フードプリンター

津嶋朋靖

第1話 フードプリンター

 夕闇迫る町中で私は車を降りた。道路に穴が開き、私を乗せてきた車は道路下の駐車場に収納される。

 今では考えられない事だが、昔は人間が自ら車を運転していたそうだ。その時代の人間からしてみたら、便利な世の中になったものだろう。


 だが、私は常々疑問に思う。


 便利な事は果たして良いことだろうか?


 便利になればなるほど、人はどんどん堕落していくのでは……


 おっと、思索にふけっている場合ではない。約束の時間だ。


 私の前に一軒の簡素な二階建ての建物がある。


 ごく普通の住宅に見えるが、ここが料理作家、朝霞あさか れいの工房。


「いらっしゃませ」


 工房内に入ると、若い女性が出迎えてくれた。


 新しい助手を雇ったのだろうか?


「さあ、鶴岡つるおか 懐石かいせき先生。どうぞこちらへ」

「うむ」


 彼女に案内されて入った部屋は和室。真ん中に掘り炬燵がある。その傍に、若い男が控えていた。


「鶴岡さん。お待ちしておりました」

「朝霞君。今回は、どんな料理を出してくれるのかね?」

「まずはこちらを」


 朝霞 零は掘り炬燵の上に五つの皿を並べた。


 皿に盛られているのは……


「ゴマ豆腐のようだが、何か変わった作り方をしたのかね?」

「いえ。私が作った普通のゴマ豆腐です。この中の一つは……」

「一つは? では、残りの四つは?」

「残りの四つは、私の作ったゴマ豆腐をスキャナーで読み取り、プリンターで出力した物でございます」


 なんだと!?


「君は私に、プリンターで作った物を食わせようというのか?」


 今の時代、衣服、車、建物、家財などを始め、ありとあらゆる品物が電子データを元にプリンターで作られている。料理も例外ではなく、ほぼ全ての料理が電子データ化され、かつてあった料理人という職業はなくなってしまった。代わりに、これまでに無い新しい料理を作りだし、そのデータをネットで配信する料理作家という職業が生まれる。


 この朝霞 零もそんな料理作家の一人だ。


 このように料理作家の作った料理は電子データ化され、ネットから各家庭のプリンターでいつでも出力でき、世界中のどこでも食べることができるのだ。


 だが、私は認めない。プリンターの出力した料理など、本物の料理ではない。


 私は食通として、料理作家が直接作った料理を食しているが、その料理をスキャナーで読み取りプリンターから出力された物はとても同じものとは思えない紛い物だった。だが、一般人にそんな違いは些細なことで、プリンターから出力された料理をありがたく食している。


「ご不満はごもっともと思いますが、その前にご紹介したい方がいます」


 朝霞 零は私をここへ案内してきた女性を示した。


「彼女は、如月きさらぎ 亜衣あいさん。豆芝社の方です」

「豆芝社だと?」


 豆芝社といえば、プリンターメーカーの一つだったと記憶しているが……


 如月 亜衣は私に名刺を差し出した。


「鶴岡 懐石様。この度、我が豆芝社では社運をかけて新しいプリンターを開発いたしました。よろしければ、その性能試験にご協力をお願いしたいのでございます」


 なるほど、そういう事か。


「つまり、その新しいプリンターで作った料理が、私の舌を満足させることができるか試したいという事だな?」

「左様でございます」

「私を呼びつけたからには、それなりの自信があると考えてよいのだな?」

「もちろんです」

「いいだろう。そこまで言うなら」

「では、この五つのゴマ豆腐の中から、朝霞さんの作った物を当てて下さい」


 私はゴマ豆腐を一皿手に取った。見かけは普通のゴマ豆腐と変わりはない。


 箸で一か所を切り取り口に入れた。


 これは……確かにゴマ豆腐だ。しかし、なんだ? この鉄の味は?


 いや分かっている。


 プリンターとは、噴出ヘッドから電離した原子を一つ一つ吹き付けてデータ通りに品物を組み立てていく機械。その原子は八十三種類の元素を純粋な状態で収めたカートリッジから供給される。


 データさえあれば、このプリンターでどんなものでも作ることができる。


 だが、この時できた製品には、ほんの少しだけ不純物が混ざる。先に出力した製品に使った元素が微量に残っていて、次に出力する製品にそれが混じってしまうというのだ。ほとんど問題にならない量だというが、私の舌は誤魔化せない。


 このゴマ豆腐を出力した機械は、先に鉄製品を出力したな。とにかく……


「これは違う。プリンターで作った物だ」


 二皿目を口に入れた。硫黄の味が微かにする。


「これも違う」


 三皿目は、鉛の風味がして吐き出した。


 このプリンターは本当に新型なのか? まったく今までと変わらないぞ。


 四皿目を口にした。これは、不純物がない。


「これが本物だな」


 だが、朝霞 零は首を横にふった。


「それは私が作った物ではありません、プリンターで出力した物です」

「なんだって!」

「鶴岡さんが先に食した三皿は、従来型のプリンターで出力した物。今手にされているゴマ豆腐は、豆芝製の新型フード専用プリンターによるものです」

「フード専用だと?」


 如月 亜衣が説明を代わる。


「はい。従来型プリンターはどんな物でも作りますが、このプリンターは食べ物だけを作るのに特化したプリンターでございます。食べ物しか作れませんが、不純物も入りません」


 だが、まだ私は朝霞 零が作ったオリジナルを試していない。新しいプリンターで作った物は確かに美味いが所詮はコピー。オリジナルとは何か違いがあるはずだ。


 五皿目を口にした。

 

 どういう事だ? 味も香りも舌触りも、まったくオリジナルと変わらない。


 ばかな? こんな事があるはすがない。このまま、オリジナルとコピーの違いを見抜けなければ、私の食通としての権威は……


「待ってくれ。ゴマ豆腐は確かに違いがなかったが、私はコピーされるところを見ていない。本当にコピーなのか? 二つとも朝霞君が作ったのではないのか?」


 無様だ! 権威を守りたいがゆえに、私はなんと無様な事を……


「いいでしょう。では、今この場で私が何か料理を作ります。そのコピーを作りますので、その中から本物を見抜いて下さい」

「そうか。では」


 私は水槽を指差した。水槽内でニジマスが泳いでいる。


「あのニジマスを塩焼きにしてくれ。尾頭付きで」

「かしこまりました」


 朝霞 零は早速ニジマスを網で捕まえて料理に取り掛かった。


 尾頭付きを指定したのは、魚が原型を留めているからだ。


 ゴマ豆腐のようなものでは、コピーかオリジナルか見分けがつかない。


 朝霞 零がゴマ豆腐を二つ作って、片方をコピーだと言っても私には見破れないだろう。


 しかし、焼き魚ではそうはいかない。


 もし、魚をもう一匹こっそり料理したとしても、まったく同じ物など作れないはずだ。


 程なくして、私の前にニジマスの塩焼き五皿が用意された。


 五匹の魚は、形も大きさも一致していた。


 それどころか、焦げ目までまったく同じ。


 間違えなく、この五匹の魚の内四匹はコピーした物。


 では味はどうか?


 五匹の内、三匹は従来型プリンターによるものと分かった。


 しかし、残りの二匹はどちらが本物か分からない。


 味も香りも舌触りも歯ごたえも、まったく変わりがない。


「鶴岡さん。どうでしょうか?」

「如月さん。もう少し待ってくれ。何か違うような気がするのだ」


 嘘だ。違いなどどこにもない。だが、このまま違いを見抜けなければ、私の食通としての名声は地に落ちる。


 なんとか、見破らなければ……


 試に頭を骨ごと齧ってみたが違いはまったくなかった。


 完敗だ。私の負けだ。まさか、ここまで完璧なコピーが作れるとは……ん?


「朝霞君。それにしても、いい皿を使っているね」

「分かりますか? 古伊万里です」

「ほう」


 私は食べるのを一度休み、五つの皿を持ち上げて眺めた。


「良い料理には、良い器が必要だな」


 皿を置いてから、また私は食べ比べを始めた。


 しばらくして、私は一つの皿を指差す。


「これがオリジナルだ」


 二人の顔に驚愕の表情が現れた。


「なぜ分かったのです?」

「朝霞君。確かによく複製コピーされているが、微かに風味が違った」

「風味ですか?」

「だが、如月君。気を落とすことはない。この違いは個性が違う程度の物だ。どちらの魚も大変美味しかった。このプリンターは完璧だよ」

「ありがとうございます」

 

 私に対して深々と頭を下げる彼女の姿を見て、私は罪悪感に苛まれた。


 しかし、今更言えない。


 皿の下に着けられていた印を見て見破ったなどと……


 私の権威は守られたが、ブライドはズタズタだ。

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