第4話 「だったら、一緒に寝た方が暖かいじゃないか」

 キューン、という音を立てて、夜の闇の中をロケット弾が明るい線を引いて空へと上がって行った。


「何それ」


 歌姫はカンテラに照らされたそんな俺の動作を見ながら訊ねる。ポケットにはまた手を突っ込んだままだ。俺は短く答える。


「救援信号だ」

「救援信号?」


 奴は目を細める。弱い光の中、陰影ばかりがやけに濃い。彫りの深いこの歌姫の表情は、何やら不快そうに見えなくもない。


「そりゃそうだろ。ここが何処だかも判らないし、不時着した原因だって判らない」


 俺は答える。実際、ここが何処なのかは、未だにさっぱり判らないのだ。

 幾つかのこじ開けた耐熱貯蔵庫の中から出した機材では、それを確認することができなかった。


「それでやってきた救援船が、またお前の敵軍のだったらどうする訳?」

「アルビシンのものかもしれないだろ」

「物事は、いつも最悪の事を予測しておく方がいいって、知ってる?」


 奴はそう言って俺を見下ろす。銀の髪が、光をきらきらと反射する。俺はランチャーを片づけながら答える。


「一番の希望を持ってる方が、気分高揚していい考えも浮かぶってもんだ」

「お人好しだね」


 そう言って歌姫は、コンテナの端に腰かける。そしてやや首をすくめた格好で、手もポケットに突っ込んだまま、外壁にもたれる。

 カンテラの光に、白い首筋の、その鎖骨に伸びる線がくっきりと描き出される。

 ―――まさか。


「おい歌姫」


 俺は声をかける。奴はく、と顔だけ微かに動かす。


「お前、寒いんじゃないか?」

「寒くない」

「馬鹿言え」


 俺はつかつかと奴の前まで歩み寄ると、奴の腕を掴み、ポケットから手を取り出した。俺は歯で自分の手袋を取ると、高く上げた奴の手に触れてみる。


「やっぱりな」


 ひどく冷たい。ただでさえ白い指先が、まるで蝋人形のようだった。奴は嫌そうに上目づかいで俺を見据えた。唇を噛む。


「寒いなら寒いって、早く言え。手袋も無しでこんな雪の中で」

「離せよ」


 思い切り力を込めて、奴は俺の手を振り解いた。真っ赤な目が、ぎらぎらした光をたたえて、にらみ返してくる。


「俺に、触るな」


 そう言って、真っ赤な耐寒服と一緒に、自分自身を抱きしめるような格好で、奴は再びうずくまってしまう。

 どうしたものだろう、と俺は思う。放っておいても別に構わないのだ。俺とは関わりの無い奴だ。

 なのだが。

 俺はふう、と息をつくと、カンテラを手にコンテナの中に入った。布の山に手を入れてみる。

 どんなものと言えたものではないが、何かしら衣類はそこにはあった。多少の汚れやサイズなど構ったものではない。

 まあだから、奴も最初俺を見た時に変な格好と言ったのだが。


「ほれ」


 奴は弾かれたように声のする方を向くと、次に飛んできた衣類を顔で受け止めた。


「な」

「触られたくないのなら、ちゃんと着てろ。あいにく俺は、目の前で宇宙的天然記念物の歌姫が氷姫になるのは見たくないんだよ」

「……」


 奴はそれを聞くと、じっと手の中の衣類を見つめた。


「変な服」

「着ないと凍えるぞ。お前それ以上上には着られないだろ。下に増やしとけ」

「下に」


 急に奴の声音が弱くなる。


「どうした?」


 ぎゅ、と歌姫はシャツやマフラーといったものを握りしめてはいたが、それをどうこうしようという動きは見られなかった。

 強情な奴だ、と思いながら俺はカンテラを持って奴の前を通り過ぎようとした。

 だがうつむく奴に光が当たった時、俺はふと目の端に、何かがかすめるのを感じた。

 白い首筋は、どうしてそこまで開いている?

 歌姫は、不意に顔を上げた。俺は足を止めていたらしい。奴は目を大きく広げて、胸元を慌てて合わせた。

 もしや。


「おいお前」


 俺はカンテラを足下に置くと、ぎゅっと寄り合わせている奴の手を力づくで広げた。胸元が開く。今まで見た、誰よりも白い肌が、まともに目に飛び込んできた。

 そしてそこに散っているものも。

 ばたばたと奴は両の手を広げて、自分の襟元を広げている俺の腕を声も無くはたきまくる。

 ちょうどコンテナの壁にもたれていたこともあって、奴には逃げ場が無かった。何をするのか判らないままに、俺に対してできることといえば、そんなことだけだったらしい。

 手を離す。そして再び歌姫は丸くなってしまった。俺は一度投げた衣類をその上にざっと掛け、奴から離れた。喉もとに手を当て、何かをこらえているように、見えた。

 何をされたのか、予想はついた。

 防寒服の下が、そのまま素肌である、というのはなかなか尋常な事態ではない。この類の服は、必ずちゃんと下に何かしら着込むものだ。


「船の連中か?」


 奴は微かに首を縦に振る。

 商品に手を出すな、と言われてる船員でも、このひどく珍しい綺麗な種には、どうやら我慢できなかったらしい。


「とにかく中に着込め。見られたくないなら俺は出てる。野郎を襲う趣味はない」

「野郎じゃないよ」


 ぼそ、と歌姫は言った。


「嘘言うな」

「嘘じゃない」

「その声の、何処が女だって言うんだよ」

「女とも言ってない」


 奴はふらりと立ち上がった。置いたままのカンテラの灯りが、ちょうどその全身を闇の中に浮かび上がらせる。そして防寒着のジッパーを一気に下ろした。

 白い白い肌が、浮かび上がる。

 そこには、何も無かった。上も、下も。


無性セクスレス?」

「って言うのかな」


 前をはだけたまま、奴はふらりと首を回す。一瞬その目が、ひどく湿り気を帯びた視線を俺に向けたような気がした。


「お前やっぱり変だ」

「何が」

「奴らは、と思った途端、俺を襲いやがった」


 俺は黙っていた。どう答えていいのか、上手い言葉が見つからない。


「お前には女じゃない、ということの方が大事か?」


 そんなこと言われたって困る、と俺は黙ったまま、考えていた。この状況で性欲など湧くものか。睡眠と食欲すらどうなるか判らない状況で、それどころじゃあない。

 俺は声を張り上げる。


「馬鹿言ってないで、さっさと着ろ!」  



 まんじりとしないままにも、夜がふけた。

 いくら耐熱庫とはいえ、何の暖房もなく、しかもこじあけた訳なので、寒気は入り込んでくる。

 あるものをあるだけかぶり、なおかつ近くにカンテラを置いて、少しでも暖かくして眠らなくては、と思った。

 歌姫はそれでもごそごそと俺に言われた通り、中に服を着込みだした。実際俺は、奴がそうしている間中、またひたすらコンテナの中を物色していたのだから、奴がどう思おうと、見る暇なぞないのだ。

 だが奴の行動は奇妙だ、と手を動かしながらつい考えてしまう。作業自体が、単純であればあるほど、頭はそれとは関係のないことを考えてしまうらしい。

 食料と衣類、レーザーソードと言った武器の他に役に立つものと言えば、結局は大してなかったとも言える。少しばかりの計器は生きていたが、今の状況に果たして役立つとは思えなかった。

 それにしても、歌姫が何を考えてるのか、俺にはさっぱり判らなかった。

 ああやって見られることを、触られることを嫌がるからには、そういったことが嫌なのだろう、と俺は思った。だから隠したければ隠せ、という意味のことを言ったのだが、何でその後にわざわざああいうことをするのか。あれではまるで誘っているかのようだ。

 ちら、と俺は作業の合間に時々奴の方を盗み見る。

 膝を抱えて、何をするでもなくぼんやりと、カンテラの灯りを眺めている。そんな時の奴の目は、ひどく力が無い。瞳の赤も、沈み込んだように暗い色に見える。

 実際、どういうつもりであの護送船の連中はこの宇宙的天然記念物を抱こうなんて気になったのだろう。それが知れれば、雇用主に処罰されるのは自分達であることくらい判っていたはずなのに。

 ふと、一つの包みをひきずり下ろし、紐を解く。すると俺は自分の表情があからさまに変わるのを感じていた。

 ありがたい。毛布だ。かなり変色し、すり切れている。普通だったら絶対に寝具には使わない類だ。荷物のすき間の詰め物用だったのだろう。

 だが量はあった。着るもの同様、重ね合わせれば、いい防寒にはなる。それに柔らかい。俺は奴の方を向くと、来い、と手招きした。奴はふらりと立ち上がると、何だよ、とふてくされたように返す。


「お前の分」


 俺はくくってあったものの半分を、奴に手渡した。顔の半分くらいまでに積み上げられたその重さに、歌姫の身体は一瞬ぐらりと傾いた。


「おっと」


 俺は反射的に左腕を伸ばし、奴の身体を支えていた。途端に、二の腕に奇妙な柔らかさが感じられた。体勢を立て直させると、俺は腕を抜いた。奴はまだ力の無い目で、俺を見上げる。


「悪い」

「女じゃない、って言うなら、ちょっとお前、力無さ過ぎだぞ」


 奴はそれには反論を加えなかった。そのかわり、手渡された毛布をひとまとめに抱えると、それを勢いよく俺に突き返した。


「おい?」


 思わず俺は声を荒げていた。同じことを何度繰り返すつもりだ?歌姫の冷たい指が、俺の手に触れる。全然暖まっていないじゃないか。


「この寒さじゃ、これだけじゃ凍える」

「仕方ないだろ」

「だから」


 歌姫はそこで一度言葉を区切った。


「お前の分も合わせれば、暖かいじゃないか」

「俺の分? お前俺の分までぶんどるつもりかよ」

「誰がそんなこと、言ったよ?」


 歌姫は形のいい眉を思い切り寄せた。


「お前は俺をどうこうするつもりはないんだろ?」

「あ? ああ」

「だったら、一緒に寝た方が暖かいじゃないか」


 奴はその時初めてにやりと笑った。


 ―――結局それで、(無論)何もする訳でなく、俺達はその夜は眠ったのだ。

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