第9話 手×温もり(後編)

心の中が、ずっとモヤモヤしたまま気は晴れず、僕は昼食を終えて下山の準備に入った。

ビニールシートをリュックに詰めて、辺りを見渡す。

お姉ちゃんの姿が見えないから、もう集合場所に行ったのだろう。

頂上の少し下にあるレストラン前が集合場所になっていたので、僕は美瑠ちゃんと一緒にそこへ向かった。

「美味しかったよ、美瑠ちゃんのお弁当!」

「本当!? 嬉しいなあー!次またお弁当作った時は笹月くんにもおすそ分けするね!」

「まじで!?美瑠ちゃんの料理って凄く美味しいし、僕も家に帰ったらもっと勉強したいな〜!」

二人で横並びに歩きながら、軽い雑談を始める。

足の裏から砂利の感触が伝わってきて、少し辛い。

「私のご飯美味しいって言ってくれたの笹月くんが初めてだったからとっても嬉しい!」

美瑠ちゃんの嬉しそうな顔を見たら、足の痛さなんてどってことない。

……本当にいい子だな。

どっかの誰かさんと違って、優しくて気配り出来て、料理も美味しいし、僕の嫌がる事もしないし。

「美瑠ちゃんのご飯、毎日食べたいくらいだよー!」

無意識の内に本音が口から零れていた様で、隣を歩く美瑠ちゃんは顔を真っ赤にしていた。

茹でダコみたいに真っ赤に染まった顔で、口をパクパクさせている。

「あ、や、違うんだ!いや、違くないけど!ただ本音が出ちゃったっていうか……ええっと……ご飯が美味しかったのは、本当で、深い意味は無いっていうか……!」

慌てて弁明したけれど、それが逆効果だったらしく、美瑠ちゃんの顔はもっと赤くなる。

し、しまった!なんか良く分からないけど美瑠ちゃんの機嫌を損ねる事を言っちゃったのか!?

耳まで赤く染めた美瑠ちゃんは、僕を置いて走り出した。

足がぐるぐると竜巻みたいに巻かれ、突風のようなスピードで僕を追い抜く。


「ご、ごめんね!先に行ってるからー!! 」


誤解を解けないまま、僕は去って行った美瑠ちゃんの面影に手を伸ばす。

……ううっ、せっかくお姉ちゃん以外の女子の仲良く慣れたのにいー!

次の登校日は、顔合わせずらくなってるかもしれないな……。

失言、ともとれる自分の発言に反省しながらとぼとぼ歩く。


はあ、と大きなため息をつきながら、僕も集合場所に向かった。

そこには既に皆が集合していて、僕は最後の方法だった。

「あれ、おかしいわねぇ。何処に行ったのかしら。」

僕の名簿にチェックを付けた先生が首を傾げている。

まだここに来ていない人がいるのか、なんて思っていると先生が僕の名前を呼んだ。


「ねえ、笹月くん。笹月くんの保護者の方が、まだ来ていないみたいなの。急だったから連絡先も聞きそびれていて……。何処かで見なかった?」


その言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる。

お姉ちゃんが、まだ来てない!?

だって、僕がお昼を食べ終わった時にはお姉ちゃんの姿は無かった。

……そういえば、お姉ちゃんと一緒にご飯を食べていた皆はここに居るのに、お姉ちゃんだけが居ない。

なぜだか嫌な予感がした。心の中のモヤモヤがさっきよりも強くなる。

心臓が、きりきりと痛む。


「——ちょっと、笹月くん!? 」


考えるより先に、僕の足が動いていた。

さっき歩いた山道を全速力でのぼりあがって、再び頂上を目指す。

あの時、僕がもっとちゃんとお姉ちゃんを見ていたら……!!

そんな後悔と共に、汗を流しながら足を上げる。

集合場所に来ないって事は、何か原因がある。

その原因として考えられるのは、事件か事故。

もし、何かしらの事件にあっていたと仮定した場合、それが頂上で起こる確率は低い。

だって、人が多すぎる。あんな場所で騒ぎでも起こせば、皆の目に止まる。

道中だとしたら、確実に僕と美瑠ちゃんが気付く筈だ。

——なら、事故?

お昼までは元気だったお姉ちゃんが、急に事故に遭う確率は低いだろう。

なら、他に集合場所に来れない理由としてあげられるのは一つ。


僕は頂上の屋台を回って、人気のない場所を探した。

もちろん、色んな人に手当り次第にお姉ちゃんの事を訪ねたりもした。

屋台の裏は、人の出入りも少ないし、何より児童に見られる可能性も低い。

色々考えながら走っていると、なぜだか自然と足は独りでに動き始めていた。

そうだ。最初から手当り次第に探す必要なんて無かった。

だってこの一ヶ月、毎週僕はあの人にあって、色んな事をした。

だからお姉ちゃんの考えそうな事も、お姉ちゃんが行きそうな場所も、僕には分かる。

どこを探せばいいのかなんて、手を取るように分かる。

人の多い頂上の広場から少し離れた、屋台。

沢山並ぶ屋台の中でも、殆ど人が寄り付かないような場所。

感じるんだ。この角を曲がったらきっとそこにいてくれるって。

僕は他の皆よりもお姉ちゃんの事を知っているんだ。だからお姉ちゃんの居場所だって……。


「——見つけた。」


ハアハアと息を荒らげながら、僕が見つめる先には見覚えのある顔があった。

屋台の裏の日陰部分。そこに置いてあった大きな岩に腰をかけるお姉ちゃん。

お姉ちゃんは驚いた声で「優くん? 」と僕の名前を呼ぶ。

その顔色は、さっき見た時よりも血色感がない。

「良かったー、探してたんだよ優くん。頂上に着いてからずっと優くんの姿が見えなくて何か事件とかに巻き込まれたのかと……。」

こんな時でも真っ先に僕の心配をするなんて。

この人は変人だけれど、でも。馬鹿みたいにお人好しだ。


僕はお姉ちゃんに近付いて、バックを開けた。

「全く。集合場所でみんなお姉ちゃんの事心配してたよ。僕の事を探しに行ったきり戻ってこないって。」

バックから取り出した箱を、堂々とお姉ちゃんに見せる。

いつも僕の恥ずかしい事ばっかりしてるから、男としての尊厳がないけど。

こういう時くらいは、カッコつけてもいいよね。


「足、捻ったんでしょ? 」


僕は山を登ると、毎年のように筋肉痛に襲われる。

その為、一応湿布も持っていく事にしているんだ。

僕は救急箱の中から湿布を一枚取り出して、お姉ちゃんの正面にしゃがむ。

「あちゃあ、優くんにはお見通しだったかー。ごめんね、本当はもっと早く集合場所に行くつもりだったんだけど……。」

あはは、とお姉ちゃんはいつもみたいに笑ってみせる。けれどいつもより覇気がない。

そんなお姉ちゃんを見上げながら、僕はゆっくりとお姉ちゃんの足元に視線を落とす。

お姉ちゃんの靴下を脱がすと、足首が大きく腫れていた。

——成程。こんなに腫れてるなら集合場所にも行けない訳だ。

もっと早くに、誰かに相談していればここまで悪化する事も無かっただろうに。

お姉ちゃんは変な所で意地っ張り……というか、気を張るんだから。

僕は湿布をお姉ちゃんの足首に貼り付けた。


「——ありがとう、優くん。」


僕はお姉ちゃんの足首を見ていたから、お姉ちゃんの顔は見えないけれど、その声はどこか寂しそうに聞こえてきた。

きっと、一人で心細かったのだろう。そういう気持ちは、僕にも分かる。

僕はすっと立ち上がり、お姉ちゃんの顔を見る。

この際だ。このわからず屋なお姉ちゃんにはっきりと言っておこう。

今回の事で、いい教訓になっただろうし。


「あのさ!僕の前では変に大人ぶらないでよね!お姉ちゃんだって、まだ高校生でしょ?なら、僕の前でくらい、子供っぽくてもいいじゃん!!」


我ながら何を言っているのだろう。

これまでの怒りと、心配と。他にも色々な感情が混ざりあって、何だか変な事を言ってしまった。

お姉ちゃんはそんな僕の顔をきょとんと見つめている。

この時の僕はどんな顔をしていたんだろう。

きっと、笑いが出るくらい腑抜けた顔だったに違いない。

それでもお姉ちゃんは笑い飛ばす事無く、穏やかな笑みを浮かべた。


「……うん。来てくれてありがとう、優くん。」


それから、僕はゆっくりとお姉ちゃんに手を差し出した。

「どうせ、そのままじゃ歩けないでしょ。集合場所に行くまで、手握ってあげる。」

自分からこんな事を言うなんて、我ながらどうかしている。

顔全体が沸騰しそうなほど熱くて、鏡を見なくても今の自分の顔が想像出来た。


お姉ちゃんは、嬉しそうな笑みを浮かべて、僕の手をそっと取った。


「それじゃあ、お言葉に甘えて。」



歩きながら、僕は思う。

もしも僕がもう少し早く生まれて、もう少し身長があったら。

こんな時、迷わずにおんぶしてあげられたのに。

男らしくない僕は、こうして手を引く事しかできないけれど、いつかお姉ちゃんの温もりを背中で感じる時が来るのだろうか。


今、お姉ちゃんがどんな顔をしているのかは分からないけれど、手から伝わるお姉ちゃんの体温は、いつもより暖かかった。



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