13 ツンデレを履き違える幼馴染にはっきり言う


 静かな保健室に、クールな声が木霊した。


「退学」


 胡蝶涼華(こちょう・すずか)はその切れ長の目をくっと細めた。俺を値踏みするような目つきだ。なんだろう。学年首席の生徒会長が、俺の顔なんか知ってるはずないんだが。


「……と、言いたいところだけれど。不用意に着替えをしていた私も悪いわね。お互い、このことは忘れましょう」

「すみません」


 二つの意味で謝った。一つは着替えを覗いてしまったこと。もう一つは、あの白と黒のコントラストを、おそらく忘れられないだろうということ。


「それで、どうしたの? 保健の先生なら不在だけど」

「ちょっと気分が悪くて。休ませてもらおうと思って」

「それは、いけないわね」


 会長は白い手を伸ばしてきた。おでこに冷たい感触。思わず声が出そうになる。


「熱、少しあるかしら」

「はあ」


 俺に熱があるとすれば、それは別の理由だと思う。


「先生、呼んでくるわ。ベッドで休んでいなさい」


 長い銀髪を翻して、彼女は歩き出した。きびきびと律動的な足取り。見ているだけで有能が伝わってくるようだ。


 胡蝶会長の優秀さはつとに有名である。入学以来、学年首席の座を譲ったことは一度もない。生徒会長としても敏腕だ。昨年まで行われていた朝の校門指導を無くした功績は、俺たちの学年にも伝わっている。


 才色兼備の、歩く見本みたいな人だ。


 ただ――。


 それほど有能な生徒会長が、何故例のバッチの件を発表しなかったのだろう。なぜ、あのブタが壇上にいて、彼女が保健室にいるのだろう。


「例のバッチの件、会長は賛成なんですか?」


 ストレートな疑問をぶつけると、銀髪の才女はほんの少しだけ顔をしかめた。


「全校集会で、聞いたのね?」

「ええ。こういうことは、ふつう会長が発表するものなんじゃ?」


 会長は俺の目を見つめた。


「貴方、1年1組の鈴木和真くんよね?」

「どうして俺のことを?」

「高屋敷瑠亜さんの幼なじみだって聞いているわ」


 ああ、なるほど。あのブタのおまけとしての認識か。


「例のバッチは瑠亜さんの提案よ。それを私が生徒会長の名において承認し、先生方も受け入れて、実施される運びとなりました」


 事務的な口調だった。


「俺が聞いたのは、会長が賛成か反対かなんですけど」


 美しい湖のように澄んだ瞳が、わずかに翳る。


「貴方、鋭い……いいえ、怖い人ね」

「俺が? まさか」


 過大評価もいいところだ。天下の生徒会長に「怖い」だなんて。


「もちろん賛成よ。生徒会の決定だもの。当たり前じゃない」


 不機嫌な声を残して、会長は去って行った。


 さわやかな柑橘系の香りが鼻をくすぐる。彼女の銀髪の残り香だった。


「……ふうん……」


 どうやら生徒会も一枚岩ではないらしい。



 ていうか。



 あのバッチの件、まさかあのブタの独断なのか?







 保健室でたっぷり1時間休んだ後、教室に戻った。


 ちょうど2限目が終わったところだった。がやがやと騒がしいおしゃべりに満ちている。俺が戻ってきたことには誰も気づかない。


 いや――。


「カズっ! 待ってたわよん」


 金髪をなびかせてブタさんが近づいてきた。素早い。シュバババッて感じ。別に俺の体調を心配していたんじゃないのは、そのニマニマした気色悪い笑みを見ればわかる。


 ブレザーの胸元には、さっそく例の金バッチが光っている。


 ちなみに胸はぺったんこ。えぐれてる。会長のを見た後だからギャップがすごい。エベレストとマリアナ海溝くらいの違いがある。実に対照的な二人だ。銀髪と金髪。山と谷。


「アタシが生徒集会で発表したバッチね、もう配っちゃったわ」

「あ、そう」


 見れば、他の生徒たちの胸にもバッチがある。金と銀。二色に教室が色分けされている。


 驚いたことに、みんな、どこか誇らしげだ。


 金色が誇らしいのはまぁわかるとして、銀色でもそう感じるらしい。


 二番目、銀メダルとして解釈すればそう悪いものではないと感じているのだろうか。実質、最下位なんだけど。


「でね、悪いんだけどォ」


 ブタさんは、にぃっ、と唇の端を吊り上げた。


「ちょ~っとした手違いで、銀バッチの数が足りなくってさぁ。カズのぶん、ねーから!」

「……」

「ちなみにこの〝手違い〟は、あちこちで起きてるみたいでー。2組でもひとつ足らなくなってるんだって! 大変だネ!」


 2組に誰がいるのか、言うまでもない。


 皆瀬甘音、「あまにゃん」のクラスだ。


「業者に追加発注かけてるけど、いつになるかわかんないらしいの。それまでバッチ無しで過ごさなきゃいけないね!」

「……なるほどな」


 俺はブタの顔をにらみつけた。


「こういう形で、例のイベントの仕返しするってわけか」

「え~? なんのことォ? るあわかんなーい」


 いつのまにか、ブタの周りには取り巻きが集まっていた。みんなニヤニヤ笑って、「バッチ無し」の俺を蔑むように眺めている。


 手下を従え、ブタはますます鼻息を荒くする。


「でね、そんなカズに提案なんだけどっ。アタシにちゃんと謝ってみる気はなあい?」

「謝る? 何を」

「浮気したこと。幼なじみの絆を裏切って、あんな前髪クソスダレの味方したこと」


 幼なじみの絆とか、どの口が言うんだ?


 絆じゃなくて、鎖の間違いだろ。


「ね、謝ってよ。そしたらバッチもらえちゃうかもよ。金と銀、どっちでも好きなのをね。――ねぇ、カズぅ」


 甘えた声を出して、ブタが俺の手を握ってきた。周りの取り巻きが驚いた顔をする。野球部・浅野なんて、鼻の穴をがばっとおっぴろげている。それだけの衝撃映像らしい。


「もういいかげんさぁ、仲直りしようよぉ」

「…………」

「アタシに逆らって、この学園で生きていけるわけないでしょ? カズが一番よく知ってるよね? ねえ、カズ。昔みたいに戻ろうよ……」


 学園一の人気者。今をときめくアイドル声優。学園理事長の孫。大富豪の娘。金髪の美少女。


 そんな相手に手を握られて、甘えた声を出されて、落ちない男なんかいないだろう。現にこいつの取り巻きがそうだ。どいつもこいつも、ヨダレをたらさんばかりの顔で俺を見つめている。「うらやましい」「俺がるあ姫の幼なじみになりたい」。そう顔に書いてある。


 だからこそ。


 あえての、NO!


「触るな」

「…………ッ!!?」


 俺はその手、いや豚足を振り払った。


 ブタの顔が引きつり、青ざめる。


「俺は、一度決めたことを曲げる気はない」

「……っ」

「お前が一番よく知ってるだろ。元・幼なじみのお前がな」


 青ざめた顔が、今度は真っ赤に染まった。


「カズのバカ! バカ! うんこたれ! あ、あとでどれだけ後悔しても、知らないんだからねッ!!」


 いにしえのツンデレみたいな台詞を吐き捨て、ブタは歩き去って行った。お前の場合、ツンドラって感じだよな。




 こうして――。




 学園の全生徒は、金と銀、そして「無印」という、三つのカーストに色分けされたのである。

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