第二十七話 呼び起こされた一部分






 桜坂を掴んだあの泥の化け物二体は追いかけてはこなかった。

 しかし複数いたのだろう。


 ただ闇雲に走り続けている途中で、また遭遇してしまい逃げる羽目になったのだ。

 走り続けるにも体力が削られていく。しかしそうしなければ死ぬ可能性がある。


 海里に手を掴まれ引っ張られていく。

 そして、何かの音が聞こえればすぐに隠れて――――。



「はぁ……はぁ……くっ、このままじゃ埒が明かない。海里、化け物の特徴か何か知らないのか。というかあいつらを腐らせてどうにかすることはできないのか? お前確か何か力が使えるはずじゃ……」



 走り続けたことによって荒くなる呼吸を整えつつ、海里の方を見た。

 彼女は頬に流れた汗を片手で拭いつつも考えるような目で遠くを見ていた。

 海里が見ている方角は、夕日丘高等学校があった。


 そうして彼女は、躊躇う様にだが口を開いた。



「……あの力を使うには決まりごとがあるの。だからいつでも使えるわけじゃないし、アンタと契約するわけにもいかない」



 それ以上は力について言うつもりはないんだろう。

 仕方がないと、俺は再度問いかけた。



「……じゃあ何か知っていることはないか?」



 彼女はまた、言いにくそうに口を開く。



「……この世界の化け物について一つだけ知ってる」


「っ!? なら――――」


「でも、言うだけなら簡単だ。やるとなると……」


「やるってなんだ。何をやるつもりだ?」




 海里の両肩を掴んで揺さぶる。

 泥が流れ落ちるあの嫌な音が近くから聞こえている。おそらくこのままではまた見つかって逃げなくてはならなくなる可能性が高い。


 逃げ続けていても、いつかは捕まるかもしれない。

 もしもあの化け物達に知恵があるのなら――――学校へ戻ろうとする俺たちを知っていてどこかで見張っていたとしたら。



「このままじゃ俺たちは全員死ぬかもしれないんだぞ! 一人で抱えず全てを話せ!!」


「……アンタって本当に、そういうところ大っ嫌いだよ」



 海里は舌打ちをして、渋々と口を開いた。



「アレらの怪物は物理的に倒せるわけじゃない。いわば霊体のようなもの。倒すにはそれなりの力と想いが必要になるんだよ。

 ……でも倒すだけじゃない。朝比奈陽葵はあれらを吸収しているようなものだったかな」


「待て。朝比奈については後で聞く。今は倒すことが優先だ。力とはなんだ。想いとはなんだッ!?」




 俺の言葉に、何故か彼女はハッと我に返った。


 ……いや、そうじゃない。

 何かを思いついたような顔をしたんだ。



「ああ、ああそうか。私はできないけれど、アンタならもしかしたら……ッ!!」


「あっ――――っ!!?」



 不意に、化け物が道路の奥の曲がり角からにゅっと出てきた。

 俺たちを見つけたと分かったのだろう。泥を派手に散らしながらも物凄い勢いでやってくる。



 一体だけだったが、それでも脅威なのは間違いなかった。




「こっち!」



 海里がまた俺の手を引っ張り、どこかへと連れて行こうとする。

 逃げるためではない。前を見て、それで十字路になると少しだけ迷ってすぐ右折して走る。


 背後にいる化け物のスピードは遅く、おそらく逃げ切れるだろうが……。



(……ん?)



 なんだか見覚えのある道を走っているという感覚に陥る。

 後ろを見ればより遠くの方から化け物の姿が見える。このまま逃げれば大丈夫だというのに、海里は足を止めた。


 ある建物の前で、立ち止まったのだ。



「この家の……チッ、後で謝るよ秋音!」


「なっ」



 よく見ればそこは紅葉秋音の家だった。

 鍵はないからか、庭にあった大きめの石を拾い上げ、そこから通れるであろう大きな窓に向かって投げ飛ばしてきた。


 ――――ガッシャーン! という派手に割れた音が響く。


 そうして俺の手を引っ張りつつも、土足のまま家に上がり込んだ海里が向かった先は紅葉秋音の自室だった。

 というか、何故こいつが紅葉の自室の場所を知っているんだ……?



「おい何してるんだ。家に隠れていても見つかったら逃げにくいだろうに――――」


「そうじゃないよ。秋音の家だから、秋音だったら持っているって思っていたものを……ああ、あった!」




 手に取って見せたのは、弓矢だった。

 あまり使いこんでいないのか、汚れは少ない。矢は三本だけあった。



「……これで奴の額を打ち抜いて」


「はっ?」


「アンタならできるはずだよ。あいつをアンタの想いで射貫くんだ」


「いや言っている意味が分からないんだが……それに俺は、弓なんてやったことがない……」



 戸惑う俺の両頬を勢いよく掴む。

 そうして至近距離で、彼女は焦った顔で叫んだのだ。



「分かってるよ! ただの鏡夜だったら私だってこんなことは言わない! でもアンタなら、出来るはずだよ! ……生きたいでしょ。ちゃんと生き抜いて、笑いたいでしょ?」



 言っている意味が分からなかった。

 でもこのままではいけないことも分かっているつもりだった。



「…………お前は、俺ならできるというんだな」


「あの化け物達に関しては、ってだけだし、賭けでもあるけどね……。でも出来るはずだよ。ずっとずっと、練習し続けてきた『アンタ』なら――――」


「いや練習も何も初めてやるって言ったんだが?」


「とにかくやってもらわなきゃ困る―――――ッ!?」



 扉の奥から物音が聞こえてきた。

 べちゃべちゃとした泥の音。異臭と共に、こちらへ近づく音がする。



「おい待て待てここは二階だぞっ!? クソっ、どうやって逃げるか……」


「チッ、仕方ない。ここでやるわけにはいかないから……!



 必死に思考を回してどうやって逃げるのか考えていた俺の身体を、俺よりも小さな体をした女の子である海里が抱き上げた。


 俗に言うお姫様抱っこというものを、俺に向かってやってきて窓を開けたのだ。



「ハッ?」


「掴まってて!」



「ッ――――――!!!!!??」




 急な浮遊感。そして地面へと落下する感覚。

 吐きそうなほどの恐怖と、地面へぶつかった重たい衝撃が身体中に伝わった。


 そうして聞こえてきたのが、バキッという鈍くも何かが割れたような嫌な音が彼女の足から聞こえてきた。

 急に地面へと投げ出され、座り込んだ俺が見えたのは――――海里の両足が折れている光景だった。



「あぐっ……」


「おい海里!? お前足が……!?」


「私ならここで死ぬことはない。あいつなら私がどうにかする……だからアンタは……」


「そんなわけにはいくか!!」



 海里を背負いあげ、先へと進む。

 しかし彼女は俺の背を叩いて怒鳴ってきたのだ。




「私は呪われているんだから、そう簡単に死ぬわけじゃない! だから私を置いてさっさとやるべきことをやりな!」


「嫌だ!」


「聞き入れろ。神無月鏡夜!!」


「ふざけるな。誰がやるか!! 俺はもう二度と、誰かを失うだなんて辛い思いをしたくはない!!」



 その言葉に、一瞬だけ海里の動きが止まる。

 紅葉の家から泥の化け物が一体出てきた。しかしそいつは海里が足を折った地面を見つめて一瞬だけ動きを止め―――――そして俺たちを見つけて、勢いよくやってくる。



(っ……なんで急に、足が速くなったんだ!?)



 何故か、先ほどよりも早いスピードでこちらへ向かってやってくる。

 もしかして何かの怪我をすることによって化け物が追いかける速度が速まるのか?

 血の匂いか? それとも苦しむ海里の呼吸を聞いているからか!!?



「……魂には起源が存在するんだ」


「はぁ……はぁ……何言ってんだ急に」


「食品と似たようなものだよ。細胞にも情報があるように――――魂にもあらゆる情報、そしてある起源が込められている」



 海里が急に、俺の腕をひねり背を強く押してきた。

 背負っていた腕から抜け出して、地面へと座り込んだんだ。



「アンタはぐちゃぐちゃになっているから、絶対に弓が使えるようになっているはずだよ。その奥で、試してみなよ」



「……なにを、言って」


「私が足止めをする、呑み込まれている間に、早く射貫くんだね」


「そんな犠牲が必要な作戦なんてするわけが――――」


「甘いこと言ってると共倒れになるでしょうが!!! 私は呪われてるから死ぬわけじゃないんだよ!!! 良いから早くやりな!!!!」


「ッ……くそ。畜生!!!」




 わかってはいる。でも感情が追い付かないだけ。

 切り捨てればいいのに。普通だったら切り捨ててしまうはずなのに。


 なぜこんなにも見捨てたくないと思うのか。

 人を信頼しているわけじゃないのに。

 桜坂の時も、海里の時も――――なぜこんなに、守られてばかりなのか。



(ああ、やってやるよ……!!)




 海里よりもさらに奥へ進んで、壁まで来てから振り返る。

 奥から来ていた化け物が、海里に近づくのが見える。


 弓を構える方法は、軽くだが知っている。

 本で読んだだけだけれど、その通りに実践する。


 海里が掴まれ、泥の化け物が口らしき穴を大きく開かせた。

 呑み込まれていく前にと、構えて放ったというのに……その矢は泥の身体すら掠ることなく飛んでいく。



「ぐっ……早く、はやく……」



 あと二本の矢しかない。しかし何とか、やるしかない。

 あいつは俺に向かってやれると言った。駄目なら逃げるしか……。



(いや、逃げても意味はない。ここで仕留めなければ、また追いかけてくる……!)



 海里が何の悲鳴もなく泥に飲まれていってしまった。

 獲物を捕らえた化け物がこちらを見た気がした。


 だから次は、こちらの番だろう。



「額だ。頭を狙え……」



 焦りからか震える腕に叱咤するように、独り言を呟く。

 動き出した泥の化け物の額を狙って、もう一本を放つ。


 しかし今度は目標からズレてしまい、肩を抉りながらも泥の中へと消えていった。



(あと、一本……)



 もうこれで最後。

 これが終わったら、俺はまた逃げ続けなければ――――。



「クソっ……クソっ……!!」



 震える身体が言うことを聞かない。

 このままでは死んでしまう。あっけなく、海里のように。



(嫌だ。いやだ……死にたくない……!!!)



 涙が浮かんで、視界が歪む。

 それでもなお弓矢を構えた。



「集中しろ。やらなきゃ死ぬ……!」


『そうだね。死んじゃうね』


「ッ―――――!!?」



 誰もいないはずなのに、紅葉の声が聞こえてきたような気がした。

 左右を見ても誰もいない。紅葉の姿はない。


 だからこれは幻聴のはずなのに……。



『何してるの鏡夜。化け物に食われちゃうよ。ほら早く構えて』



「っ……」



 普通だったら不気味に感じていたはずなのに……。

 何故だろうか。心の中に響くのは安堵感だった。



『死の恐怖。生き抜きたい想いを矢に込めて。大丈夫、手伝うから……』



 誰もいないはずなのに、手が自然と何かに重なったような気がした。



『息を整えて、そんなに力を込めないで。前を見て――――少しだけ上を狙うの』



 言われた通りに身体が動く。

 素直にそれに従う自分に疑問すら思い浮かばない。



 化け物が近づいてくる。

 先ほどよりも少しだけ鈍い動きをして――――でも、確実にこちらを狙って。



『大丈夫よ鏡夜。貴方ならできるわ』



 それだけを信じて。



『ほら、息を止めて』



 一本の矢を、放った。

 想いを貫いた一つの攻撃。生き残りたいがための、強い感情のままに。



『うん。……そういうところ、大好きだよ』



 聞こえてきた声が、急になくなった。

 しかし放たれた矢は止まらない。



「ギィ――――アアアアアアァアアァァア!!!!!!!」




 化け物の額に矢が貫かれ―――それに対し悲鳴にも似た声を上げてきた。

 瞬間、聞こえてきたのは硝子を砕くような音だった。



「えっ」



 泥から零れ落ちたのは、薄紫色の鏡だった。

 それと同じく、一瞬だけ人間の男の子らしき姿が見えた。


 彼は泣いていた。でも何か安心したかのように笑って消えていったのだ。



(まさか……いやでも……)



 嫌な予感しかしない考えをまとめるために回る思考が、誰かの激しい咳き込みによってハッと我に返る。



「ゲホッ……はぁ……」


「……紅葉?」



 思わず先ほど聞こえてきた幻聴の彼女の名を呼びかける。

 しかし聞こえてきた先を見たら、そこにいたのは身体中を泥だらけにした――――両足がちゃんと治っている海里夏の姿だった。



「ああやっぱり。アンタならできるって信じていたよ」




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