「アンタと幼なじみってだけでも嫌なのにw」「ああ、俺もだよ」「えっ」

末松燈

1 堪忍袋の緒、切れる


「アンタと幼なじみってだけでも嫌なのにw」

「――ああ、俺もだよ」

「えっ」


 予想外の〝奇襲〟に、彼女の表情が凍りついた。


 彼女の名は高屋敷瑠亜(たかやしき・るあ)。


 俺の幼なじみである。


 駅前のカラオケ店。広くて豪華なVIPルームに、学校のイケてる軍団、トップカーストの男女が集結している。身分もわきまえずのこのこやって来た陰キャの俺を、ニヤニヤと見つめている。


 瑠亜は、自慢の長い金髪をサラリとかきあげた。ルージュをひいた唇の端がわなわな震えている。


「な、何言ってくれちゃってるワケ? 和真(カズ)のクセに生意気よ!」

「お前が嫌だって言ったんだろ、瑠亜。お互い様だ」

「はあ? ふざけんなバカ。アンタにそんな権利ないから。アタシがアンタを嫌いになるのは自由だけど、アンタがアタシを嫌いになる自由はないのよ!」


 なんというジャイアニズム。


 お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの。


 こんな滅茶苦茶を言うやつが、学園一の美少女で、しかも人気急上昇中のアイドル声優っていうんだから、世も末だ。


 これ以上の議論は無意味。


 耳が腐る口が腐る目が腐る。もう同じ空気も吸いたくない。


 幼稚園児以来、十年の付き合いも今日で終わり。


「じゃあな」


 テーブルに、自分のぶんの料金を叩きつけた。入室して三分と経ってないのに馬鹿馬鹿しいが、手切れ金と思えば惜しくない。


 イケてる軍団の野次が俺の背中に投げつけられる。


「ダッサ」

「なにイキッてんの」

「バカみてー」

「死ねw」


 奇遇だな。俺もお前らのことが嫌いだよ。ずっと前から、嫌いだった。


 ばたん、と扉を閉めた。まだ瑠亜がキーキー言ってるのが聞こえたが、どうでもいい。


 もうモテなくていい。


 もう『イケてる軍団』に入れなくていい。


 そう考えたら体が軽く感じた。


 俺はこれから、一人きりで生きていこう。





 事の発端は、日曜の朝。


 俺のスマホに届いた瑠亜からのメッセージだった。


『ねえカズ、今日正午に駅前来れるー?』

『浅野クンや彩加っちたちとカラオケすんだけどさー、どーよ?』


 正直、戸惑った。


 瑠亜があげた二人の名前は、どちらも「イケてる軍団」のメンバーである。浅野勇弥(あさの・ゆうや)は野球部のエースで、橋元彩加(はしもと・あやか)はダンス部の1年生リーダー。どちらも美男美女、学校のどこにいてもキラッキラしてて目立つ二人だ。


 たち、ということは他にも来るのだろう。学校のイケてる軍団が。


 そんな連中のカラオケに、クラスでも目立たない陰キャである俺が参加していのだろうか?


『俺が行っていいのか? 二人とは全然親しくないんだけど』


 そう返信すると、すぐにまた着信があった。


『だってカズ、昔言ってたじゃん。明るくなりたい、友達が欲しい、彼女欲しいって』

『それにはさ、アタシらみたいなイケてる軍団に入っちゃうのが一番だよ』

『ね? 勇気出して一歩を踏み出さなきゃ!!』


 その言葉には説得力があった。


 確かに俺は、地味で暗い自分を「良し」とはしていなかった。健康な高一男子なんだから、女の子にもモテたかった。別に瑠亜みたいな人気者じゃなくていい。ふつーに友達がいて、ふつーに彼女がいれば、それで良かったのだ。


 だけど、その「ふつー」はなかなか手に入らない。


 なんていうか、上手く言えないけど、そんなテレビとか雑誌で言われてる「ふつー」って、全然普通じゃない。友達が多くて恋人がいて、なんて青春を送ってるやつなんて、クラスに数名しかいないのだ。


 どうして浅野勇弥は、あんな風にかっこよく制服を着崩せるんだろう。


 どうして鮎川彩加は、大学生の彼氏と付き合えるんだろう。


 どうしてあいつらは、教室で大きな声でおしゃべりできるんだろう。


 別にあんな風になりたいとは思わないが、せめてあいつらの半分程度の明るさと社交性があれば――と願ったのは事実だ。


 瑠亜にも一度、そんな話をしたことがある。


 大人気声優アイドルの回答はこうだった。


「バッカじゃねーの? アンタみたいなブサメンが、身の程わきまえなさいって」

「アンタの価値はねえ、この瑠亜様の幼なじみっていうことくらいよ。そのことだけで、人生の幸運ぜんぶ使い切ってるの! わきまえなさいッ!」


 瑠亜らしい言葉だった。


 瑠亜はこの女王様的なキャラクターで、声優業界でも売り出している。Mな男がこの世には多いのか、なかなかの人気を博しているようだ。


 そんな瑠亜の口癖は「わきまえなさいッ」。


 身の程をわきまえろ、顔面をわきまえろ、才能をわきまえろ、遺伝子をわきまえろ。


 いろんな言い方で、自分が「特権階級」であり、俺が「下等民」であることを表現してきた。


 そんな風に言われれば俺だって腹が立つけれど、一方で「しょうがない」と思う自分もいた。なにしろ瑠亜は人気者で、小4の時点でもう彼氏がいて、駅前でスカウトされてアイドルになってそこから声優になって――という絵に描いたようなお姫様(プリンセス)だったから。それに引き替え俺はなんの取り柄もない。友達も少ない。彼女ももちろんいない。顔もブサくて暗くて、趣味といえば読書という、これまた絵に描いたような陰キャ。


 だから言われてもしかたがない。


 そんな風にあきらめていた。


 そんなところに、今回の誘いだ。


(これは、チャンスじゃないのか)

(勇気を出して、参加してみるべきじゃないのか)

(イケてる軍団に入れるなんて思わないけど、薄いつながりでもいいからできれば、自分を変えるきっかけになるかも)


 俺は決意を固めた。


 仕事にでかける準備をしていた母に話をして、美容院に行くお金をもらった。母は平日は普通に会社に行き、さらに土日は近くのスーパーでパートをしている。母子家庭だから、お金がないのだ。そんな母親にお金をせびるのは気が引けたが、このボサボサの髪はどうにかしておきたかった。


 母さんは笑ってお金を出してくれた。


「頑張っていい男にしてもらってきなさい!」

「彼女できたら、母さんにも紹介しなさいよ!」


 感謝しつつ、急いで近所の美容院に行った。無愛想な鼻ピアスの美容師さんに、おどおどしながら「あ、明るくサッパリしてくださいっ」と告げた。ちょっと怖かったけど腕は確かで、こざっぱりした感じに仕上げてくれた。


 それから家に駆け戻って、クローゼットをひっかきまわした。ともかく変じゃない格好ということで、ネイビーのジャケットに無地の白Tシャツ、デニムを選んだ。ジャケットは冬物しかなくて、五月も後半の今日じゃ暑かったけど、我慢しよう。


 父さんの形見の腕時計をはめて、カラオケボックスに行った。


 緊張しながら、指定された部屋のドアを開けると――大爆笑が出迎えてきた。


 浅野勇弥が、橋元彩加が、学園のイケてる軍団十数名が、そして瑠亜が、ドアのところで立ち尽くす俺を指さして笑ってる。


「うわっ、ホントに来たよwww」

「信じらんねーw なんか髪切ってるしww」

「じゃ、じゃ、じゃ、ジャケット着てるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「ちょwww待ってwww 美容院のニオイするwwwwww 無理wwwww」

「ぷぷぷぷぷぷぷ笑っちゃだめだよみんなwwwww おめかしてしてきたんじゃん?wwww 笑っちゃだめぷぷぷぷぷぷぷぷぷ」


 俺は全てを理解した。


 ああ――なるほど。


 こういう「イベント」だったわけか。


 だから、呼ばれたんだ。


 広々としたソファに座る美男美女のみなさんを、俺は冷めた目で見つめた。別に腹は立たなかった。ただ「ヒマなんだな」と思った。恋に勉強にスポーツに毎日充実してるんだろうと思い込んでいた連中の「本当の姿」を見て、哀れみすら覚えたくらいだ。ただ、美容院代を出してくれた母さんのことを思うと、ちょっと悲しくなった。


「――ほら、何突っ立ってンのよ」


 瑠亜が低い声で言った。声優だけあって、ドスが効いている。


「ほらカズ。泣きなさいよ。わめきなさいよ。アンタが泣きべそかくのに、アタシ、千円賭けてるんだからさぁ。ほら」


 俺が無反応なのが気に入らないようだ。浅野勇弥が「俺は、すぐ逃げ出すに千円なー」と茶々を入れてくる。


「ひとつ、教えて欲しい」


 俺は静かに聞いた。


「俺が、何かしたかな? お前らの気に障るようなこと、何かしたか? どうしてこんなことをされなきゃいけない?」


 部屋はしんと静まりかえった。


 下等民の意外な質問――いや、反逆に面食らっている。「どうして黙って殴られないんだ、コイツ」みたいな顔。ノリが悪いなァ、みたいに興ざめしている顔だ。


「どうしてって? 馬鹿なこと聞かないでよ」


 形の良いあごをしゃくって、瑠亜は言った。


「アンタがアタシの奴隷だから、に決まってンじゃん」

「…………」


 無言のままでいる俺に、彼女は言葉を投げつけた。


「ホラホラ。せいぜいみっともなく悔しがって、アタシを楽しませてみなさいよ。本当なら、アンタと幼なじみってだけでも嫌なのにw」


 ぶちん。


 ぶちん、と。


 その瞬間、「何か」が切れる音がした。


 堪忍袋? いいや、違うね。


 これは〝縁〟が切れる音。


 なんだかんだで、瑠亜とは長い付き合いだ。それなりの情がある。多少の言動・行動には目をつむってきた。お互い、昔は一緒に風呂だって入った仲だ。その傍若無人な態度も、俺に対する気安さの表れ――そんな風に解釈してきた。


 だけど、もう。


 無理。


 こんな思いをしてまで、こんな仕打ちをされてまで、人間の皮をかぶったケモノどもと仲良くなりたいと思わない。


 覚悟はいいか、鈴木和真。


 三年間、ひとりぼっちの高校生活を送る覚悟はOK?


 この場をヘラヘラ笑って流してまで、友達が欲しいと思うか?


 ――NO!


 気にいらないヤツに媚びへつらってまで、彼女が欲しいと思うか?


 ――NO!


 ならば、良し。


 いざゆかん。孤独の荒野。


「――ああ、俺もだよ」


 覚悟を決めて、俺は口にした。


 それは、別離の言葉。


 十年来の幼なじみと。


 そして、これまでの自分との、決別の言葉だった。





 翌日の朝。


 登校すると、教室の廊下に机と椅子がおっぽり出されていた。なんだろうと思ってみれば、他でもない、俺の机だ。ご丁寧に貼り紙してある。



『おめえの席、ねーからw』



 まぎれもなく、彼女(アレ)の字だ。


「……へえ。なるほど、そうきたか」


 うすうすわかってたけど。


 昔から、知っていたけど。


 自分のひがみかも知れないと思って、ずっと見ないフリをしてきた事実を、俺はいま、はっきりと認識した。


 俺の幼なじみだった女は、今をときめく大人気声優は――。


 最低最悪の、ブタ野郎だ。

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