第64話 意地悪31(変化)

 はぁ、眠い。雨宮が俺の家に来た次の日、俺は学校でものすごい睡魔に襲われていた。

 これも全部雨宮のせいだ。昨日、雨宮にキスをされた。頰とはいえキスはキスだ。普通はカップルが愛情表現の一つとして行う行為。それを雨宮が俺にしてきた。


 雨宮が俺のことを好いているのは前に打ち明けられた時から知っていた。いや、知っているつもりでいた。だが俺は本当の意味で雨宮の好きという言葉の持つ意味が分かっていなかった。


 カップルでもない相手にキスをするなんて普通の人なら出来ない。ましてや女子からなんて到底出来ないことだ。だが雨宮はそれを成し遂げた。


 どれだけの勇気を振り絞ったのだろう。どれだけの覚悟を持っていたのだろう。雨宮の持つ俺への想いの強さに、じんわりと胸が熱くなった。雨宮が帰ってからキスされた時のことが、今もずっとぐるぐると頭の中で回っている。


 寝ようとしても雨宮の唇の感触が頭から離れないせいで、結局昨日はうまく寝付けなかった。キスのことを考えるたび、俺の家を出ていった時のからかう表情の雨宮の顔が頭の中に浮かぶ。


 いつもなら意地悪のことを考えているときしかほとんど雨宮のことを思い出さないのに、昨日からずっと雨宮のことが忘れられない。


 そしてその忘れられない雨宮のことを考えると胸がそわそわする。なんというか落ち着かない感じだ。


 一体なんなんだ?この変な感じは。こんなことは前まで一度もなかった。初めての感覚に戸惑う。


 雨宮にもう一度会えばこの感覚が分かるはずだ。そんな気がする。大方、あまりに昨日の意地悪が上手く成功しすぎて、今日の意地悪が楽しみでそわそわしているんだろう。


 俺は今の自分の気持ちをそう思いこむ。とりあえず雨宮に会おう、そう思い俺は昼休みを待ち望んだ。


 未だに収まらない、そわそわした感覚を味わいながらの昼休みがやって来た。いつもなら雨宮が現れる時間だ。まだかまだかと待ち続けるが、一向に現れない。


 あいつ、どうしたんだ?今まで出会ったから一度も来なかったときなんてなかったのに。ただでさえキスをされたことで雨宮のことが気になっていたが、初めて昼休み教室に現れないことで、さらに雨宮のことを考えてしまう。


 今日1日でどれだけあいつのことを考えればいいんだ!?嫌いな奴なのに。嫌いな奴なはずなのに。あんな勝手に関わってこようとする奴なんて放っておけばいいはずだ。なのにどうしてこんなに気になる?


 なんで俺は雨宮のことをこんなに意識しなければならない?自分の気持ちがおかしい。俺は矛盾した感情に戸惑い続けた。結局昼休みに雨宮は現れず放課後になってしまった。


 気にしていても仕方ない。帰るか。帰りの支度を整え教室を出ようとする。そんな時、声をかけられた。


「神崎くん、今日は雨宮さん来なかったね」


 振り返ると東雲がこっちを見ている。


「そうだな、まあこんな日もあるだろ」


「あまり気にしていないみたいだね。まあ、一応言っておくと雨宮さんは今日風邪で学校を休んでいるみたいだよ。さっき華から連絡があったんだ」


 その言葉にスッと心が落ち着いていく。そうだったのか、なら来ないのは仕方ないな。


 雨宮が来なかった理由に安心したことで、自分が思っていた以上に雨宮のことを気にしていたのだと自覚した。


「なるほど」


「お見舞いに行かないのかい?」


「……行く理由がないだろ」


 正直、雨宮のことが気にはなる。


 風邪を引いた原因はどう考えても雨に濡れたのが原因だろうからな。濡れた制服を着せたし、俺が一因かもしれない。だが雨宮の見舞いに行く理由がない。嫌いな奴を心配するなんておかしな話だしな。


「神崎くん、理由なんてあるに決まってるじゃないか」


 東雲は俺の反応に少しだけにやけて、声を高らかにして俺の肩に手を置いてきた。


「はぁ?どんな理由だよ?」


「そんなの意地悪に決まってるじゃないか。いいかい?雨宮さんは今風邪を引いて弱っているんだ。そんな状態を見られるなんて、相手からしたらたまったものではないと思わないかい?」


 どこか楽しげに意地悪を語ってくる東雲。本当にこいつは俺と同じで意地悪が大好きな奴だな。


「なるほど、それはいい考えだ。よし行ってくる」


「うん、神崎くんの意地悪、期待しているよ」


 まだにやけ続ける東雲を横目に、俺はすぐにその場を後にした。意地悪か。確かにそれなら行く理由になる。これは心配で行くんじゃない。意地悪をするために行くんだ。だから問題ない。


 くくく、雨宮の弱った姿をじっくり観察してやる!覚悟してろよ!


 こうして俺は意気揚々と雨宮の家に向かった。


 前に一度傘をさして一緒に来たことがあるので、スムーズに雨宮の家に着くことが出来た。ドア横にあるチャイムを鳴らす


 ピンポーン


「……はい」


 チャイムを鳴らすとスピーカーから声が聞こえてきた。


「神崎裕也です。雨宮えりさんのお見舞いに来ました」


「せ、先輩!?なんで私の家に!?」


 スピーカーから驚いた声が聞こえてくる。どうやら雨宮本人だったようだ。


「だから見舞いに来たんだよ。開けてくれ」


「わ、分かりました……」


 スピーカーの音が途切れ、少しするとドアがガチャリと開けられた。ひょこっと頰がほんのり色づいた雨宮が顔を出す。


「ほ、本当に先輩がいます……!」


 驚き目を丸くしているが、目がキラキラ輝いていてどこか嬉しそうだ。そんな明るい笑顔にドキッと胸が高鳴る。


 な、なんだ、これは……。


 雨宮を直接見ることが出来ず、ついっと顔を逸らしてしまう。こんなことはこれまでなかった。雨宮を見てなんで俺は顔を背けた?


 自分の行動が理解できない。もう一度雨宮のことを正面から見るが、すぐに目を下に下げてしまう。自分の行動を制御出来ず、戸惑い続ける。


「……先輩?」


 俺の行動を不思議に思ったのか、きょとんと目を丸くする雨宮。なぜかそんな姿でさえ可愛いと思ってしまった。


 こんな奴を可愛いと思ったことなんてこれまでなかった。いや、容姿が可愛いとは思ったことがあったが、こいつの雰囲気が可愛いなんて思ったことはなかったのだ。


 嫌いな奴を可愛いと思うなんて、俺は馬鹿か?意地悪を出来るんだから相手のことは嫌いなはずだ。だから俺は雨宮のことが嫌いなはずだ。間違っていないはずだ。


 何度反芻して嫌いだと思い込もうとしても、どこか引っかかる。それがなんなのか今の俺にはまだ分からなかった。


 喉の引っ掛かりをごまかすように早口で雨宮に話しかける。


「見舞いに来てやったんだ。入れてくれ」


 逸らしたくなる感情を抑え、なんとか雨宮の方を見てそう告げる。


「は、はい!どうぞ……」


 緊張したように身体を硬直させながら、雨宮が案内してくれた。


「お邪魔します」


 こうして、自分の気持ちが理解できないところがあったが、上手く見舞いに行くことに俺は成功した。




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