第26話 無事に帰ってきたら、僕と結婚してくだ――
翌日、僕たちは出発した。
リノが製材した板は玄関に立てかけて置いた。盗まれるようなものは何もないから安心だ。
戸を作らないのは時間がなかったということもあるけれど、伐採したばかりの木には水分が多く含まれていて、乾燥すると変形する可能性があるためすぐに使えないからだ。戻るまでにどこまで乾くかは分からないけれど、時間を置かないよりはマシだろう。
街で道中の食糧を買って、オニム呉服店へ顔を出す。数日間家を空けることと、セルシスを無事に連れ戻せたことを伝えるためだ。エマさんは安堵した表情を浮かべ、にこやかに送り出してくれる。幼女たちにと、お菓子までくれた。この街の善意ことエマさん、優しくて良い人だなあ。
「無事に帰ってきたら、僕と結婚してくだ――ふぎゃあ」
「エマに近づくんじゃないわよ、ヘンタイゴミムシ」
「やだっ、セルシーちゃんイケメン! お姉さん、セルシーちゃんと結婚する!」
「……そ、そう……すきに、しなさいよ……」
えぇ……何で満更でもない顔してるの……。お菓子に買収された? というか、え? もしかして僕、幼女に負けたの?
「安心しろ。売れ残ったらわたしがシャルをおよめさんにしてやるぞ」
「いや、お前が嫁だろ」
「家の守りは任せたぞ。世界はわたしが守っとく」
「かっけえ……」
まあ、僕より強いしな。
というか、今の慰めてくれたのか。優しいかよ。ギャップが凄いな、ほんと。惚れないけどな。僕はまだエマさんを諦めていない。帰ったらまた告白するんだ。
僕たちは街の入り口にある定期便に乗り込む。トラックの荷台にはたくさんの人が腰を下ろしていた。車は貴重で高価だ。普通の人はまず持てないので、こうして街の間を繋ぐ定期便がある。荷物と人で車両が別れており、どちらの料金も決して安くはない。僕らの行き先は二つ隣の村で、運賃は往復で大人が一人二万円、子どもが一人一万円だった。五歳以下は保護者が抱いていれば無料らしい。
さっそく消えていった五万円。また稼がないと……。
以前はもっと高かったけれど、鬼王を倒し、鬼と鬼獣をほとんど駆逐した今は護衛の数を減らせるため、相場が下がっているようだ。
僕らは明らかに歓迎されていない客だったけれど、乗車を断ることはできない。各地を飛び回り鬼を殺さなければならないアルカゼノマーだからこそ、国がそのように定めているのだ。まあ、まさか鬼が乗ることになるとは思いもしなかっただろう。
出発してすぐに車体が揺れた。街の中は道路がアスファルトで舗装されているけれど、外はそうではない。鬼や鬼獣によって破壊されてしまうため、今までは舗装が無駄だった。しかし、今後はどんどん整備されていくだろう。集落間の行き来が多くなり、商業が活発になるはずだ。うまくいけば、再び人類繁栄の時代を取り戻せるかもしれない。
道中は鬼獣に何度か襲われたけれど、ほとんどをセルシスたちが屠った。アルカゼノムなしで倒せるくらい弱かったので護衛の人たちでも十分対応できた。しかし、彼らでは無駄な時間がかかると自ら出て行ったのだ。護衛の人からは迷惑そうな目で見られたけれど、乗客からの嫌悪の視線は多少和らいだ。それだけでも荷台での居心地がかなりよくなった。
隣街についたのは翌日だった。そこで半分くらいが降り、さらに翌日に着いた村で降りたのは僕たちだけだった。村というだけあって栄えている印象はない。村内の道は舗装されておらず、家は木造一階建ての一軒家が多い。
「家の場所は分かる?」
カミュは村の奥の方を指さす。そちらへ向けて僕らは真っ直ぐに歩いた。村の中心を通っているせいか、村人の視線が多く集まった。ただ、その視線に少し違和感を覚える。他の街では明確な嫌悪をぶつけられるのだけれど、この村は違う。咎められているような、怒られているような気分にさせられる。異質な緊迫感が僕らを取り囲んでいた。
「なんか、雰囲気悪いぞ」
「歓迎されてないのは間違いないな」
進む度に足が重くなっていくのを感じた。にこやかな笑顔を浮かべるカミュを見て、心臓を鷲づかみにされたような痛みが襲う。この笑顔がもう少しで木っ端微塵に砕かれ、泣き顔になることなどわかりきっている。この一歩一歩が絶望へのカウントダウン。自然と歩幅が狭くなった。
それでも、歩いている限りは辿り着いてしまう。この街で一番大きな三階建ての建物。その横にある小さな一軒家がカミュの家だった。隣の大きな建物は村長のものらしい。
扉をノックしようとした手が止まる。カミュを見た両親がどういう反応をするだろう。どんな言葉を投げかけるだろう。空気を入れ続ける風船のように不安が膨張していく。
やっぱりやめよう。そう口にしようとした瞬間、扉が独りでに鳴った。
「おーい」
「ばか、リノお前何やってんだよ」
「シャルが叩かないから、わたしが代わりに叩いてやったんだぞ。かんしゃしろよ」
余計なことしやがって……。あとはもう祈るしかない。どうか、留守でありますように。
その願いはあっけなく棄却された。
「はーい、どちらさま、で――」
「ままっ!」
言ったのは僕じゃないぞ。トタトタと可愛らしい足音を立てて女性の足に飛びつくカミュ。女性の顔はカミュをそのまま大人にしたようだった。ほほん……。
感動の再会。本来であれば微笑ましい一場面。けれどカミュを見下ろす女性の表情は凍りついた。女性はすぐにハッとして周りを気にし始める。
焦りと戸惑い。そして、恐れ。
村中の視線がこの女性に集まっていた。咎められているのは僕たちじゃなかった。それは彼女――カミュの母親へ向けられたものだった。
母親はカミュを突き飛ばした。悲鳴を上げ、痛みに顔を顰める娘の姿を見て、母親の表情が苦悶に染まる。駆け寄る素振りを見せたけれど、彼女は伸ばそうとした手をすぐに引っ込めた。
「どうしたんだ?」
奥から男性が顔を出した。男性の方はまったくカミュに似ていない。彼はカミュと僕たちの姿を見て、その双眸を鋭く尖らせる。
「今すぐこの村から出て行け!」
怒声にカミュの身体がびくりと震える。泣くのを堪えながら、カミュは声を絞り出すように男性を呼ぶ。
「ぱ、ぱ……」
「お前なんて――娘じゃない!」
近寄ろうとするカミュに吐き捨て、伸ばされた手を振り払った。
「ぅ……あぅ……あぁ……」
ついにカミュは声を上げて泣いてしまった。マリアさんがカミュを抱き上げて両親から遠ざける。
母親の方は痛ましげに顔を歪めていた。
もしかしたら母親の方はカミュのことを愛しているのではないか。声をかけようとしたけれど父親に阻まれ、胸ぐらを掴まれた。
「早くそいつを連れてこの村から出て行け!」
深刻そうな父親の表情に奇妙な違和感を覚える。とても苦しそうに見えたのだ。突き飛ばされる直前、彼は僕の耳元で囁いた。
「村を出て東に少し行くと林の中に湖があります。そこで」
結構強い力で突き飛ばされた僕は、転びそうになったところをセルシスに支えられた。彼女はまるで親の仇でも見るような表情でカミュの両親を睨みつけていた。
「行こう」
幼女たちを連れて村を出る。村人の視線が僕らの背中を突いた。早く出て行けと急き立てるように。彼らの眼差しにはどこか、悲愴感が滲んでいるように見えた。
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