第27話 夜明け前は暗い。寒い。ひどく冷たい。
始発の電車が走る頃はまだ辺りも暗い。そして寒い。ひどく冷たい。
あたしはコートの襟を立て、首を引っ込めて、そしてポケットに手を突っ込む。
手袋を持ってくればよかったが、この時間に外に居るという予定はなかった。だが外気の冷たさは嬉しかった。時々来る震えが、寒さによるものなのかそれ以外のものなのか、自分自身にも区別がつかなくなる。
最寄りの駅に着いた頃には、少しだけ明るくなりつつあった。相変わらず空気は冷たい。
夜明け前は、一番温度が下がる時間だ。ふと見渡すと、近くの呑み屋の外の水道から落ちた水が白く凍っていた。はあ、と時々あたしは手をポケットから出して息を吹きかける。
ひどく寒かった。身体の芯から冷えている、と思った。頭の芯まで、早く家に戻って温かいものを何か飲もう、と考えること以外できない。
空は次第に明るくなってくる。見上げる頭上はひたすら青く、向かう方向がちょうど東らしい。ゆっくりと、その方向から白く輝き出す。遠くに見える景色がその逆光でぼんやりとかすんでいる。
あれ?
ようやく家の前まて来たら、灯がついているのが見えた。
電気を消さずに来ただろうか、とあたしは記憶をたどる。だけどその憶えはない。
鍵を回して、扉を開ける。途端に、暖かな空気が頬に当たる。…暖房が効いている。誰か居る。
靴を脱ぐのももどかしく、ばたばたと中に入る。
「あ」
コートを脱ぎ、掛けているHISAKAがそこには居た。
「帰ってたの?」
「ただいま。MAVOちゃんも今帰りだったの? てっきり寝てると思ったわ」
「いつ帰ったの?」
「夜行で帰ってきたから、今さっき」
「夜行?」
「言わなかったかしら? お墓参りに行くから、って…」
墓参り?
「聞いてない」
あたしは眉を寄せる。確かに、聞いていない。
だがそう言えば冬だ。年末だ。彼女の両親と妹が飛行機事故に遭った時期だ。
そうだったかしらね、とHISAKAはコートをかけたハンガーを壁に掛ける。
そしてあたしはそんなHISAKAの様子をじっと見ている。次に自分が何をすればいいのか、その瞬間、全く忘れてしまっていた。
だがHISAKAはそんなあたしの様子には構わない様だった。首の後ろがぴりぴりした。
「でもずいぶんやっぱりこの時間は寒いわね。何か温かいものでも飲みましょうか」
「HISAKA」
あたしは何かHISAKAに言いたかった。だが言葉がすぐには見つからない。適切な言葉が。
いや適切でなくともいい。とにかく何か言いたかった。
それでとりあえず名前を呼んでみた。
だがその言葉はHISAKAには届かなかったらしい。彼女はそれには構わず、自分の用件を切り出す。
「それとMAVOちゃん」
「何?」
「例の詞、まだ書けない?」
「まだ」
仕方ないわね、と彼女はつぶやき、やや困ったように笑う。
「もしもどうしてもできなかったら、今回はいいわ。きっとまだそういう時期じゃないのね」
「違う!」
あたしは思わず叫んでいた。
キッチンに入りかけたHISAKAの足が止まる。振り返る。どうしたの、と訊ねる。平静な顔で。
その平静な顔に、あたしは何となし、怒りを覚える。違う、そうじゃなくて。
「書ける。書けると思う。あたしは書けるのよ。だけど、寒いの。寒いんだってば!」
「MAVOちゃん… どうしたの?」
そうしてはいけない、とあたしは思ってきた。彼女に向かってだけは、自分の、その声を立てては。だが。
この声は、あたしの武器。どうしても。
「あたしすごく寒かったのよ、HISAKA! あんたがいない間ずっと! どうして、何処へ行くとも言ってくれなかったの?」
「MAVOちゃん、これはあたしの問題だわ。亡くなった親父さんとお袋さんのだから…だから言わなかったのよ。ね、MAVOちゃん、あなたにあんまり心配はかけたくなかったから…」
彼女はやや困ったように、歯切れの悪い言葉をつむぐ。
「違う!」
あたしの声は彼女の言葉の糸を切った。
身体の芯から震えがくる。ぶるぶる、と自然に身体が震える。
寒くて寒くて、仕方がない。なのにどうして、この目の前の相手は、それに気付いてくれないのだろう。
あたしはHISAKAに近付く。両方の腕を掴む。上目づかいに彼女を見る。見つめる。じっと見据える。
どうして目を逸らすの、あたしの方を向いて。こっちを向いて、あたしを見て!
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