第五話 その選択は正しいと言えるか
ふと思ったことがあった。
あの境界線の世界の最後に起きたあの出来事。
あれだけは聞かなければと――――。
「そういえば鏡夜ってば何で春臣を迎えに行かせたの? 死なれたら困るから外に出さないでほしかったんだけど……」
「お前が言ったのはあの女の子を救いに行くということだけだ。その言葉の裏に何が含まれようとあいつを外に出しても平気だと俺が考えたんだよ。
あの桜坂も白の女を助け出したいと願っていたし、救出できる可能性が高いのは彼だと思っていたからな」
「えー」
「野球部で全国大会優勝を果たした経歴を持っていたのは知っていた。体力面でもお前よりははるかに優秀だ。それに二人でならば音を鳴らして攪乱するぐらいは出来るからな」
「まあ、そうだけどさ……」
確かに助かった。
あの時にあいつが居なかったら……白兎はともかく俺は確実に死ぬつもりでいたのだから。
でもぶっちゃけ言えば、あそこで春臣が来るのは死亡フラグなんじゃないかと思っていたんだ。
それにゲームでは春臣は数少ない戦闘面での重要キャラクターに位置する。
運動に優れているので人を庇うことも可能だし、終盤で大活躍する可能性だってある。
だからこそ、死んでほしくはない。鏡夜と同じく必要な存在だと思っているからだ。
しかし、桜坂春臣にもいろいろと動かしにくい欠点が存在している。
鏡夜と白兎にトラウマがあるように、彼にだって――――。
「おい何だその顔は。お前は俺の指示に文句があるのか?」
「ひぇ」
ねえ素で接しているのに何でこんなに禍々しい魔王みたいなオーラを放ってるの?
ゲームだとそこまでじゃなかったよね?
「紅葉?」
「特にありません! ゲームだと春臣が死んじゃうのでつい思っただけですハイ! 馬鹿な頭ですいません!」
――――凍てつく視線に、反射的に口を開いていた。
絶対にこれは逆らってはいけない類のそれだった。
反対とかしているわけじゃないけれど、それでも言い訳は許さないという鏡夜の言葉になんとなく察した。
多分俺に対して、普通の生徒としてではなく道具なら道具らしくしていろとかそういう感じに思われているのだろう。
……うん、良いことだと思っておこう。警戒されるよりマシだしな。
そう思っていた俺をじっと鏡夜は見つめていた。
なんだか観察されているような感覚だ。まるでゲームでの見知らぬ化け物に対して弱点を探るときのような鋭い目に俺は戸惑う。
「あ、の……?」
気まずい空気の中、鏡夜が眉をひそめて口を開いた。
「お前はどうやらゲームと現実の区別がついていないようだな」
「えっ」
「紅葉、お前はこの世界で生きている人間だ。ゲームの知識はありがたいが、その行動に伴った結果はゲームとは違うんだと理解しろ」
「うっ……それは、うん……そうだね……」
「紅葉、お前が知っているこの世界はゲーム世界ではない。リセットも効かない、一度きりの人生なんだぞ」
深い溜息を吐いた鏡夜に対して何も言えなかった。
確かに俺は、ゲーム世界での神無月鏡夜を知っている。
でもそれだけだ。
知識としては知っていても、現実で実際に会って変わることもある。
でも――――。
「俺の知識は、役に立つかな。いつか何かあったら……」
「生き残ることを優先するんだ。知識が役に立たずとも俺がお前を上手に使ってやる」
「あ、うん。そうだね」
まあ、鏡夜がいれば何とかなるかな。
とにかく自分を信じてみよう。
天が忠告してくれた言葉も胸に抱いて。
「そうだ、あの白の女についても話せ」
唐突に鏡夜は問いかけてくる。
それはとても言いにくいものだったが、俺がすぐ言わないことに対し顔をしかめてきた。
「ええっと……」
「何故口を閉ざす。話せと俺が言ったんだぞ。ほら話せ」
「あの子は……そのぉ……スです」
「あ?」
「ラスボスに匹敵する神様ですぅ!」
「…………はぁ?」
分かるよその反応!
俺だって前世でゲームの終盤に大変な目に遭って詰んだ記憶しかねーからな!!
冬野白兎。ルート選択肢によってはラスボスに匹敵するメインヒロイン。
闇堕ちをすれば、境界線の世界にて確実に鏡夜の命を奪いに来るようになる。
それも、あの世から出てきた化け物を喰らってより黒く強くなっていく。鏡夜は最初から見えていたから、現実にだって影響を強めていくから死亡フラグは多く成り立つのだ。
堕ちた神様は執着している鏡夜を手に入れるまで止まることはない。だからハッピーエンドはあり得ない。
でもメインヒロインだからこそ鏡夜に執着する理由もあって……これってネタバレになるかな? ネタバレというか、俺が言ったせいでいろいろと鏡夜の行動が変化しないか心配なんだけどな。
……いやでも、鏡夜だし。
白兎を優先する意味を教えなくちゃいけないし、ネタバレとかいう前にこの世界は俺たちが生きる現実だって説教されたばかりなんだから……良いよな?
「えーっと、鏡夜は幼い頃に古びた神社に行ったことない? 人も寄り付かないような古い場所なんだけど……」
「……フユノ神社か……いや今は違う名前か?」
「ううん。フユノ神社のはずだよ。それに本来なら福の神として奉られる存在なんだけどね。ある時を境に人に裏切られ、誰も来なくなって忘れられた元神様」
人を恨み、堕ちそうになった者。
だから彼女は死ぬことによってこの現実から引き離され、あの世のものに近い存在になる。
あの世についても夕青シリーズではいろいろと設定があるからなぁ……。
「あの子……というか、名前は冬野白兎ちゃんっていうんだけれど、今は神様というよりは妖怪みたいな感じでもあるんだ。でも元神様だからこそあの化け物のようになりやすく、下手をすれば敵になる」
「敵になる、ということは……今は味方だと?」
「うん。鏡夜が小さい頃にその神社に来て、お社を綺麗にしたことで彼女は生き長らえたからね。その恩義があるから君の事を好意的に思っているんだ」
「あれだけで?」
「そうだよ。たったあれだけ。でも白兎にとっては救われた瞬間だった。ゲームで見た設定では、人の信仰を受けたり奉られた神社を綺麗にすることでも立派な神となれるから……」
思い出してはいるのだろう。
気まぐれで掃除をして、お礼をしたあの時のことを。
親友に裏切られ友達と共に遊ぶのも面倒になり、不貞腐れていた頃に見つけた人が全く来ない錆ついた神社で――――たったそれだけの、鏡夜にとっては暇つぶしのような出来事。
「彼女は純白の、鏡夜を幸せにするという願いのために今まで生きた福の神。他の人間には……神様としての地位を蹴落とされたからか、若干の人間不信だけれど」
「……ああ、お前が桜坂を行かせたくない理由が理解できた」
「あはは。まああの場面だと彼が行っても行かなくても死ぬけどね」
だからチュートリアルなのにバッドエンド必須で何度もリトライしなくてはならなくなる。
外にいる時点で鏡夜が呼び戻さないといけない。でも白兎が鏡夜に執着していることを誰も知らないから、他人が救いに来ても信用はしない。
鏡夜の指示に従って動いたと、救いに来たと言ったあの時の俺の言葉は正解だったんだから。
「……ラスボスになるかもしれない女の子か。また次も来るんだよな?」
「え、うん。そうだけど?」
「なら、彼女をまともな神様に戻せば面倒事は増えないということになるな」
「……うん?」
「幸福の瓶の件もある。あれも使えるか試したい。……ああ、次が楽しみだな」
あれ、なんだろう。
なんか斜め方向にぶっ飛んだ言葉が飛び出たような気がしたんだけれど……。
ええー。死ぬかもしれないのになんでそんなワクワクしているわけ?
境界線の世界に行くことが楽しみとか、こいつ頭大丈夫なの?
「紅葉、フユノ神社に行くぞ。信仰を増やして福の神となるか検証する」
「いやなんでそうなるの」
「むしろ何でそこに思い至らないんだ」
馬鹿なのかという目で見られた。解せぬ。
・・・
鏡夜の道案内によってフユノ神社に着いたが、そこはもはやかつて福の神と崇められた神社だとは思えないほど寂しい場所であった。
錆びて廃れた、廃屋に等しい光景。
なんだか懐かしいと思えるのは錯覚だろうか。
それともゲームを前世でし過ぎたせい?
(ある意味、始まりの場所か――――)
ゲームの中で見たフユノ神社は――――怪我をして不貞腐れていた幼い鏡夜が見つけた秘密基地のような場所。遊びに行くと言って両親に心配をかけないようにして、そうしてフユノ神社で一か月間遊び続けていた思い出の地だろう。
俺の記憶が正しければだが。
綺麗に掃除をして、神社だと気が付いてからは参拝もして、そういう日々が白兎に力を与えてくれたんだと俺は思っている。
それはとても感動する場面だった。いろんな意味で辛い過去に誰もが心を痛めた。
実際に泣いた人だってプレイヤーの中にはいたんだから。
だからこそ、ゲームで見たあの思い出の土地に来たのはなんだか聖地巡礼のようで感動する場面なんだが――――。
もしもここがゲーム画面となって表示されていたならば、確実にギャグで流れるような軽やかなBGMと共にドドンッ! という音が流れていたことだろう。
なんせ、バケツと雑巾を手にしてバンダナを頭に着けたジャージ姿の神無月鏡夜が、輝かしい笑みでフユノ神社前にて仁王立ちしていたのだから。
「さて、掃除道具は持ったかな! 紅葉さんは周辺のゴミ拾い、君は――――」
「いや待てや! 俺を呼び出しといてやることが掃除か!! ふざけてんのか神無月に紅葉ぃ!!」
(えええー、いや俺に言われても……)
本当になんでだろうね。いやマジで。
なんで鏡夜さんは桜坂春臣を連れてきたわけ?
理由聞こうとしたら後でって言ってくるし、行くぞとかしか言わないし。
信仰の結果とかだとしても、俺と春臣だけで他は良いのか……?
疑問に思い首を傾ける俺に対し、鏡夜はただ猫をかぶった状態で爽やかに笑いながらも春臣に向かって言った。
「やだなあ桜坂君。野球部は本日休みだと言っていたって聞いたよ。体力が多い君にはいろいろと活躍してもらいたいからね!」
「あぁ意味わかんねえこと言ってんじゃねえ、ぶん殴るぞ。 俺はお前に『あの化け物の件について話がある』って呼び出されただけだろうが! 何でそれが掃除に繋がるんだよ!!」
まあそりゃあ化け物とフユノ神社が関係あるって言われたら微妙だよなー。
知らない人からしたら頭おかしくなったんじゃないかって思うよな。
「チッ、期待してた俺が馬鹿だったぜ――――」
不機嫌なままどこかへ行こうとする春臣。
慌てて俺が腕を掴もうと手を伸ばしたのだけれど、鏡夜は視線でそれを止めてくる。
「桜坂君、君はこのまま死にたいのか」
「あぁ?」
「入学式で見たアレを覚えているかい?」
「……気持ち悪い腕野郎の事か」
「そうだよ。そもそも君を連れ出した理由はあの化け物たちについてだったからね」
興味を惹かせて、躊躇する手を止めないようにする。
そんな有り得ないことを覆すのが鏡夜だった。
ただ彼はわざと彼から顔を逸らして、意味深に言う。
「……桜坂君はあの化け物が現実だと思っているんだよね。あれらが本当にあった出来事で、死んでしまうかもしれないと思ったよね?」
「んだよ、てめえはあの腑抜け共と同じで幻覚でも見たと思ってんのか?」
「いいや、僕もあの化け物たちは本物だと思っている。それに妖精の話からすると……おそらく、次もやってくるだろう」
「次だと?」
「そうだよ。それにもしかしたら次もまた腕の長い化け物とは限らないかもしれない。別の――――もっとよく分からない怪物が出てきて、弱点を探る暇もないまま殺されるかもしれない」
「…………」
戸惑い、不安、その先にあるのは――――ただ単純な死にたくないという本能だろう。
いくらあの桜坂春臣といえども、恐怖はあったはずだ。
戦闘特化で運動に優れていようとも中身はただの男の子。
つい先月まではただの中学三年生だった彼が急に戦いに出されても動けるわけがないのだから。
それを知っているかは分からないが、鏡夜はただ言葉を紡ぐ。
「これは必要なことなんだ。僕はあの後すぐいろいろと調べてね……フユノ神社にいる神様は必ず僕たちを守ってくれるだろう。その願いを聞き入れてもらうために掃除と参拝をと思ったんだよ」
「んなオカルトなこと信じられるわけが――――」
「あの化け物も現実的ではなかった。ありえないと思った事態を、僕たちは全員経験したんじゃないか。そうだ桜坂くん。君はそれを誰かに話そうとしたかい?」
「い、いやしてねえけど……」
「ならわかるはずだよ。あれを経験するまで誰もあの妖精と化け物についての噂がなかった理由がね」
嘘はついていない。
推測と断定を織り交ぜて、春臣が信じられるようにうまく誘導している。
俺の情報も活かしているせいか、脅しっぽくなっている部分もあるような気がするけれど……。
「明日になればまた分かるだろう。でもそうなったら遅いよね? 手遅れにはなりたくないでしょ?」
にこりと笑ってえげつないことを言う。
これで猫かぶっているとか怖いよな。素だともっと酷いんだぜ。
でも春臣は理解したようだ。
ただ口元をひくりと引き攣らせ、鏡夜を睨む。
彼らの身長差はあるから――――春臣が鏡夜を見下ろす形で口を開いた。
「……てめえ、昨日も思ったが良い性格してんな」
「あはは。ありがとう」
「ハッ、上等だ。明日何もなかったら覚えていろよ神無月!」
うーんこれは喧嘩フラグか何かか?
ゲーム設定だと春臣と鏡夜って犬猿の仲っぽいからなぁ……。
「紅葉さん、手が止まってるよ」
「はーい」
こちらも猫をかぶって、やらなければならないことをやる。
もしかしたら白兎がいるかもしれない。そう思うと綺麗にしなくてはと余計に力が入る。
「ああそうだ、あと紅葉さんには明日の件について頼みたいことがあるんだけれど」
「なに?」
「ちょっとあるものを準備してほしい。後で教えるよ」
「う、うん……?」
「ああそれと……何か感じる?」
言われた言葉が良く分からず首を傾ける。
まさか何かいるのか? フユノ神様でもいるというのか?
(なんかそう思うとぞっとするような寒気が……)
寒いだけで気のせいだと思いたいが――――鏡夜はただそれに頷いて、すぐさま掃除を再開してきたのだった。
・・・
清々しい朝だ。
黄色組と赤組はちょっとだけ昨日の化け物について考えているところがあるんだろうか。ものすごく重々しい空気が流れ、教室内は静寂に包まれていた。
対して青組は――――なんか、楽観視している人がほぼ全員な状態になっていた。
というか化け物が来てもへっちゃらって感じに笑っていた。
「ねえねえ紅葉さん。フユノ神社って知ってる?」
「うぇっ。う、うん……知っているけれど……」
「凄いわ流石紅葉さん! あそこがものすごーく隠れた穴場スポットだなんて私知らなかったんだからね!」
「へー」
「ねえねえ、フユノ神社に行ったら昨日のあの化け物がまた襲い掛かってきても生き残れるって! 今日絶対に行こうよ!」
「私も行くー! 秋音はどうするの?」
「ちょっと用事があっていけないなー」
「そっか。残念……」
なんだろうこれ。
昨日春臣に話したばかりなのにクラスメイト全員が知っているとか、なんでこうなった?
頭を抱えたい気持ちになっていると、後ろから猫かぶりな鏡夜が近づく。
「紅葉さん、おはよう」
「おはよう神無月くん。ちょっと部活動について聞きたいことがあるんだけれどいいかな? 授業まで時間があるし散歩しながらでもいいよね?」
「ああもちろんいいよ」
どこぞの飲料水のCMにでも抜擢されそうな爽やかな笑みで俺に近づき教室の外へと誘導する。
廊下で――――特に生徒たちの目があるうちは何も言わずに、いつもの裏庭へ。
誰もいないと分かった瞬間、鏡夜は真顔で俺を見た。
その豹変に若干引き気味になりつつも、恐る恐る声をかける。
「あの、鏡夜はいつの間に教祖になったの?」
「誰が教祖だ。桜坂を通してフユノ神社を噂として流しただけだよ」
「それでああなるの? 絶対春臣の力だけじゃないよね……?」
訝し気な目で見たら、鏡夜は鼻で笑ってきた。
その自信満々そうな顔に半目になる。
あーつまり鏡夜自身も何かしら故意的に噂が流れるようにしたってことですね。
こいつ本当に行動力が早い。
さすが主人公。いろんな意味で怖いぐらいだ。
「……それで、うまくやったか?」
うまくやったかというのはつまり、鏡夜が昨日俺を『道具』として指示してきたあれだろう。
春臣がいたから遠回しに頼み事として言ったあのぶっ飛んだ計画。
遠い目をしつつも鏡夜の質問に頷いた。
「まあ完璧に準備したよ。隠し場所も完璧で……ってあれ。なんかこの状況ドラマとかで悪の組織が裏取引しているような感じがあってドキドキするわ」
「ドラマごときで何を言うか。昨日の化け物の方がドキドキするだろうが」
「うん、主に生死の意味でね!」
苦笑している俺を鏡夜は気にせず、ただこれからのことを考えていたのだろう。
一応やるべきことは終わったのだというかのように、高らかに言う。
「検証のためにカメラも用意したぞ。後は待つだけだな! さあかかってこい化け物共! 俺はいつでも構わないぞ!」
「ひぇ。こわ……」
ニヤリと笑った顔が主人公とは思えないほど物凄く悪役だった。
しかも凄く楽しそうだ。ゲームでは恐怖に怯えていた表情が多かったというのに……。
現実はゲームのようにはいかないとは言うけれど、それでもなお納得はいかない。
(ヒロインがラスボスじゃなくて、主人公がラスボスかもしれない)
白兎様。福の神様……鏡夜がやべえ方向にシフトした場合、どうしたらいいのでしょうか……。
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