世界を救った幼女と救われない僕
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第1章
第1話 もしかしたら僕は、幼女に踏まれるために生まれてきたのかもしれない
「まったく……今どき幼女だって世界を救うってのに、おまえは本当に役立たずね」
幼い足の裏から後頭部へ伝わる温度。ストッキングに包まれた細い足首。薄らと黒に透ける可愛らしい足の指がぺたんと床を踏みしめる。頭上から降り注いだ声色は弾んでいて、さぞかし生き生きとした笑顔を浮かべているに違いない。
せめてもの抵抗で浮かせていた額も、柔らかい踵をグリグリとねじ込まれてあえなく陥落した。一切の隙を排した、完全なる土下座がここに完成する。
慣れとは恐ろしいもので、彼女の足形と温度を後頭部が記憶していて、踏まれていなくても感触を再現できるようになっていた。
最近はふと思うのだ。
もしかしたら僕は、幼女に踏まれるために生まれてきたのかもしれない。
断じてそんなことはないのだけれど、反復によって感覚が麻痺していくのが分かる。これ以上、頭を踏まれ続けたら駄目になるかもしれない。新たなステージへの扉を開けてしまうかもしれない。そんな予感が胸中で渦巻き、不安の形をなしていく。
いっそ顔を上げてパンツを見てやろうか。そう思った矢先、足に込められた力が増した。
「顔を上げたら殺すわよ」
「ふっ、誰がガキのパンツなんて――」
言い終わる前に僕の頭が床にめり込んだ。ラグの下の板が音を立てて割れる。
「殺す気か!」
反射的に顔を上げてしまい、視界に白いパンツが飛び込んで来る。ストッキングの黒に透けた白。純白ではないその色感が罪の味を引き立てる。
――絶景かな。
脳がそう認識したと同時、視界が真っ赤に染まり、僕の身体は壁にめり込んでいた。
最期に目に焼きついた光景が幼女のパンツというのは、なかなかに苛烈な一生だった。悪くない。
死を覚悟したけれど、この身体は丈夫にできていて、骨の一本すら折れてはいない。額から流れていた血もすぐに止まった。触っても傷跡はない。
「死ね! 社会のゴミ! ヘンタイ!」
あどけない整った顔を真っ赤にして、チュニックの裾を押さえつける幼女。膝裏あたりまである髪は、毛先にかけて彼女の表情と同色にグラデーションしている。羞恥と怒りを浮かべる瞳も、中心に向かって赤の色が深まっていた。
黙っていればただの美幼女なのだけれど、喋る上にすぐ手が出るからゴリラだ。見た目だけ可愛いゴリラだ。
「待て待て、僕だって見たくて見たんじゃない! セルシスが僕の頭を踏まなければこんなことにはならなかった!」
すべての因果を彼女に背負わせようとするも、僕のことを舐めきっている彼女は屈しない。
「おまえがお皿を割ったからでしょ!」
「皿割ったくらいで土下座させるなよ!」
「これで何枚目だと思ってるわけ? いい加減にして欲しいわ」
そう言われるとぐうの音も出ない。たぶん二〇皿は割っている。ここに来て一週間だから、一日に三皿割っている計算だった。毎食一枚割っていると考えると、自分がとても無能な生きものに思えてくるから不思議だ。本当に不思議だ。
皿を割る度に土下座させられ、頭を踏まれている。土下座はまあ百歩譲るとして、頭を踏むのはもうセルシスの趣味としか思えない。
僕なんかを踏んで楽しいのだろうか。楽しいんだろうな……。
そもそも僕はここに来るまで家事などしたことがなく、今も修行の身。これくらい大目に見て欲しいものだ。まあ、九歳の子どもに寛容さを期待するだけ無駄だろう。何と言っても、彼女たちは僕らを平気で殺すような人間だ。
どうして僕だけが生かされているのか。しかも、奴隷として彼女たちにこき使われている。その理由は未だ分からない。
唯一の救いは、セルシス以外の三人の幼女が僕のことを人間と同等に扱ってくれていることだ。頭を踏まれることもなければ、蹴り飛ばされることもない。今のところは。
トントンという軽快なリズムが階段を駆け下りる。群青色のサイドポニーが溌剌と跳ねる。手入れを怠ったボサボサの髪はまるで少年のようだけれど、ちょこっと膨らんだ胸が女の子であることを主張している。セルシスより少し背の高い彼女はリノだ。
「おっ、また皿割ったのかー? シャルはアホだな!」
「お前に言われたくねーよ」
「アハハ、あーほ、あーほ」
何が面白いのか、リノはいつも笑っている。脳天気で底抜けに明るい。致命的なほどの馬鹿だという点を除けば、この家で一番年相応かもしれない。
「リノちゃん、失礼ですよ。シャルちゃんが泣いちゃうから、やめてあげてください」
翡翠色の髪を三つ編みに束ねた幼女が、頬に手を添えながら言った。彼女はリノよりも背が高い。
「いや、泣かないよ? ママ……リアさん」
危ない危ない。危うくママって言うところだった。幼女にママとか言っちゃった暁には、もう死ぬしかない。
マリアさんはリノと同じく八歳なので、僕とは八歳差。僕の方が圧倒的年上にもかかわらず、無意識にさんづけで呼んでしまう。
眼鏡の奥に覗く柔和な瞳のせいか、それとも彼女から滲み出る母性のせいか。辛いことがあると、そのぺたんこな胸に飛び込みたい衝動に駆られる。そうして思うのだ。
もしかして、僕の本当のママなんじゃないかって。
もちろん錯覚だって知ってる。
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