第15話 一人じゃ履けないのか?

 白樺の周囲にはベニテングダケがたくさん生えていた。色鮮やかな赤に白いイボがついた派手な見た目は、まったく食欲をそそられない。むしろ食べたくない。ベニテングダケには毒があるけれど、それこそが旨みなのだという。毒で死ぬ可能性はほとんどないそうだ。


「うまいのか?」


「食べてもいいけど、腹壊すぞ」


「アハハ、それ食べちゃだめじゃんか」


 てっきり何言っても食べると思っていたけれど、リノは手にしたベニテングダケを放り捨てた。いや、捨てんなよ。


 手分けしてベニテングダケを採取する。特徴を伝えはしたけれど、不安なのでリノの近くに移動した。本当はカミュに付き添いたかったけれど、そちらはマリアさんに任せる。


「おい、今何を入れた」


 リノは明らかに白樺でない木に生えたキノコを平然と袋に放り投げた。


「キノコだぞ」


「ベニテングダケじゃなかったろ」


「ちゃんとボツボツがついてるぞ、ほら!」


 リノが溌剌とした笑みで掲げたのは、灰褐色に白いイボがあるキノコだった。


「よく見ろ。色が違うだろ」


「ん? 色が落ちただけだぞ。たぶん元は赤だ」


「じゃあ色落ちしてないの拾え」


 色落ちってなんだよ。絶対に別の種類だろ。


「腹の中に入れば同じだぞ。色なんて気にすんな」


「気にしろ。それは今すぐ捨てろ」


「おまえ、わがままだな。仕方ない。わたしは大人だからな。折れてやるぞ」


 完全に舐められている。ここはガツンと大人の怖さってやつを教えてやるしかないようだ。


 腕まくりをしていると、リノが声を上げた。


「これ見てみろ。シャルのとお揃いだぞ」


 それは親指の第一関節から先くらいの大きさのキノコだった。


「は、はあ? も、もっと大きいし……」


「アハハ、見栄っぱりだな。おまえのはこれくらいだったぞ」


 ちくしょう。こいつ僕がかなり気にしているとも知らずに言いたい放題言いやがって。くそっ! おっぱいぺたんこのくせに! いいよな、お前らのおっぱいにはまだ希望があるもんな。


 リノのことは無視することにして、淡々とベニテングダケを集めていく。最悪、猛毒キノコが混入してもトラプさんの方で選別するだろう。


 袋はすぐに一杯になった。一帯にはまだたくさん残っているけれど、取り過ぎるのもよくない。採取中は幸いにも鬼獣と遭遇しなかった。


 太陽が真上にある。そろそろ昼食にするか。とはいっても、来る途中に見つけた木の実を食べるだけだ。長居は無用。すぐに出発する。


 ふと、幼女の中にセルシスがいないことに気づく。振り返ると後ろ姿が目に入った。どこかへ行こうとしている。ただ、足取りがふらついていた。


「セルシス、どこ行くんだよ」


 駆け寄ると彼女は身を固くした。わずかに身体が震えている。


「どうした? 具合でも悪いのか?」


 顔が真っ青だった。涙を浮かべた彼女が上目遣いで睨んでくる。


「……べ、べつに……なんでもないわよ」


「そんなわけないだろ。言ってみろよ」


「だから、なんでも――」


 彼女はお腹を抱えて身を縮めた。まさかと思いつつ、尋ねる。


「ベニテングダケは美味かったか?」


 びくりと肩を震わせ、セルシスは小さく頷いた。


「お、お願い……だから、あの子たちには……その……言わないで」


「分かったよ。遠くへは行くなよ。何かあったら呼べ」


 セルシスは頷くと、足早に茂みの向こうへ消えた。


 好奇心が勝ったのだろう。こういうところはまだまだ子どもだ。


「セルシーはどうしたんだ?」


「食べ物がないか探しに行った」


「アハハ、セルシーのやつ食いしん坊だな。仕方ない。私も一緒に探してやるぞ」


「待て待て待て」


 立ち上がって走り出したリノの腕を何とか掴む。危なかった。


「すぐ戻ってくるから大丈夫だよ」


「ん? ……なんだか怪しいぞ? シャル、なにかわたしに隠しごとしてないか?」


 なんでこういうときだけ鋭いんだよ。もっと役立つときに発揮しろよ。


 めちゃくちゃ訝しげに見てくる。目を逸らしたら負けだ。


「わたしが行くとだめなことでもあるのか?」


「べ、別にないよ?」


「じゃあ、問題ないな」


「ああああ、うん、まあ、そうなんだけどさ、そうなんだけどさ」


「はっきりしろ。また蹴るぞ?」


 リノが足を動かしたのを見て、咄嗟に股間をガードする。


「お前はその蹴りがどれだけ罪深いことなのか、分かっていないようだな」


「アハハ、じゃあ分からせてみろ」


「あっ、待って。足を振りかぶらないで。死んじゃう。本当に死んじゃうから!」


 満面の笑みで僕の股間へ照準を合わせるリノ。この一撃が生死を分ける。今まさに足を振り下ろそうとしたそのとき、遠くから悲鳴が響いた。セルシスだ。


「お前らはそこで待機だ。鬼獣が襲ってきたら迎撃。手に負えないようなら崖の方へ逃げろ」


 全速力で声の方へ一直線に走る。枝や茂みにも構わずに突っ込んだ。


「セルシス! どこだ!?」


 遮蔽物がたくさんあるせいでセルシスの姿を見つけることができない。


「だ、だめ! こないで!」


 近い。声色からすると泣いているようだ。


「そんなこと言ってる場合か? 鬼獣がいたんじゃないのか?」


「そ、そうだけど、とにかくだめなの!」


 何故だ。悲鳴をあげるくらい怖い鬼獣なんじゃないのか。だったら、すぐに合流した方がいいだろう。構うものかと声の方へ走る。


「上見ちゃだめ!」


「え?」


 咄嗟に声の方を仰ぎ見てしまう。木の上には号泣し、何故か下半身裸のセルシスがいた。すぐに顔を背けるけれど遅かった。


「見るなって……ひっく……言ったのに……」


「ご、ごめん! 悪気はなかったんだ」


「ぐすっ……さいあくよ……」


 やってしまった。そういうことだったのか。お前、トイレのときは下を全部脱がないとできない系幼女だったのか。先に言えよ……。まあ、プライドの高いセルシスのことだから、恥ずかしくて言えなかったんだろうな。


 肝心の鬼獣は見当たらない。諦めたのだろうか。近くにセルシスの下半身装備一式があったので、なるべく形を崩さないように拾う。幸い、パンツはパンツの――下着はズボンの中に入っている。顔を俯かせた状態で、セルシスのいる木の下にそれを置く。


「僕は戻ってるから、履いたら戻って来いよ」


 去ろうとすると、セルシスが声を上げた。


「ま、待ちなさい」


「どうした? 一人じゃ履けないのか?」


「ば、ばかじゃないの!?」


「じゃあ何だよ」


 セルシスは口ごもった。けれど、背に腹は替えられないと思ったのか、消え入るような声で言った。


「そこで……まってて」


 急にしおらしい態度になった。そんなに怖い鬼獣だったのだろうか。言われたとおり、待つことにした。


「ぜ、ぜったいに振り返るんじゃないわよ!」


「分かってるよ……」


 別に見たくない。ほんとだよ? これがエマさんだったら見る。カミュだったら自分の目を潰す。絶対に見ないようにね。リノだったら置いて帰る。マリアさんはママだから別にいいよね。


 セルシスが僕の服の裾を掴んだ。着替え終えたようだ。


 お前、手を洗ってないだろ、なんて野暮なことは言わない。言える雰囲気じゃない。


 目に一杯の涙をためて、セルシスは僕に身を寄せる。袖で拭っても彼女の涙は尽きない。その理由は悔しさと恥ずかしさ、それから怖さだろう。


 仕方ないので、僕はセルシスの頭を撫でてやった。普段なら絶対手を振り払うのに、甘んじて受けている。ついでに手も繋いでやった。握ってみると、手のひらはリノよりも硬い。この歳でこの硬さ。いったいどれだけ剣を振ればこうなるのか。僕は改めて彼女たちの運命を呪った。


「安心しろ。何が来ても僕が守ってやるからさ」


「……うん」

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