第三十一話 神の契約



 結局のところ、神無月鏡夜が俺の家にやってきたのが最大の問題点だったと言えるっすね。


 巻き込まれたのはしょうがないと受け入れるとしても、吐き気がするほどの死の直感に身体が少しだけ震えてしまったのは内緒である。

 俺は頑張ればこの状況を終わらせることが出来る。でもそれには代価が付く。


 神とは人々と契約をして、そうして何かの代償を払って力を使うことが出来るっすから。


 現状俺らにできることは妖精がやらかしたこの状況を耐え忍ぶことのみ。

 あの神無月鏡夜に執着しているであろう女神はここまで来たのか……。それをきちんと視れるのは桃子ちゃんぐらいっすけど、俺に敵意を持てば直感が動いて何がいるのかは大体察するから分かる。



「……ねえ、あっ君」


「嫌っすよ」


「むぅ。ちょっとぐらい良いじゃないの」


「いやアカネちゃんのちょっとって魂頂くって意味に相当するっすからね!? 俺まだ眷属とかになるつもりないっすから!!」



 こうして無邪気に笑うアカネちゃんは、俺にちょっとした頼みごとをさせて早く終わらせたいんだろう。

 終わらせるとは文字通り、俺の命を――――。



「アカネちゃんが怒って神無月鏡夜を殺しちゃったら、堕神VS女神のありえないバトルが勃発するっすよ!? ほんとあんまり変なことするのやめてほしいっすね!」


「あら、殺しなんてしないわよー」


「……アカネちゃん?」


「あっ君に嘘はつかないわ。ただ貴方のことは赤ん坊であった頃からずーっと面倒を見ているもの、何かあったらすぐ終わらせるから覚悟していてね」


「あれー。もしかして死の直感ってアカネちゃんのせいだったりする!?」


「どうかしらー?」


「いやちょっとアカネちゃん!?」


「しょうがないじゃない。貴方の先祖が決めた約束なんですもの」




 そう、星空家の祖先は茜色の神と契約を果たした。

 アカネちゃんはかつて夕日丘に住んでいた神らしいが、いろいろとあって隣町となっている五色町へとやってきたらしい。

 いわば人と契約を果たしたから、神社に縛り付けているようなもの。アカネちゃんほどの力を持つ神があの神無月に執着する黒髪の女神のように人を勝手に好いて勝手に眷属にし、手元に引き寄せてしまうかもしれない。

 神とは命の尊さもあやふやにしてしまう危険な存在っすから……



「……アカネちゃんって、本当に勝手っすよね」


「神様ってそういうものよ?」


「分かってるっす。だから言うっすよ。俺の何を奪ったのかは分からないっすけど……」



 ただあやふやな記憶が存在していることは分かっているっす。


 でもそれは俺のことを気に入っているアカネちゃんが心配してやってくれた配慮。切り取った何かはどういうものなのかは知らない。いつか戻ってくるかもしれない。


 だから――――小さい頃に何かがあったのは確信しているっす。

 俺が何かをやらかしたのも、直感で分かっているっす。



「俺はまだ死ねない。アカネちゃんの手元へはいけない。今ここで死んだら――――絶対に後悔するって分かっているっすから、まだ生き足掻いてみせるっすよ」


「……もう、あっ君ってば本当にお馬鹿よね」


「俺のような人間を好いてくれる神様ほどじゃないっすよ」


「ふふふ」



 笑っては誤魔化して、でも人懐っこいように見せかけて。それと同じく、油断していれば勝手に契約と見なして勝手にこちらの命を奪う危険な神様にゾッとするっすね……。



「あっ君は私に恐怖なんて抱かなくてもいいのよ」


「あっ、ちょっとまた何か切り取ったっすね!?」



 先ほど感じていた寒気が急に掻き消える。

 それに憤慨しているとアカネちゃんはただ笑って俺から顔を背けた。


 そしてふとアカネちゃんがクリスタルのある場所へ歩き出す。

 真っ直ぐそちらへ近づいて、片手でそのクリスタルを触っている。



「……それって俺らの生命力っすよね」


「命というよりは、契約上に名前が書き連ねられている状態かしら」


「……死ねば勝手に契約成立ってことっすか? だから現実世界で死にやすくなると? あーあークーリングオフできないんすかね!?」


「あらあらうふふ。あっ君は私がいるから大丈夫よ。それに……あなたのクラスメイトはもうこのクリスタルに影響を受けることはないわ」



 それは、アカネちゃんと約束をした時のもの。

 その代価に奪われるのは、十年分の先の寿命。


 黄組にてクリスタルが発生する場合は、一人分の命しかない。

 だから負けていても構わないっす。どうせ俺はこの先で何があってもアカネちゃんがいるから。俺の直感はそれに従えと言っているっすから。



「俺はやりたいようにやっただけっす。選択肢があるならそれを活用しなきゃ損っしょ」


「……そうやって勝手に私の掌から零れ落ちようとしないでね?」




 にっこりと笑ったアカネちゃんに、否定の意思なんて思いつかずただ頷くだけだった。




「ぜぇ……はぁ……やっと着いた!!」




 刹那―――――何かの直感がざわめいた。





・・・




 燕と一緒に持ってきた重たいリュックを地面に降ろして、すぐさま血濡れになっている鏡夜のもとへ駆け寄った。

 血濡れは二人。海里夏と神無月鏡夜のみ。桜坂春臣は……どこかにいるのだろうか?


 海里夏が神無月鏡夜から離れようとする。

 それを阻止しようと鏡夜が彼女の腕を掴む。


 何があったんだろう。

 また夏が何かをやったのだろうか……。今ここにはいない春臣は……まさか、俺と同じように殺したってことはないよな?


 鏡夜の目に浮かんでいるのは疑念。

 怒りや失望といったものはない。


 ひとまず鏡夜に近づき、彼の頬に手を当てて血を拭う。

 まるで血がたっぷり入った水風船が目の前で爆発して全身に浴びたかのようだ。



「鏡夜、お前何で血まみれなんだよ。それに怪我は!?」


「怪我なら平気だ。それと離れてくれ」



 至近距離で見つめ合っていたのがまずかったのか。

 目の前にいる俺の肩を押して距離を取る。


 そうして、夏へと顔を向けてきた。



「逃げても逃げても、後ろからは追手はなかった。泥の化け物も見なくなったな。お前は何に対して逃げていたんだ?」


「……別にどうでもいいでしょ。そろそろ離してくれない?」


「いいや、お前が説明するまでは離さない」



 ……何の話をしているんだろうか。

 というか、血濡れのままで大丈夫なのか?



(なんか急に仲良くなってるみたいだし……モヤモヤするな……)



 鏡夜が夏に問い詰めている様子は、ある意味彼が心を開いたという意味にも相当する。

 入学式からの記憶を失った鏡夜が俺にある程度の興味を失っている今となっては、少しだけ羨ましいとも思えるけれど……。



(あれ、何で俺羨ましいって思ったんだ?)



 もしかしてあの夢の記憶に引きずられて何かを思い出そうとしてる?

 ……ああそうだ、鏡夜に話さなきゃいけない内容があった。


 いやその前に確認しなければならない。




「燕、お前あのノートとアルバムの写真って借りることできるか……」



 ふと顔を上げると、視界の端に嫌なものが見えた。



「っ―――――!!」



 とっさに鏡夜たちを見たが、誰も気づいていない。

 ……いや、夏はそもそもアレがいる方向を見ていないから分からない。



 揺らめく影は蛇のような不気味なもの。

 黒色の髪に、赤色の目。



「黒色の白兎……っ?」




 なんで俺を見て、こちらへまっすぐ向かっているんだ――――。






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