第■2話 次はあなたの番







 あの後のことを、秋音はあまり覚えてはいなかった。


 ただ恐怖に怯え、何もすることが出来なかった。

 鏡夜とあのフユノ神とかいう黒髪の女性と話をしているのを見ているだけしかできない。


 我に返って、そうしてただ床へとしゃがみ込んだ。思考が正常に戻ったのは、自室に帰って来てからだった。

 どうやって帰ったのかすら覚えていない。あの後何を話したのかすら、思い出せないと秋音は身体を震わせる。


 思い浮かぶのは、傷だらけになった鏡夜の顔。



「助けてあげるって言ったのに……何もできなかった……」



 例えば――――たった一人の子供が得体の知れない大人相手に敵うわけはなく、肉の味を覚えた熊相手に素手ではどうしようもなく。


 でも秋音は逃げる選択をしなかった。

 それだけでも誇ってもいい程度には、あまりの異質な状況に秋音はただ困惑していた。



「鏡夜のお母さんたちに話す? 病院に連れていく? ……ううん、それでも鏡夜はきっとあの神社へ行くはずだ」



 そういう目だったと、秋音は思い出す。

 ただ何もかも信じ切っているような微笑みを浮かべていることなんて、あまりにも珍しいこと。


 それがあの神様とかいう生きているのか分からない奴を信じていると……。



「戻さなきゃ」



 幼い秋音はただそれだけを思った。

 でもすぐに、それは無理だと悟る。


 見ただけで恐怖を浮かべるアレにどう対応すればいいのかと。

 頭を使う役目は――――本当だったら、鏡夜が一番いいのにと。



「……私が、鏡夜を助ける」



 そのためにやるべきことは何か必死に考えていた。

 あのフユノ神と呼ばれた女性を、鏡夜に近づかせないようにしなきゃならない。


 鏡夜があそこへ近づかせないように、しなきゃいけない。



「フユノ、神。私の夢で見た神様じゃないけれど、でも人ではない者なら……」



 親に頼ることなんてできない。頭がおかしいと思われる。

 それに鏡夜のようになるかもしれない。大切な人を乗っ取られたらと――――秋音は考え続けていた。


 幼い秋音が必死に考えた先にあったのは、ある意味必然の答えだった。

 ――――あのゲームの内容が、もしも本当だったらと……。



「……鏡夜も言っていたもの。実際に見て感じなければ分からないこともあるだろうって……なら私も、そうしてやろう」



 これは友達を取り戻すためのやり方。

 必要なんだ。見たくないんだと、秋音はただ思っていた。




 悪夢を見た。

 何度も何度も、酷いものを見てきた。


 死んだこともあった。鏡夜が死んだ夢も見た。


 秋音が鏡夜を切り捨てた、吐きそうになるようなものがあった。

 誰かが死んで、誰かが泣いて。


 先に進んで――――そうして、一つの活路を見た。

 壊せばいいのだと、気が付いた。



「ねえ鏡夜、今日は一緒に帰ろう?」


「悪い、神社に行くつもりだから」


「……そう。じゃあ、あの手鏡を見せてよ! 私は貰えなかったから!」



 何とかして、せめて繋がりだけでも断ち切ろうと思って言った秋音の言葉を、鏡夜は首を横に振る。



「神様が、それは駄目だって言っていたから無理だ」


「えっ……見るのも駄目なの?」


「ああ。自分のものはしっかり大切に持っていろってさ」


「そ、う……」



 ゆっくりと、しかし確実に鏡夜の精神が壊れていく。

 それだけじゃない。今までは一緒に居たのに、鏡夜は私と遊ばなくなった。


 帰り道は――――絶対に、神社の方を通るようになった。



「弓矢が必要……いいえ、形だけでもいい……」



 投げられればそれでいいと秋音は考える。

 本当だったら弓矢の方がいいかもしれないけれど――――もう時間がないように秋音は感じていたから。



(手鏡を、奪わないと……)



 毎日のように悪夢を見て。何度も何度も見続けて。

 そうしてそれを真剣に受け止めて――――鏡夜を元に戻さなければと考えていた秋音は、やつれた顔をしていた。

 

 自身はそれを気づかず、ただ鏡夜に何度も話しかけて手鏡について頼み込んでいたのだ。


 毎日のように、見せてほしいと言って。

 何度も何度も隙を伺って、ポケットの中身を調べようとして怒られて。


 どこに隠したのか聞いたのに、何も言わなくて――――。



(……さようなら、私の親友。私はあなたの悪になる)



 悪夢は『紅葉秋音のキャラクター』についてどんな人間だったのかを教えてくれたから。

 そうやって幼い秋音は、ただ鏡夜を守るためにと、やってはならない道へ進んだ。


 ああ、狂ったのはどちらだったか。



「ねえ鏡夜。あなた最近調子に乗ってない?」


「……あき、ね?」



 助けるために、鏡夜に牙を向いた。

 いじめっ子たちは使えないから――――鏡夜に悪意を持っているクラスメイトに話しかけて。


 そうして出来上がったのは、数人の生徒に囲まれ教室の床に倒れている鏡夜だった。

 彼が秋音に向けて顔を上げ、酷く動揺した様子を見せていた。



「何でって顔してるね。私があなたを酷い目に遭わせないって本当に思っていたの?」



 懐を探って、ポケットを見て――――そうしてようやく見つけた手鏡を奪い取る。

 


「なっ、返せ秋音! それは――――」


「絶対に嫌よ。貴方まだ私のことを親友だなんて思っているわけ? こーんなに酷い目に遭わせたのに? ばっかじゃないの?」


「ぐっ……」



 頭を叩いて、そうして背を向ける。

 手伝ってくれたクラスメイトを解散させて、向かう先はすべての始まりともいえる場所で……。




「これでやっと、終わらせられる」



 季節はとっくに、冬になっていた。




・・・





 夕焼けが夕日丘町を照らしている時間。


 神社へと来ていた秋音は、恐怖で震える足を叱咤させ――――中へと入りこんだ。



「っ……」



 死んじゃうかもしれない。

 このままここにいたら、鏡夜のようになるかもしれない。


 和風広間の中央奥にある大鏡は、何も映し出してはいない。

 その正面に秋音がいるというのに何も……。



「これさえ壊せば、すぐに終わる……!!」



 何もいない、今がチャンスだと。

 鏡夜に嫌われても仕方がないことをしたとはいえ――――それで、あいつが元に戻るのならと。


 悪夢を見続けた秋音の心はボロボロだった。

 唯一の希望を思って、鏡夜が元に戻るためならと考え続けて。


 夢で見たあの破魔の矢には、一歩及ばないだろうけれど――――。



「鏡夜は弱いの。幼稚園の頃に初めて会ったあの時だってそう。……あの頃のあいつは泣き虫でさみしがり屋で……あんなにひねくれちゃったのだって、自分の心を守るためだった」



 かつての記憶を、思い出すように。

 そうして手鏡を思いっきり投げた。


 吸い込まれるように大鏡へと直撃した。

 そうしてあらかじめ用意していた野球バットを使って勢いよく振りかぶった。


 夢で見たとおりに、壊せば終わるのだとそう信じて――――。



「あいつは私より弱い! 運動神経も普通より下だけど……でもね。誰かを傷つけることなんて考えてないぐらい、優しいんだから。人を傷つけられないなら私が代わりに守ろうって思えたぐらい泣き虫だったから!」



 ――――あいつが手を出すときは、よっぽどのことだと懐かしむ秋音は泣きながら笑った。




「大好きな人だから」



 もう二度と笑いかけてはくれないだろうけれどと、秋音は諦めたように笑って。


 ああでも、と。

 彼女は悔しそうに紡ぐ。



「もしも『俺』の記憶が鏡夜にあったなら……あいつならきっとうまくやれたのに……」



 あいつが狂っていなかったらと。そんなもしもを夢見ていた。

 リトライがあるとするならば、その時は絶対にあいつと一緒に協力していくんだと。

 もしも自分が死んだとして、鏡夜が一人になっても生き残れるように――――知識全部押し付けて危険な場所を回避して生き残ってもらうんだと。



 夕焼けは沈んでいたようで、周囲は暗くなっていた。


 叩き割った大鏡と手鏡の残骸が散らばる。

 破片にでもあたったのか、手の平が少しだけ切れて血が滴り落ち、地面にばらまかれた鏡の破片に当たっていた。



《―――――》



 何かが囁いた声を、秋音は感じ取った。



「っ――――なに?」



 周囲が急激に寒くなったように感じた。

 何かに見られているような、そんな気配を感じた。


 そうして――――何かが飛び出してきた。



「秋音!!」



「なっ!?」



 鏡夜が神社の中へ飛び込むように入ってきたのだ。

 秋音はそれに驚愕する。


 鏡夜の身体は秋音によって傷つけられて、ボロボロだというのに。



「えっ、なっ――――馬鹿ッ! なんでこっちに来たのよ!」



 何故、自分の名を呼んでくれるのかと。

 親友として、友達として――――幼馴染として、とても酷いことをしたというのに。



「それはこっちの台詞だ!!」



 焦った鏡夜の手が伸びる。

 しかしその手が秋音に届く前に周囲が暗く、何も見えなくなる。


 ただ感じるのだ。

 それがいるのだと、分かるのだ。



 それが薄暗く何kgggggggggggggggggggggggggg

















《アハハ! 現世に介入できなくても、ここにはできますよー。ねえ何見てるんですかー?》







 ――――目が、覚めた。








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