第21話 「我々があなたにしてもらいたいのは、目覚ましです」
「ではそろそろこちらのお願いも聞いていただけますか?」
「何だ?」
そして端末は歌姫の方に目を向ける。歌姫はポタージュの入ったカップをずず、とすする。
「先ほどは失礼しました。確かにそういう気配はあったのですが、本当にあなたがメゾニイトの歌姫なのかどうか、確かめたかったので、ああいう方法を取らせていただきました」
「…」
歌姫はカップを置くと、憮然とした顔になる。そりゃそうだ、と俺は思う。そして歌姫の肩に手を乗せる。奴は特に払う気配はない。だが黙ったままだ。当然だろう。
俺は奴の代わりに反論する。
「だがな、いくら何でも神経拷問の機械を使うことはないだろ?」
「他に人間の精神に直接作用するものが見つからなかったもので。それに」
「それに?」
「効果が少しでもあれば、すぐにスイッチを切ればいいと思ったのです。長時間稼働させるつもりはありませんでした」
「…だが結構な時間、していたんじゃないか?」
いやそうじゃない。あれは、十分も続ければ受けた奴が参ってしまう。大抵は五分もやれば拷問としても充分だ。
「だから十秒か十五秒で済ませようとしました。ところが、番狂わせが起きまして」
「番狂わせ?」
「我々までが、共鳴してしまったのです」
ち、と俺は舌打ちする。そりゃ確かに番狂わせだ。端末の表情も、微かに歪んでいる。
「…なるほどそれであんた等自体が、身動き取れなくなったんだ」
「はい。さすがにこちらも反省しております。あれはひどい」
…だったら最初からしなければ、いいのに。
「ですが、どうしても、メゾニイトの歌姫でしたら、お願いしたいことがあったのです」
「だからそれは何だよ」
歌姫は初めて端末に向かって口を開いた。
「あんたも俺を、武器か何かに使おうっていうの? ここには人間がいないもの。歌姫の俺ができることなんて、そのくらいだろ?」
「いいえ」
端末は目を大きく開く。そして首を大きく横に振った。
「そんなこと」
「だって他に何ができるって言うんだよ?」
だん、とテーブルが音を立てる。奴の肩に乗せた手が、立ち上がり際、ずるりと落ちた。
黄色い茶がガラスのカップの中で揺れる。眉を思い切り寄せ、思い切り不機嫌そうな顔になって歌姫は反論する。
「この地で武器は必要はありません。戦争をするのは人間だけです。人間がいないこの惑星で、それはあり得ません」
「だったら」
「我々があなたにしてもらいたいのは、目覚ましです」
端末は、両方の腕をテーブルの上に立てた。
「め… ざまし?」
気が抜けたような声が、俺の頭上から響く。落ち着け、と俺は奴の腕を掴み、再び椅子に引きずり下ろした。
「ええ。目覚ましです」
「それは、何を、起こすんだ?」
今度は俺が問う番だった。端末は一度テーブルに視線を落とす。
「…ここから200㎞くらい先に、ここよりはやや大きい都市があるのですが…二十年程前から、停止しています」
「都市」
俺はその言葉を繰り返す。はい、と端末は答えた。とすると、こいつのように、意志を持つ管制コンビュータの居るタイプということだろうか。
「それを?」
歌姫は短く訊ねる。はい、と端末は再び答えた。
「『彼女』にはレプリカ脳が使われています。あのレプリカの反乱が起き、鎮圧された時に、それが大きな悲しみとなって『彼女』達を襲い、永の眠りにつかせました」
「…あんたコンピュータのわりには詩的だな」
「失礼しました。私を組んだ方にそういう傾向がありましたので。…言い換えれば、この地球上にある、大小関わりなくそれを中枢に使われている管制コンピュータが、そのショックで停止してしまったのです」
何で、と俺は反射的に訊ねていた。
「だって、ここはあの惑星からはずいぶんと離れているじゃないか」
歴史としてはまだ浅い「レプリカの反乱」は、確かまだ俺も子供の頃だ。何でも、各地からレプリカントが一つの惑星に集結して、人間に対して反旗を翻したらしい。独立を宣言して。
なかなかそれは事件だった。何せ人間に楯突くことなど考えられなかった人工の生命体が、いきなり「反乱」なのだから。
俺も詳しくは知らない。知っていることと言えば、その程度だ。そしてコウトルシュからは遠い惑星だったということ。だがここはもっと遠くないか?
だが端末は頭を横に振る。
「距離は関係ないらしいのです」
「らしい」
曖昧な言葉。
「『彼女』はそう言っていました」
「そうかあんた『彼女』が好きなんだ」
歌姫はいきなり口をはさんだ。は? と俺は奴の方を思わず向いていた。だがそれは真顔だった。冗談ではない。そして端末もまた、はい、と答えた。
「…無論、この地にも私以外の者は存在します。雪が溶ければ、冬眠している動物も植物もデザイア達も目を覚まします。そうすれば私も仕事が始まります。特に大きなことをする訳ではありません。自然本来の食物連鎖に水をさすこともしません。ただ、門は開けておきます。そして嵐が来て、彼らが私の地に雨宿りをしたいというなら、その軒を貸してあげる、その程度です」
「でもそれがあんたの仕事なんだ」
歌姫は低い声でつぶやく。はい、と端末も同じようにつぶやいた。何やら俺は、暖かいものが胸に広がるのを感じていた。
「私はその仕事が好きです。少なくとも、欲望溢れる世界で、都市内の些末なことで争いを繰り返し、悪いことは全てこちらに責任を押しつけるような人間達の社会を管理するよりは」
俺は苦笑する。その部分が、人間の生気溢れる部分だ、と言ってしまえばそれまでだが…管理する方は、確かにたまったものではなかったろう。
「遅い春、短い夏、僅かな秋の間、私は自然の移り変わりを見ながら過ごしています。ですが、長い冬の間は、そうもいきません」
「あんた一人になるんだ」
はい、と端末は歌姫の問いに答える。
「長い間、そうでした。人間が居なくなって百年程、そんな四季を見てきました。…そこへ語りかけてきたのが『彼女』でした。『彼女』は私より大きな都市ですが、やはり同じ様な日々を過ごしていました。そして宛ても無く電波を飛ばしていたら、近くに私の存在を見付けたそうです」
悠長な話だ、と俺は思った。百年も近くの都市の存在に気付かなかったのだろうか。…まあ寿命が違うのなら、仕方がないのだろうが…
「だけど」
俺は口に出していた。
「それまでずっと、あんた等はお互いの存在に気がつかなかったのか? 地図くらいあるだろう?」
「それは無論あります。地球上の何処の都市が何処にあり、どれが純粋メカニクルで、どれがレプリカ脳であるかも、無論判ります。ですが、私は『彼女』が語りかけてくるまで、そういうことがあるとは思ってもみなかったのです」
…俺は何となく、同級生の恋の悩みを聞いているような気分になっていた。女が多い惑星だったから、男も女に囲まれて育ってくることが多い。そんな中では、だんだん女という存在に鈍感になってくるのが普通だ。
だがその中で、いきなり一人だけ、輪郭がはっきりして、その唇から流れる言葉一つ一つが新鮮に感じられる女が出てくるのだという。
つまり、それが恋なんだと。
俺は無意識に目を細めていた。どうだったろうか、俺は。
彼女に、それを感じていただろうか。
歌姫の赤い瞳が、ちら、とこちらを向いて、また端末の方へと戻る。
…俺は。
「それからは、長い冬もさほどに長くは感じませんでした。彼女の見る風景を私も見、私の見る風景を送り、春夏秋にあったこと、もっと昔にあったこと、これからのこと、様々なことを語り合ったものです。それはひどく楽しいものだった。だけどそれは、二十年前に、いきなり止まってしまった」
端末の表情は微かに曇る。
「幾ら電波を飛ばそうが、返事は無い。心配して探索機も飛ばしました。反応はありません。全く停止している訳ではないのです。低いエネルギー反応はあります」
「つまりは、眠っていると」
「そういうことです。エネルギーの再生産機能は、『彼女』なしの自動運転では動きません。ですから残存エネルギーだけが、眠る『彼女』を生かし続けている状態です」
「…ああ…」
歌姫はやや苦しげな顔で大きくうなづく。しめつけられるような感覚が、俺の胸にも響く。
「お願いします。あなたなら、できるはず」
「…本当にできるかどうか、判らないよ」
乾いた声が、歌姫の唇から漏れる。いいえ、とそれを見て端末は手を振った。
「あなたの声は、よく響きますよ。おかげで我々もよい気持ちにさせていただきました」
え? と歌姫は目を丸くし…
次の瞬間、顔を真っ赤に染めた。
…鈍感な俺がその意味に気付いたのは、後で睡眠を取るべく用意された部屋でだった。
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