第8話 山登り×卵焼き(前編)

五月も中旬に入り、新しいクラスにも大分慣れ始めた頃、初めての行事が開かれた。

「それじゃあ、行ってきまーす」

返事のない玄関で、僕は一人声を上げた。

背中に背負うのは使い古されたランドセル……では無く黒のリュックサック。

動きやすい体操服を着たまま、僕は家を出た。


——今日は、近くにある山に登山をしに行くのです。


でも、僕はあんまり乗り気では無く……。と言うのも、毎年行われている山登りで、僕は必ず筋肉痛に合うのだ。

山登りの次の日、朝起きた時の痛みといったら……。

ふくらはぎから太ももを襲う激痛。歩くことすらままならないあの、衝撃的な苦痛。

想像しただけでもかなり憂鬱だ。

学校に向かう道の途中、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「……優くん? 」

後ろを振り返ると、いつものバックを持ったお姉ちゃんが立っている。

僕の服装を見て、きょとん、と目を丸くさせるお姉ちゃんを見て思い出した。

しまった、お姉ちゃんに今日山登りだって言うの忘れてた!

両手を合わせ、急いでお姉ちゃんに謝罪する。

「ごめん、お姉ちゃん! 今日山登りなんだ。だから勉強は出来なくて……。」

申し訳ない気持ちで謝ると、お姉ちゃんはすぐさま自分の家に戻って行った。

漫画の表現でよくある、『びゅーん』って効果音と共に突風が巻き起こりそうな勢いだ。

なんのこっちゃと瞬きをした次の瞬間、向こうから人影が迫ってくる。

その間、およそ七秒ほど。

「お待たせ!」

清々しい笑顔で僕に笑いかけるお姉ちゃん。

——いや、待ってないし。っていうか待つ時間も無かったじゃん!

「って、あれ?お姉ちゃんその格好……。」

さっきまでとは違い、動きやすそうなスポーツウェアに身を包んだお姉ちゃんは、リュックを背負い直した。


「じゃあ行こっか! 」


当たり前に僕の手を引っ張るお姉ちゃんに、嫌な予感を感じながら聞いてみる事にした。

「えーっと、どこに?」

「え? そりゃあ山登りでしょ? 」


なんでこの人は、さぞ当たり前かのように言うのかな!?

当たって欲しくも無かった回答に、僕はため息をつく。

「あのねえ、これは小学生の行事なんだよ? 高校生のお姉ちゃんが行けるわけ……」


「——はい、同行可能ですよ。」


——あった。

学校に着いたお姉ちゃんは、すぐに僕の担任の元に駆け寄った。

すると、担任はあっさり承諾。こちらを向いて親指を立てるお姉ちゃんは何故かキメ顔だった。

どうやら、今回の登山は保護者も参加可能らしく、お姉ちゃんは僕の保護者、という事で同行するらしい。

登山前の開会式では、お姉ちゃんが後ろから手を振ってくるので、周りの視線が痛かった。

「なあ、あの綺麗な人、優のお姉ちゃんなのか!?」

クラスメイトの一人が、コソッと僕に聞いてくる。

僕は声を大にして「違うよ!!!!」と叫びたかったけど、その気持ちをぐっと堪えた。

「親戚の人。今日はたまたま泊まりに来てたんだ。」

適当な嘘で誤魔化しつつ、僕は先が思いやられる。


「……はあ、憂鬱だ。」


そんな僕のため息と共に、登山の行事はスタートした。








「うわぁー! 」

登り始めて三時間程で頂上に辿り着いた。

登山とはいっても、大きな山を登る訳では無いし、子供でも気軽に歩ける整備された道を通る為、時間はそこまでかからない。

時刻は丁度十二時を回ったくらいだった。

それぞれ自分達で班に別れ、頂上の景色を堪能しながらお弁当を食べる。

砂利の上にビニールシートを広げ、背負っていたリュックを下ろす。

ビニールシートの上からでも分かる、砂利のゴツゴツした感覚がお尻から伝わってきた。

「ねえ、笹月くん。」

腰を下ろして一息着いていた僕に話しかけてきたのは美瑠ちゃんだった。

「お昼、一緒に食べてもいい? 」

モジモジと、顔を赤くしながら恥ずかしそうに声をかけてくれた美瑠ちゃんに、僕は笑顔で答える。

「うん、勿論! 」

「ありがとう! 」

嬉しそうに微笑みながら、美瑠ちゃんは僕の横にビニールシートを広げた。

ピンクの、可愛らしいビニールシートの上に腰を下ろし、弁当箱を取り出す。

美瑠ちゃんは、テキパキと弁当箱を開けて、お手拭きで手を拭いた。

「……うわぁー、美瑠ちゃんのお弁当美味しそうだねー!」

チラリと美瑠ちゃんのお弁当を覗くと、彩り豊かな料理が並んでいた。

赤、黄色、緑、茶色。栄養も良さそうなお弁当に関心していると、美瑠ちゃんは恥ずかしそうに笑う。

「えへへ。実はこれ、自分で作ったの。多く作りすぎたから、笹月くんと交換したいなって。」

その言葉に、僕はなお関心していると、ふとある事に気付いた。


——これ、僕が好きな料理ばかりだ。


美瑠ちゃんとは食の好みが合うのかな、なんて思いながら、僕も自分の弁当箱を開ける。

美瑠ちゃんは、僕のお弁当を見て「笹月くんのも美味しそうだね。」と言ってくれた。

「まあ、ほとんど冷凍食品なんだけどね。お父さん、今日も仕事だったし。」

料理は嫌いではないけれど、別段得意という訳でもない。

一通りの料理が作れる程度だし、面倒くさい時は手抜きもする。

僕も美瑠ちゃんみたいに、料理が上手くなる様に頑張ろう。

心の中で、美瑠ちゃんを尊敬しながら弁当箱を持ち上げる。


「こっちこっちー!」

「えー、待ってよー」


遠くの方で、聞き慣れた声がする。

振り返ってみると、お姉ちゃんが僕のクラスメイトに囲まれていた。

登山が始まってから、皆お姉ちゃんに興味津々みたいだ。

確かに美人ではあるけれど、あんな風にクラスの皆がお姉ちゃんに近寄っているのを見ると、少しだけ気分が悪い。


なんというか、胸がモヤッとする。


いや、別に僕のお姉ちゃんじゃないし。僕が不機嫌になる理由は無いんだけど。

自分自身でも理解できない感情を流すように、僕は卵焼きに齧り付いた。

「笹月くんの卵焼き、美味しそうだね。」

美瑠ちゃんの言葉に、僕はすかさず返事をする。

「うん。この卵焼きだけは自分で作ったんだけどね。僕、甘い卵焼きが好きなんだ。」

「いいなあ、私も甘い方が好きなんだけど、お母さんはしょっぱい方が好きみたいで。」

物欲しそうな顔で卵焼きを見つめる美瑠ちゃんに、僕はもう一つあった卵焼きを美瑠ちゃんの弁当箱に入れた。

「これ、あげるよ。」

美瑠ちゃんは驚いた顔をしながら「いいの?」と聞いてくる。

僕は何も言わずにコクッと頷いた。

美瑠ちゃんは嬉しそうに「ありがとう」と微笑む。

「じゃあ私は、ハンバーグあげる!」

「本当!?僕大好きなんだ!」

美瑠ちゃんのお弁当箱からハンバーグを貰うと、すぐに口の中に入れる。

「どう、かな?」

「凄く美味しい!美瑠ちゃんはいいお嫁さんになれそうだね!」

「えっ!?そ、そそ、そんな事ないよ……!」

二人で目を合わせると、自然と笑いがこぼれていた。

そうだ、今は美瑠ちゃんと一緒にいるんだし、お姉ちゃんの事は考えないようにしよう。



……別に、お姉ちゃんがいなくたって平気だから。

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