第5話 「人間の気配はないよ」
「早いね」
と声がしたので、俺は振り向いた。
朝のいっそう強い冷気の中、着込めるだけ着込んだ歌姫は、たっぷりの布で丸々としていた。どの服も、奴の小柄な身体には大きすぎたらしい。
結局、前の夜は、ありったけの毛布と、二人分の防寒服を重ねて、折り重なるように眠った。
何を考えてるのか、それ以上脱ごうとした奴を丁重に押しとどめると、俺はさっさと眠りについたフリをした。
やや不機嫌な顔をした歌姫の顔を最後に、俺は目を閉じた。やがてもぐりこんでくる気配と、穏やかな寝息が漏れ始めたので、何となく俺は安心した。
だが俺はなかなか寝付けなかった。最も、それは奴が近くに居るから、という訳ではない。情けない話だが、後先が不安になったのだ。
そもそも、ここが何処なのか、さっぱり判らない。この惑星全体が冬の惑星なのか、それとも単にそういう地方に降りたのか。
とりあえず、明日、夜が明けたらどうしよう、何をしようか、という気持ちがゆっくりと俺の中には積もっていた。
で結局、寝不足となってしまった。
おかしなものだ。捕まった時の留置所でも、護送される船でも、ゆっくりと眠れたものを。俺は苦笑する。
「悪い、起こしたか」
黙って奴は俺に防寒服を放る。そして同時に言葉も放ってきた。
「お前、馬鹿か」
奴はそう言って、コンテナの端に座って明けた空を見ていた俺に近づく。そして不意に手を取った。
「俺に何だかんだ言っておいて、自分はこれかよ」
そう言って、奴はそのまま自分の首筋に俺の両手を触れさせた。暖かい。
だが俺は慌ててそれを振り払った。
「何するんだ!」
「同じだろ。お前のほうが馬鹿だぞ」
そして奴はまだ俺が手にしているだけの防寒服を指した。早く着込め、と無言の催促をする。まあ言いたいことは判らなくもない。間違ってもいない。
「メシにするか」
「そうだな」
コンテナの中から、ライターは見つけていた。燃すことのできるものは、と言えば、紙と布、それに瓶類の詰まった古典的な木箱くらいしかない。
だが布類はそうそう燃してはならない。とにかくそこにあった紙類をかき集め、木箱の中に押し込んだ。多少の燃料用オイルをかけて、火をつけたら、案外簡単にそれは形になった。
そしてそこいらで拾った、扉についていた格子の、形がまだきちんとしたものをその上に乗せた。幅は大きいが、物を乗せられない程じゃない。
ナイフですぱ、とパックのスープの片側を開けると、もう片方には穴をあけ、やっぱり拾ってきた鉄の細い丸棒を通した。
俺は歌姫に、ほとんど物が掴めないのじゃないか、というくらいの量の手袋をかぶせ、後は好きにさせた。
ハードブレッドは、まだ多少余裕があった。がし、と音をさせて噛むと、やっぱり何やら物を食ってる、という感覚がある。腹にゆっくりとものがたまっていく感触というのは、やっぱりいいものだ。
だが全体的に、食料は大量にあるという訳ではなかった。
そもそも行程の決まっていた船である。それ以上の食料のストックはなかったろうし、その中で、焼けずに残っていたもの自体が奇跡のようなものだ。
昨夜の浅い眠りの中の不安が頭をもたげる。
「ところでさ」
歌姫は、スープのパックを危なっかしく持ち、ふうふうと冷ましながらすすっていた。ストックになっていた中でも、特に濃いクリームスープだ。黄色が濃いから、きっとカボチャの実でも入っているのだろう。
「これからお前、どうするつもりだよ」
俺は顔を上げた。
そしてまじまじと奴の顔を見る。何だよ、と奴はややふてくされたような表情を俺に返す。
「いや、何かマトモなことを聞くなあと思って」
「俺はマトモだよ」
俺は黙ってスープを音を立ててすすった。猫舌という訳ではないが、熱いスープは、そんな音でも出さなくては呑めない。
「いいから答えろよ」
「人に物を聞く時の態度じゃないな?」
俺は今度はハードブレッドをわざとらしくかみ砕く。そして奴もまた、その一かけらを手に取る。
「ふん。ていねいなものの言い方したって、エネルギーの無駄だよ。こんなとこで、そんなもの、これっぽっちの価値もないって」
そして奴はいきなり口に放り込んで、俺に負けず劣らずの音を立ててかみ砕いた。
まあそれも一理なくはない。こんな状態で相手に気をつかっている余裕は無いのだ。
まあいいさ、と俺は肩をすくめた。
「…とにかく外に向かってできることは、した」
「救難信号かよ」
「何せここが何処の惑星か、植民惑星なのか、さっぱり判らん」
「でも人間の気配はないよ」
かり、とまた一かけらを奴は噛み砕く。
「判るもんか」
すると歌姫はふるふると首を横に振った。
「少なくとも、50キロ半径には、人間の気配はないよ」
あっさりと言う。
「あるのは、そうだな。金属反応。人間じゃない、生物反応。一応生きてる反応はあるんだけど」
「冗談はよせ」
「冗談じゃないよ」
奴はそう言って、ふらりと顔を空に向ける。
晴れる予定の、明るい空。光をはらんだ青に金に、影を持つ雲が大きく手を広げている。つられて見たら、ぐらりと一瞬、眩暈がした。
だがちょっと待て。眩暈を起こしている場合ではない。
「ちょっと待て」
「何?」
指についたハードブレッドの粉を嘗めながら、奴は問い返す。
「本当、なのか?」
「本当。だって今俺がお前に嘘ついてどうなる?」
確かにそれはそうなんだが。
「その程度は、大気が教えてくれる」
平然として、そんなことを言われると。
奴は嘗め尽くした指を雪に一度突っ込んで、それから服の袖でそれをぬぐう。
「この惑星は、電波障害は少ないみたいだ」
「それがどうした?」
奴はつ、と手袋を外したほうの指先を空に向けた。
「だから結構大気がわかりやすい。俺に読ませてくれる。こんなに遠くまで判るのは久しぶりだ」
「お前、そんな器用なことできたのか!?」
歌姫は、眉を片方だけ上げ、やや口をとんがらせる。しまった言い方がまずかったか、と俺は口をとっさに押さえる。すると奴は苦笑いを返した。
「およそこうゆう地表にあるもんで、人間の気配なんてのは、ひどく落ち着かなくて何かと自然でないものを動かすから、大気をごちゃごちゃにする。ロクなもんじゃない」
まあそうだろうな、と俺も思う。
「でもここにはそういうのが、無いんだ」
奴はふっと目を伏せる。
「だから、あん時、何かひどく気持ちよくて」
「ああ…」
なるほど、と俺は思った。
「それでお前、俺が来たんで、不機嫌になったのか」
「まーね。何にも気配のけの字も無かったのに、いきなり変なものがぬっと顔出して」
「変なもの?!」
「こんな珍しいもん見ても手も出さないし」
何を言ってやがる。
「お前、もしかして、不能?」
さすがに俺は奴の銀色の頭を上からはたいた。
「何すんだよっ」
「お前なー…… 言うにことかいてそれは無いだろ」
その綺麗な顔で。
いや別に綺麗な顔だろうが、言動がおかしいことには何の因果関係も無いのだが。
「別にいいだろ。お前に対して大人しくしても何の得もある訳じゃなし」
「だからなあ」
俺は頭を抱える。十数秒、俺は口の中で数を数えた。冷静になれ、俺。
「話を戻そう。とにかく、どうしようか、だったよな」
「うん」
そして歌姫は今度はスープのパックを切り広げると、それをぺろぺろと嘗め出す。もう勝手にやってくれ。
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