか映らず、それ以外は全て真っ白だ。
「なんで?」
鏡夜が見えなくなったということに対しまた恐怖を抱いた私は思わず鏡をどんどんと叩く。
しかしそれでもびくともしない。何も起きない。
《そこにいても……もう何も起きませんよ。ほらこっちですよー》
「でも、きょうやがみえないよ!」
《ああ……大丈夫です、また見えるようになりますから。ほら行きますよ》
妖精が私に歩くよう指示する。
それに渋々従って、名残惜しくも鏡夜の部屋から出ていくことに決めた。
帰ってこれると妖精が言ったのだから、それを信じてついていこうと思っていた。
鏡夜が言っていた白い兎についてもそれとなく探しながらも妖精の飛んでいく方向へ歩き続ける。
たまに休憩をとりながら歩いていたせいか、日は暮れて夜になっていた。
「……ここどこ?」
《学校ですよー。夕日丘高等学校という場所です》
幼い身体だからか、呆然と見上げてしまうぐらいには大きな校舎があり、開けっ放しな門を通って中へ入る。
しかしそこには何もない。人もいないし、鏡もない。
妖精が何故ここに連れてきたのかと疑問に思うぐらいには、全く何もなかった。
それと同時に、何か寒気を感じた。
薄暗い月夜に照らされた校庭の真ん中で、私たちは向かい合う。
妖精は真顔だった。何もしゃべらずぼーっと真上を見ていた。
それがとても不気味だった。
まるでここに居てはいけないような、そんな感覚がして――――。
《そういえば、あなたは何を探していたんですか?》
「えっ?」
《何かを探していたんでしょう? おそらくあの男に頼まれて……、ああいいえ、きちんと答えなくてもいいです。聞かなくてもわかりますから》
にっこりと笑った妖精が、その小さな口を開く。
《私たちはある神のせいでここから出ることが出来なくなっています。それも数百年もの間……夕日丘が出来た時からずっと、私たちはこの世界のどこかに隠れている神を探しているんですよ》
「……かみさま?」
もしかしてその神様が、鏡夜の言っていた神様の事だろうかと幼い思考ながらに首を傾ける。
白い兎の姿をした神様だろうか。
でもなんで、妖精たちを閉じ込めているのだろうかと……。
《あなたって、本当に馬鹿ですよねー》
「へっ?」
突然の罵倒に、思考が停止した。
《私は鏡から出ることはできないって先ほど言いましたよねぇ》
「う、うん」
《ですから、鏡に近づくだけでも……私を感知してなのか、扉を閉ざしてしまうんですよー》
「ふぇ?」
その言葉は初耳だった。
ならばと思い返す。
幼い私は――――鏡夜が不安そうな顔でチラチラと鏡を見ていた顔を見ていた。
鏡夜が部屋から出て行かずに、ずっと鏡と時計を見ていた。そして何かノートに書き込んでいた。
もしも鏡夜が裏切っていたのなら。
本当に私を殺したかったのなら……鏡を片方だけでなく、全てを片付けるんじゃないかと思えた。
「……かがみは?」
《ああ、合わせ鏡にしてなかった理由ですか? ……あの神を探して連れてこいとでも言ったのなら、自由に出入りぐらいできますよ。それに……知っています? 貴方が分からなかっただけで、ちゃーんと合わせ鏡にはなっていたんですよー》
「えっ?」
《あの男はちゃんと合わせ鏡にしてあなたを待っていました。でも私がいるから、片方の鏡が見れなかった。片付けられていると認識してしまった。道を閉ざしてしまった。まあ、それだけなんでしょうねー》
無邪気に笑う妖精の残酷な言葉に頭が痛くなる。
幼い心は疑心暗鬼になっていた。
《人の頭って、意外と認識能力が低いんですよねー。ちゃんと道が出来ていたのにないだなんて思うんですから。……うふふ》
怖かった。
信じていたはずの妖精が、大丈夫だと思っていたはずの小さな存在が――――とても怖いものに見えた。
「……あなたのそばにいると、とじちゃうの?」
《はい》
にこりと笑った顔に、理解する。
「あなたがいたから、でれなかったの?」
《まあ正直に言えばそうなりますねー。うふふ。あははははっ!》
腹を抱えて笑い出した妖精に恐怖を感じた。
じりじりと後ろへ足を退いて、逃げ出そうとしていた。
でもそれを妖精はすぐさま阻止する。私の眼前へ飛んできて、言うのだ。
《ああもう本当に笑えてしまいます。あなたってば、あの男の事より私の方を信じてくれたんですよねー? だからこうして私と約束をしてしまったんでしょう?》
パキリ。パキパキ。
キリキリキリ――――。
「ひっ……」
聞こえてきた音は、何かがひび割れていくようなもの。
妖精の背後から現れたのはとても大きな瞳だった。とても大きな、一つの目玉だった。
大きな手があった。足があった。
そうして――――校舎一面に広がっているように見えた、とても巨大な口が開かれた。
身体が震えて足がすくむ。
涙がポロポロと零れ落ちた。泣いている私を助けてくれる鏡夜に縋りたかった。
「や、だ……たすけて……」
《私たちはここから出たいんですよー。なのでこのチャンスを逃すわけにはいきません――――あの福の神をぶっ殺すためにも、協力してもらいますからね?》
手が伸ばされて、私の身体を簡単に捕まえてしまう。
抵抗もできずに震えるしかない私は、その開かれた口に――――。
「たすけて、きょうや……」
――――思考が反転する。
・・・
考えられる方法は試す。分かっていることはすべてやる。
俺が行っても奴に捕まる可能性の方が高いから――――探し物ならば、視る力の強い秋音にと思っていた。
説明はしたがちゃんと理解したのか分からない。
幼稚園児に初めてのお使いならぬ初めての白兎探しをしてもらおうとするのが行けなかったのか。
しかしなるべく早くやるべきことをしなくてはならないから、俺だけじゃどうにもならないからこうして手伝ってもらっているだけ。
あの妖精だって、七歳以下の子供に手を出すような真似はしないだろう。
七歳までは神の子。
幼い子供に手を出せば――――妖精は痛い目に遭う。
意図的に襲うようなことをするということは、何かしらの価値を見出したからでしかない。リスクが高いと分かっているうちは、妖精が初めから秋音を狙うような真似はしないだろう。
これから先の未来を知っていれば秋音に手を出す可能性は高かったが、いくらなんでもこの世界が俺がやっていたゲーム世界の延長線上じゃないだろうと判断しての行動だった。
ゲーム世界と現実世界は違う。
ゲームデータがこの世界であるわけじゃない。
この世界で俺がやってきたすべてが妖精にも記憶されているわけがない。
そう判断しただけ。
この世界はゲームじゃないと思っているから。
それをちゃんとわかっているから、秋音に全てを託した。
妖精もまた俺のことを全く知らない奴なんだろうと思っていた。
妖精じゃない存在、白い兎に接触さえしてくれたならと……。
それさえしてくれたなら、やるべき方法はたくさんあるというのに。
(くそっ、遅いな……)
時計を見て、鏡を見る。
ノートに書き記しているのはこれから先でやるべきスケジュール。
妖精に捕まっているわけじゃないだろう。
流石にそうだとしたら――――五色町へ急がなくてはならなくなる。秋音が俺のせいで捕まったとなれば、俺がどうにかして助けなくてはならないから。
(泣き虫のあいつを一人で行かせなきゃ良かったか?)
しかし、転生者である俺があちらへ行くことはできない。
あの妖精にではない、その奥にいる敵に気づかれたら――――即座に喰われると分かっているからだ。
そう思っていた時だった。
不意に鏡から何かの影が浮かぶ。警戒してそれを見ると――――それが、秋音の後姿だと理解できた。
「っ――――!!」
俺はすぐさま鏡に手を突っ込んだ。
ぶつかるとは思っていなかった。大丈夫だと思った。
そうすると、鏡から先へ通り抜けて彼女の背中を掴むことが出来た。
そのまま引っ張って部屋へと連れ戻す。
「ふぇっ……あれ?」
目をぱちぱちと瞬いた秋音がぼんやりと部屋の中を見た。
そして合わせ鏡になっているそれらを見た。
「心配したぞ秋音……それで、ずいぶん遅かったが大丈夫か? 何かあったのか?」
秋音が俺の方を見た。
刹那、その瞳がなんだか色を失っているように見えて――――。
「だいじょうぶだよ! なにもいなかったから、かえってきちゃった!」
誰にも会わずに帰ったのだと、そういった秋音の目はいつも通りだった。
だから気のせいかと考えて俺は秋音の頭を撫でる。
「とりあえず……向こう側へ行けると分かっただけでも収穫だろう」
鏡は繋がる。
あの奥に敵がいる。――――そして、味方もちゃんといる。
「……本当はもっと調べたいが。まあまだ時間はある。あの奥は敵もいるし危険もたくさんあるからやめよう。別の手を使うぞ。
小学校より前に……次は朝比奈陽葵たちと接触しなきゃな」
「ん? ……うん!」
よくわかっていなさそうな秋音に思わず笑った。
それだけだった。
この世界はホラーゲームの世界だった。
認識が甘すぎたのだと理解できたのは――――もっと後だった。
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