第十二話 現れし、付き纏う影

 ナユタは、酒場のカウンターに近づき椅子に腰掛けると、両肘をついてマスターを正面から見据えた。

 ルーミスもこれに追従し、緊張に貌を青ざめさせながら椅子に腰掛けた。


「こんにちは……。マスター、わたしとこの子に、ミルクを一つずつ頂いていいかしら?」


 これを聞いた、酒場の男たちから粗野で大音量の嘲笑が響き渡った。


 しかしそれにしても――。とても、普段の蓮っ葉なナユタの口から出ているとは思えない、妖艶で悩ましい口調と声質で発される、落ち着いた女性らしい言葉遣い。

 さらにカウンターの上に置いた手と指を艶かしく動かし、自分のさらけだした胸元が見えるようやや前かがみにしながら「しな」をつくる。

 目元も潤わせながら艶やかな視線を相手に投げかけ、口も吐息が漏れるのが感じられるかのようにやや半開きにしている。

 隣で見ているルーミスも思わずその大人の女性の色香に魅入られ、見とれてしまったものの、すぐに思い直し「云ったそばから結局それか?」と云わんばかりの非難の目を向ける。


 だがこれを向けられた相手の男は十中八九、この女は間違いなく自分に気があると脳内補正し勘違いするであろう。今のその相手である、三十代位と思われる風采の上がらないマスターの男も当然ながら術中にはまっていた。


「あ、ああ……いらっしゃい、すぐに用意するよ。

……お姉さんは、マナグラムの巡礼者だね? そ、そっちはあんたの弟さん、なのかい?」


 客商売を生業にする者として、女性との会話も慣れているはずのマスターが、貌を赤らめしどろもどろになっていた。

 

「ええ、そうよ……。この子はルイン、私はナターリア。レガーリアのマガルク族出身なの……。

100km以上も馬車で旅してきて、もうクタクタ。一刻も早く喉を潤したいのよ……」


 それを聞いた、ナユタらの背後でテーブルに付く人相の悪い中年男四人組が、下卑た笑いを投げかける。さらに、酔った勢いの大声で、下品な台詞を飛ばす。


「おおい、姉ちゃん! だったら俺のミルクを飲むかい!? あんたぐらい別嬪なら今すぐにでもご馳走してやれるぜ!」


「こんな場所に、ただ子守で来たわけじゃねえだろお!? 路銀を稼ぎたいなら、俺たちのテーブルに来て酌してくれねえかあ!? あんた如何によっちゃあたんまり弾むぜ!?」


 足で床を踏み鳴らし、手にした杯をガンガンとテーブルに叩きつける音がさらに耳障りだ。

 ルーミスは嫌悪感に貌をしかめたが、ナユタはそんな素振りは露ほども見せずに、まずはマスターから手渡されたミルクの杯に口をつけた。


 両手で柔らかく杯をつかみ、そっとその縁を紅い唇につける。

 目を閉じて唇を蠢かせながら口の中に流し込み、数回ゆっくりと嚥下するとゴクリ……ゴクリと喉が動いて音を響かせる。

 飲み終わったその唇にはかすかにミルクが残り、それを舌でゆっくりと舐めとると、杯を置いた手を近づけて人差し指と中指の先端で軽く残った残滓を拭き取る。


 ただミルクを飲むだけのその所作は、ナユタが行うととてつもなく淫靡で、その場にいる男たちの何かを掻き立てた。全員が――ルーミスも例外でなく――その様子に目が釘付けになっていた。

 目だけでなく身体が吸い寄せられるように感じ、実際に何人かは席を移動しカウンター側に近づいていた。


 ナユタはその場の様子を一瞥すると、椅子を回転させて野次を投げかけた四人組の方を向いた。


「まあ……! 私に声をかけてくださるのはとても嬉しいけれど、もう少しだけ素敵な言葉で誘っていただけたら……と思いますわ。おじさま方は、きっとインレスピータ族次席の、とってもお偉い部族の方なんでしょう? お酒を召していない普段でしたら、もっとお上品な言葉でお話になっているでしょうに……」

 

 ナユタのその言葉に、意を得たように男たちは胸をそびやかした。そして傲岸なその返答は先ほどと違い、多少酔いの気配を払って理性的なものが戻ったように見受けられた。


「その通りよ……。我々は誇り高きドミナトスのダゴン族。政府高官を幾人も輩出してるんだ……。たしかあ……レガーリアのマガルク族って云ったか……凄え南の端っこの、海に面した所に居るっていう希少族だろう? そんな身分の姉ちゃんが話できる相手じゃあねえのよ。云ってみりゃあ、光栄なこと、なんだぜ!?」


 カマをかけたナユタの読みが当たったようだ。

 マガルク族のことは――行商団の人間から聞いていた。ナユタが、この国で一番希少マイノリティで、他の部族にその実情を知られていない部族は? という質問に対し帰って来た部族の名だ。名を騙っても、下手なことを聞かれてボロを出す可能性の最も少ない部族なのだ。


「ああ、やっぱりそうでしたのね? お話できて、とても光栄ですわ……。

私達、そんな辺境のいやしい身分ではありますけど……こうしてマナグラムの巡礼者として、主神ドーラ・ホルスの御下に参るのが本当に長年の夢でしたの。

私は母を早くに亡くし、父も部族の重責がたたり病に倒れて……。私が女手ひとつでこの子を育てながら貯めた財産でようやくバレンティンに参ることができると思っていましたのに……。

肝心のバレンティンに入るのには、検問で反乱軍と無関係だと証明する必要があると。それがレガーリアの民には特別厳しく、何人も追い返されていると聞きました。

おじさま方のお力で、なんとかしていただく訳には参りませんでしょうか?」


 つらつらと喋り続けるナユタに対し、よくもまあこれだけ次から次へとでまかせが口をついて出るものだと、ある意味ルーミスは感心していた。この場で思いついたに違いないが、信憑性を持たせるに十分な説得力があり、かつ一定の同情を喚起するストーリーではある。そしてその演技も完璧であった。

 現にこの場に、疑いを抱いて居る者は皆無なようだ。

 さらに目を潤ませ、すがるような口調で懇願するナユタに対し、ダゴン族の男たちは早々に邪な思いを抱いたようだ。彼らはニヤニヤと厭らしい笑いを浮かべながら身を乗り出してナユタに云った。


「そうか、そういう事かい……なら、取引きしようじゃあねえか、姉ちゃん。

あんたがここで俺たちの席に付き合い――。その後俺達の宿舎に付き添って一晩居てくれたら、検問の宿直部族に話を通してやる。もちろん、そっちの坊やはお留守番させた上で、な?

どうだい、悪い話じゃねえだろう?」

 

 それを聞いたナユタが言葉を返す前に――。

 別の方向から、声がかかった。


「……ちょっと待った。お客さん、ダゴン族の方々とはいえ、それはちょっと見過ごせないですよ。利益でお役人に口を利くなんてのはね……」


 その声は、マスターだった。

 彼は、その風貌に似合わない凛とした口調と表情でダゴン族の男たちに言い放っていた。

 おそらくは、自分に好意を持ってくれていると思っている女性を守らねばと、白馬の王子のような心境になっているのか。その様子に、ルーミスは吹き出しそうになり、若干この状況を楽しみかけている自分を自覚し始めていた。

 と同時に、ナユタの巧みな話術、情報収集の術にも舌を巻いた。

 短時間にこれだけの人物から重要な情報を引き出し、これに耳を向けている周囲の人物も、流れ次第では巻き込んでさらに情報を引き出せそうだ。……まあ一定のリスクは背負い込みそうではあるものの、あえて目立ち耳目を集める、というナユタの言葉は間違っていなかった。


「お姉さん、いや、ナターリアさん。あんたの境遇には同情する。普段のお役人だともしかしたら追い返されるかもしれないが、あのお方なら。 

町長ネイザン・ゴグマゴグは、とても話のわかるお方だ。あの方は、毎週火曜日に宿直を直接統括なさる。

そのときに来てくれれば、私の口利きであの方に話を通せるかもしれない」


 それを聞いたダゴン族の男たちは色めき立った。


「なんだと、テメエ、マスター! 周辺部族の分際で、俺ら次席部族に逆らう気か!?

ネイザン町長のお気に入りだってんで、少々つけあがり過ぎじゃあねえのか!?

俺らのことをどうのこうの云うが、テメエの今やろうとしてることのどこが俺らと違うってんだ? 同じ目的じゃあねえのか?」


「あんたらと一緒にしないでくれ。何も知らない女性を連れ込んで乱暴しようとしてる輩なんかと――」


 それに対しさらなる罵詈雑言を投げつけるダゴン族の男たち。

 すでに、ナユタの色香に惑わされた男たちの醜い争奪戦の様相を呈している中、ルーミスがナユタに耳打ちする。


「どうするんだ……! もうすでに収拾がつかなくなってないか……?」


「まあ待ちな。今んとこ、どっち側の男も良さそうに見えて眉唾だし、事実だとしても安定性に欠ける。この話に誘われて、本当の利益を持ったまことの白馬の王子様が、もう少しで釣られてくるはずさ――」


 そうこうしているうちに、横合いから声をかけてくる一人の男が居た。

 若い男だ。金髪の長髪をオールバックにした、なかなかの好青年だ。


「まあ待ちなって……マスターも、ダゴン族のお歴々も! 

お嬢さん、俺はドニー・ガラハッド。運送業者だ。

グラドとバレンティンを行き来する荷物を日々運ぶ仕事をしてる。運んでるのはだいたい、絹織物だとか貴金属だとか……他国の希少な酒樽だとかいった、王族方に届ける貴重品だ。

ちょうど明日も、バレンティンへ届ける荷を預かってるところだ……。貴重なだけに、でっけえコンテナに不似合いな緩衝材をいっぱいに詰めて、な。

まあこれだけ云えば、賢そうな貌してるあんたにはわかる、だろ?」


 これを聞いたナユタの貌が、一気に輝いた。まさに、待っていた獲物を前にした狩人のようだった。

 もちろん下心があるのに変わりはないものの――自分たちが身を隠すにうってつけな箱を所有する人物が、思いの外早く網にかかってくれたのだ。


「まあ……素敵ですわ。絹ですとか貴金属だなんて……。

一生に一度でいいから、見てみたいと思っていましたの……。早速、これから私達を案内してくださるかしら?」


 そしてカウンターにお代の銅貨を置いてルーミスの手を引く。

 呆気に取られる、今まで当の女を奪い合っていた男たちである、ダゴン族の四人組とマスター。


 手招きしながら、足早にドアを目指す、ドニー・ガラハッドと名乗る男。

 手を引かれるルーミスは、またナユタに耳打ちした。


「お、おい……。本当にこの男でいいのか、ナユタ。もうちょっと色々と話してからのほうが――」

 

 その問いに対するナユタの答えは、簡潔だった。


「なあに、あたし達の最終的な結論は、ただの一言だけで決着がつく」


 酒場のドアに手をかけたドニーに向かって、ナユタは声をかけた。


「ねえ……一つだけ、尋ねてもいいかしら? あなたは、もしかして――“サタナエル”じゃあないのかしらねえ!!??」


 この言葉を聞いたドニーの貌が――。

 一瞬のうちに変貌した!


 両眼は大きく剥かれ――口角は凶悪に吊り上がった。即座にその両手を懐に突っ込み、取り出すと――そこには漆黒に彩られた金属の巨大な鉤爪が装着されていた。それは、サタナエル一族の結晶手に酷似していた。

 同時にその両足のブーツの爪先から同様の鉤爪が飛び出したかと思うと――やにわに右足を上げて人間離れした脚力でドアを蹴りぬく!

 ドアは数m先へと吹っ飛んでいき――。なくなった部分から露出した建物外には――明らかに平民でも、兵士でも傭兵でもない、戦うために生まれてきたような面構えと装備の男女三人が待ち構えていた。


 もう、判断するには十分すぎた。ナユタは瞬時にその手に爆炎を形成し、両手の火力を一気に集約し、目前の「敵」に対しぶつけた。


魔炎煌烈弾ルシャナヴルフ!!」


 「敵」はまるでその攻撃を予測していたかのように――。両腕をクロスさせて最大限の耐魔レジストを行った。

 酒場の壁を木っ端微塵に吹き飛ばす強力なる爆炎の勢いに付近の客は逃げ惑い――「敵」自身は10m近く、大きく吹き飛ばされはしたものの――ちょうど仲間と思われる者共の付近に着地すると、不敵な笑みのまま、低く言葉を発した。


「手荒い挨拶だなあ……“紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーイン。まあ、それを予期してたからこそ、強力な耐魔レジスト能力を有するこのおれがおまえをエスコートしに伺わせてもらったわけだが。

おれは、“短剣ダガー”ギルド副将、シャザー・ガーグリフィス。

我が将鬼ロブ=ハルス様の命により、ご息女たるレーヴァテイン様を傷つけ敗走させた憎きおまえをこの一ヶ月探し続け、マークしていた。

ここで、その首を持ち帰り――。ロブ=ハルス様に対する我が功と同時に、レーヴァテイン様に対する我が想いの証としてくれよう」


 すでに、戦闘態勢に入り血破孔打ちを完了しているルーミスの姿を横目に確認したナユタは、背負った袋を後ろ手に叩いた。

 すぐに中から叩き返す力を感じた。ランスロットの存在に敵であるシャザーという男が気付いていなければ、戦局を大いに有利にできる。

 ナユタは、先程までとうって変わった、素の状態に戻り蓮っ葉な言葉で返す刀を切りつけた。


「ちょっとちょっと……懐かしい名前と、そっちの複雑な内部事情をいきなり出されても、こっちゃあ頭がついていきゃしないわよ。

まああの気持ち悪い男の部下だってとおり、あんたも相当に気持ち悪い男らしい、ってことだけは痛いほどわかったよ。

あのストーキング男も、いずれは灰にしてやる必要があると思ってたんだ。あんたも同じ汚物として、ここで先に消毒してやるよ!!」

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