第5章

第17話 踏むほどの価値なんておまえにはない

 数時間かけて槍を回収し、僕らは大急ぎで崖まで戻った。もう日が沈みかけている。リノのせいだ。移動中はこっぴどく叱ってやったのだけれど、本人は笑っていた。本当に脳が駄目なのかもしれない。


 降りるときは普通に飛び降りた。カミュのアルカゼノムで落下速度を落としたので怪我人は出なかった。可愛いだけで十分なのに、そんなことまでできるカミュたんマジ有能。それ以外の系統は使えないそうだけれど、何の問題もない。


 崖をよじ登ってもネズミ返しが待っている。じゃんけんの結果、僕が幼女を投げることになった。僕はどうやって登るのだろう。素朴な疑問に、セルシスが当然という顔で答える。


「よじ登ればいいでしょ」


 それができないから投げる話になったんだろうが。とりあえずはセルシスから投げることになった。とりあえずって何だよ。登ったもん勝ちみたいなのやめてよ。


 手を組んで腰を落とす。走ってきたセルシスが組んだ手を土台に飛び上がった。その瞬間、僕はセルシスを思い切り頭上へ投げ飛ばす。あっという間に小さくなっていくセルシスの姿は無事に崖の上へ消えた。次はカミュを抱えたマリアさん。二人分だから結構キツかったけれど、カミュがいたから頑張れた。崖の上でいい子いい子して欲しい。僕が登れればの話だけれど。


 残るはリノだ。しかし、彼女は何故か槍を構えた。


「お前、まさか……」


 ここで僕を殺す気か? ずっとこのときを待っていたパターンか? 嘘だろ。結構うまくやってきたじゃないか。


「そのまさかだぞ。はやくここにお腹を置け」


 何を企んでいる……。訳も分からず言われた通りにする。竿に干された布団のように、槍の柄に身体を乗せる。


「いくぞ」


 分かった。僕を上に投げてくれるんだな。お前良いやつかよ。じゃあな。お前のことは忘れな――。


 お腹が裂けるかと思った。地面がもの凄い速度で遠ざかる。崖上を通り過ぎ、僕の身体はさらに上空へ飛んでいく。


 あいつ、やったな。


 一瞬の静止。すぐに重力に従って落ちていく。背中からだから落下点が分からない。まさかリノのところに落ちることはないと思うけれど、リノの仕業だから不安だ。


 いつ地面に衝突するか分からないというのは、かなり怖かった。


「ああああああああああ、カミュカミュカミュカミュカミュカミュカミュカミュカミュカミュ――――助けてえええええええええ」


 落下速度は変わらない。これは怪我では済まない。空が赤い。僕の血の色に似ている。


 しかし、固い地面にぶつかることはなかった。誰かが僕を受け止めてくれたようだ。しかもお姫様抱っこ。何それ、惚れそう。


「アハハ、楽しそうだな」


「めちゃくちゃ怖かったんだぞ!」


 何だよお前かよ。せめて崖の上に飛ばせよ。


「まったく大の大人がみっともない」


「あれ、何でセルシスここにいるの? 僕が飛ばしたよね」


「脳みそ落としてきたわけ?」


 見回すと、セルシスだけではなくマリアさんたちもいた。ということは崖の上か。じゃあ何でリノがいるんだ。


「アハハ、登るの楽だったぞ」


 自分で投げて自分でキャッチしたのかよ。超人かよ。というか、どうやって登ったんだよ。


「普通に走って、ひょいってやったら行けたぞ」


 ひょいっが重要なんだけどね。仕方ないね。


 その後、監視塔から来た軍人に囲まれた。かなり威圧的な態度だったけれど、セルシスたちがアルカゼノマーだと知った途端に豹変した。急にしおらしい態度を取り始め、厄介払いをするように僕たちを追い出した。


 本当は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。いつ彼らの気が変わって襲ってくるか分からない。恐れはときに突拍子もない行動へと背中を後押しする。しかし、昨日から走り通しだったのと、久しぶりの戦闘で疲れてしまったのだろう。セルシスたちは寝ぼけ眼でふらついていた。リノなんか、歩きながら船を漕いでいる。カミュはすでに限界を迎え、僕の背中でかわいい寝息を立てている。まるで幸せを背負っているかのような気分だ。


 仕方なく少し離れたところで夜を明かすことにした。監視塔からは死角になる位置なので、簡単には見つけられないだろう。リノとマリアさんは座るなりすぐに眠りに落ちた。僕はカミュを抱きかかえて腰を下ろすけれど、眠るつもりはない。万が一のときのために見張り役だ。


「無理しないで寝ていいんだからな」


「うる……さ、い……わ……ね」


 セルシスはウトウトしながらも、必死に睡魔に抵抗していた。何度も目を擦るけれど、さっきからまったく開いていない。何をそんなに頑張っているのだろう。子どもなんだから寝たいときに素直に寝ればいいのに。


「おま、え……に、まかせ……て……おけ……な……」


「少しは信用しろって」


 短小でも鬼は鬼だ。実力はセルシスたちに遠く及ばないけれど、ただの人間に遅れは取らない。


「ちが……」


「じゃあ何だよ」


「べつ、に……おま……が……さび、し……と…………な、い……」


 何の暗号だよ。


 待っていても続きはなかった。聞こえてくるのは小さな寝息。首を垂らすような無理な体勢だったので、僕の腕に頭を寄りかからせた。


 幼女に囲まれて明かす夜は、野外のせいもあってか感慨深い。四人の寝息には個性があって、それぞれの性格が色濃く出ていた。聞いていて飽きない。


 幼女特有の体温の高さが僕の身体を温めてくれる。おまけにみんないい匂いがして、心の底から癒やされていくのを感じた。ロリフレしゅごい。


「いつまで寝てるのよ」


 頭にもの凄い衝撃が駆け抜けた。飛び起きて目を見開くと、小さな足が僕の額を押し込んでいた。木の幹へ僕の頭を埋めようとしているようだ。


「いきなり何すんだよ!」


「は? どの口が言うのよ無能。見張ってるんじゃんかったの?」


 いや、だからこうして起きて――。


 空を見上げると、眩しい朝日が目に沁みた。澄んだ空気を肺一杯に吸い込むと、朝だなって気分になる。気持ちいい。ほとんどセルシスの足裏を吸っているようなものだから感慨深い。


「おはよう」


「見張りすら満足にできないの? 何で生まれてきたわけ?」


「少なくともお前に踏まれるためじゃないことは確かだ」


「そうね。私の足で踏むほどの価値なんておまえにはないものね」


 どんだけ自分の足に価値があると思ってんだよ。幼女に踏まれることが至高だったのは何百年も昔の話だからな。もうお前の時代は終わったんだ。過去の栄光に縋るなんて見苦しいぞ。


 セルシスは僕の額から足を退けると、地べたにぺたんと座り込んでブーツを履き始めた。立って履けない系幼女なのね。というか、まさか僕の頭を踏むためだけにブーツ脱いだのか。何という執着心。さてはお前、僕の頭を踏むために生まれてきたな。お前がそれに人生を捧げたというなら、鬼生をかけて受け止めてやるのが男というものだ。


 そんなことより、こいつの足めっちゃ良い匂いがしたんだけど。まだ微かに甘い香りがおでこに残っている。ブーツに足突っ込んで二日も履きっぱなしなら臭くなるのが普通じゃないの。舐めたら甘そう。いや、舐めないけどね。ちゃんと我慢したよ。


 試しにリノの足を嗅いでみたいけれど、それやったら殺されそうだしな。


 というか、僕寝ちゃってたのか。みんな無事でよかったよね。結果オーライ!


 セルシスたちの前では軽く流したけれど、内心はめちゃくちゃ焦っていた。寝込みを襲われてたら殺されていた。まるで危機感が足りていなかった。幼女との生活は確実に僕を平和ぼけさせている。

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