第20話 「俺の持ってるものって、一体何なの?」
「船が」
「そう。船が。船が、こんな戦域なんか放っておいて、何処か、誰もいないような星域に行きたいって思ってしまったんだよ。…でここに飛んだ。あの時、結構突然だったろ? 超空間航行に入ったのって」
ああ、と俺はうなづく。
あの時、何の予兆もなく、窓の外の光景は変わった。身体に奇妙なGがかかり、それを押さえるのに一苦労した。何が起こったかと思った。
だがそのせいで、船内はパニックに陥り、そのパニックを利用して俺は扉を破り、空間の様子を見はからい、小型船を奪取して、最寄りの惑星に不時着した訳だが…
「お前はよく平気だったな」
よ、と腕を回し上半身を抱えながら、背中を流す。奴の頭がこっちの肩にもたれかかる。まあね、という声が耳元に近づく。
「船は、俺は守ってくれたから」
「船が、か」
同じ言葉を俺は繰り返す。
「そ。他の奴はどうか知らないけど、とにかく船は俺だけは守ってくれた。無茶苦茶な状態になったからさ、奴らは慌てて出て行ったよ。ひどいもんさ。もう格好なんて見ちゃいられない。滑稽なもんだよ」
…予想はつく。
「でも、ま、連中が持ち場に着くべく出て行っちゃったから、俺は俺で、慌てて適当な服を着込んでさ」
それがあのぶかぶかの真っ赤な防寒服という訳か。
「で、俺は俺でどうしたもんか判らなかったから、廊下に出てうろうろしていたら、気配の中に、ここに入っていろ、ってのがあったから、その気配の言うところに入って、じっとしていたんだ。そしたら急に速度がおかしくなって…その部屋は、着陸寸前に、それごと飛び出した」
俺はうなづく。おそらくは、そこは脱出ポッドになった特別室だったのだろう、と俺は推測した。大きな船には必ずそういう部屋は一つあるのだ。大抵は、お偉いさんのために。
だが船が選んだのは、歌姫だった。
「可哀相なことをしたよね」
「何、船員達がか?」
「まさか。船だよ。俺が同調させちゃったから、まだ飛べたのに、こんな遠くまで来させてしまった」
する、と奴の手が俺の首に回る。
「本当に」
ぎゅ、としがみついてくる気配。俺は手を止める。
「…俺はさ、別にこんな身体に生まれたことには恨みはないよ。そんなのは、だって、結局お前が言う通り、運だもの。どんな身体に生まれようが、いい場所に生まれようが、何かいいことも辛いこともあるし… 上を見ても下を見ても切りはない…」
口の中で転がすような声が、聞こえるか聞こえないかくらいに俺の耳に響く。
「だけどさ、時々嫌になる。武器としか見られなかったり、味方してくれたものを傷つけてしまったりするんじゃ…」
腕の力が、やや強まる。
「俺の持ってるものって、一体何なの?」
それは。
「滅多に出ない『暁の』歌姫だから、メゾニイトの連中は俺を好きにはならない。好きなひとができたって、俺は男じゃないから、そのひとが女である限り、子供を作ってやることもできない。そのひとが男だったとしても、子供を産んでやることもできない」
そういえば、と俺は思い返す。メゾニイトは、子供が生まれにくいから、そうすることが、一番の愛情表現だと聞いている。そして、相手が何人だろうが、誰が誰とそうしようが、結果として子供ができれば、それは大した問題ではないと…
そんな中で、男に子供を生んでやることも、女に子供を生ませることもできないこの歌姫は、確かに枠の外だったのだろう。
「じゃあその代わりにって、男の声も女の声も与えられていたって、結局、誰のためになるっていうんだよ… どっかの独裁好きの馬鹿のためになんか、俺歌いたくない」
語尾が、震えている。
「歌うことは好きか?」
俺は歌姫の背中を軽く指先で叩きながら訊ねた。奴はうん、とうなづいた。引きつった声で、奴は続ける。
「それ自体は、好きだよ。俺の声は、故郷の誰よりも、遠くに届いた」
「じゃあ俺は、お前の歌を聞きたいよ」
奴は顔を上げた。目の下が、赤く染まっている。俺はその脇を軽くついばむ。奴は目を閉じる。だがそれだけだ、今は。
「…今?」
「今じゃなくていいさ。いつでも。お前が好きな時に」
この地は、きっとそれを許してくれるだろうから。
歌姫は考えとくよ、と言って絡めていた腕を離し、ゆっくりと目を開けると、その横をこすった。
俺は気付かれない程度にくす、と笑うと、ほら目をつぶれと言って、奴にざぶん、と湯をかけた。
*
「えー」
と言ってからこほん、と向こう側の椅子に座った端末は咳払いをした。
もぐもぐ、と口を動かしながら俺は声の方に顔を向ける。
浴室から出て、そこの従業員用だったらしい作業服を身につけ、乾かした髪をくくってしまうと、さすがにさっぱりした。
歌姫にも同じ服が渡されたのだが、どうもそれは奴には大きかったらしい。袖も裾も折られ、腰のベルトは一番奥の穴でも緩いので、ほとんど結んでいるような状態だ。
どういう具合か、浴室から出たらすぐに端末は待っていた。そして食事を用意してある、と俺達に告げた。
案内された部屋は、がらんとした大食堂だった。やはりかつては大人数が使っていたのだろう。その一番厨房に近い席だけが、灯りを点けられ、ほこりを払われていた。
言われて、温蔵庫の中からトレイを取り出す。フォークやナイフ、もしくは箸と言ったものも適当にそこいらにあるものを使ってくれ、と言うから、目についたものを手にした。歌姫は意外にも箸を希望した。なかなか訳の判らない文化圏だ。最も、資源の少ないところでは便利な道具ではある。
どうやら俺達が浴室に居た時間は結構なものだったらしい。そこのトレイをどうぞと指された温蔵庫に入った食事パックはちょっとばかり煮詰まっていた。
何だか判らない肉団子のようなものや、形があるかどうか、という位の野菜の入った、香りからするとトマトシチュウかと思われるもの、妙に緑色の濃いポタージュのようなもの、それに何だろう、黄色の茶。
主食は… これは焼きたてのような香りがするパンだった。ただし、ぺたん、と平たくやいた、さほど膨らみのないものではある。
歌姫はその皿からはみでそうなパンをちぎると、迷わずにトマトシチュウにつけては頬ばっている。
本当に大丈夫かよ、と俺は一瞬思った。ここがもし地球だとしたら、一体ここに貯蔵されていた食料はいつのものなんだ?
だがその疑問はとりあえずおいておくことにした。嫌な臭いはしない。おそらくは冷凍しておいた粉末の合成タンパクや小麦粉から急速に加工したのだろう、と考えた方が気楽だ。
それに俺も、長湯したせいか、腹はなかなか空いていた。とりあえずはメシなのだ。一口すすると、酸味の効いたシチュウの味が、口いっぱいに広がった。
そしてその皿が大半空になったのを見越してか、端末は俺達の前の椅子にかけると、先ほどよりはやや自然な表情になった顔を向けた。
「とりあえずご満足でしょうか?」
おお、と俺は口にものが入ったまま答える。
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