第5話 でもこれはあたしにとっての事実で、真実だ。
「あんまり、そうそう普通のことじゃあないからでしょ」
「何が?」
わざわざ聞くのだから、あたしも趣味が悪い。
「こうやって、あたしがあなたにいろいろしていることとか」
「そうなの?」
「そうらしいわね」
なるほど、とあたしは思う。この人でもそう思ってはいたのか。
「まほちゃんはそうは思わなかったの?」
「別に」
そう? と彼女の軽く驚く声が聞こえる。ちら、と視線だけを上げると、形の良い眉がやや上がっていた。だが気付かないふりをしてみせる。
「まほちゃん誰か男の子と付き合ったことある?」
「ううん」
首を軽く振る。引き寄せられた頭は、ちょうど彼女の胸のそばにあり、あまり起伏は大きくないわりに柔らかな感触が頬に当たる。
「だけどあの亡くなった人」
彼女はあの、あたしの手に傷をつけた人のことを持ち出す。あれは付き合ったと言えるのだろうか?
確かに彼が来る日は楽しかった。あまり着ないとって置きの服で彼の車に乗って遊びに行った。教えてくれる音楽の話は面白かった。
でもそれだけだ。
「確かに何となく好きだったけど、そういうことはなかったもの。向こうはあたしを妹としか思ってなかっただろうし、あたしもたぶん兄さんのように思ってたんだわ」
やや嫌みかな、とあたしは言いながら思う。ハルさんはその「妹」みたいにあたしを扱っているはずなのだから。
彼女はどう思っているのだろう。罪悪感でもあるというのだろうか。今更。
そしてそんなあたしの疑問を映したのだろうか。彼女は訊ねる。
「気持ち悪くない?」
「どうして?」
あたしは問い返す。何を今更。
「ハルさんはやーらかくて、あったかくて、気持ちいいもの。別に。何か悪いことしてるの?」
そう。別にあたしは悪いことだとは思っていない。確かに当初はびっくりしたけれど、それは決して悪いと思ったからではない。でもハルさんは確実にそう思っているはずだ。
「あたしは別に悪いとは思わないわ」
たとえそんなことを言ってみせたとしても。本当に悪くないと思っていたら、そんなことは聞かないはず。
「だけど世間では珍しいらしいわね」
「へえ」
関心ないような調子で答えてみせる。どうやら彼女はあたしに訊ねて、その答で自分の罪悪感を消したいのだと思う。
それではご希望にお答えして。正直なところをあたしも言いましょう。
「あたし知らなかったもの」
「何を?」
「人があたしに触れてくれることがあるなんて」
彼女は、ふと言葉が見つからなくなったらしい。でもこれはあたしにとっての事実で、真実だ。
「もちろんそういうことがあることくらいは知っていたけど」
「そう?」
どうやらまだ動揺しているらしい。
「学校でも、女の子達、話してなかった訳じゃないもの」
「へえ…… 共学だったの?」
「ううん、女子校。でもね、他の学校に付き合ってる子がいるっていうのもあったし、世話焼きな子は、自分のボーイフレンドの友達を紹介するってのもあったし」
「ああ、そういうのならうちにもあったわ」
ようやく自分でも判る範囲に話が入ってきたと思ったのだろう。言葉に露骨に安心という文字が浮かんで見える。
「ハルさんのところも?」
「何処だってあるわよね」
一般論に持っていきたいのだろうか。でもまあどっちでもいい。
「うん。でもね、何かいつも実感はなかったな」
さりげなくあたしは言った。すると彼女は肩に回した手の力を強めた。手の平の熱さがじんわりと伝わってくる。
「何かね、話を聞いて、ああいいな、とか思うことは思うのよ。だけどそれはいつも他人事で…… 何って言うんだろ? 例えば幸せなお姫さまの話とかあるじゃない」
「うん」
「ものすごく甘ったるい、ラストシーンは、『そして二人は幸せに暮らしました』。そういう内容だっていいわ。とにかくおとぎ話の中の、幸せで幸せで幸せなカップルって居るじゃない。そういうの、話聞いて、あたし『ああ良かったね』と笑って言えるし思うんだけど、『そうなれたらいいな』と考えられないの」
「どうして?」
不思議そうな顔で彼女はあたしの顔をのぞき込む。あたしはやや上目づかいに彼女を眺める。
「どうしてなんだろう? ただ、考えつかなかったのよ。誰かがあたしに触れてもいいと思える程好きで居てくれる状況っての」
「そんな仰々しいもの?」
彼女は軽く眉を寄せる。
「だってあんまりにも、そういうことなかったんだもの」
「そんな訳ないでしょ」
「そんな訳あるわよ。幼稚園の時かな? 小学校かもしれない。あたし、すごい不思議だったもの。その、幼稚園だの学校だのの帰りに迎えに来て自分の子供の頭撫でたり抱きついたり手をつないだりする光景っていうの」
彼女は再び言葉が見つからなくなったらしい。すると手の力がやや加わる。
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