第121話 二人が険悪なのはボクのせいだどうしよう

 わからない。繭墨はなぜあんな態度を取ったのだろう。


 あれでは百代の署名活動を否定したようなものだ。あの場にいた生徒の目にはそう映っただろう。少なくとも、友達同士のやり取りというには険悪に過ぎた。


 わざと冷たく突き放すことで、百代のやっていることは自分とは関係ないと、周囲にアピールするつもりだったのかもしれない。自分への糾弾が飛び火しないように気を遣い、百代を守ろうとしたという線だ。


 それなら二人の仲が悪くなったわけではないので、多少は安心できるのだけど、あれはどうもそんなシンプルなものではないような気がする。

 とはいえ、今は校内での接触を控えているので、繭墨に直接その真意を聞くこともできない。


 ――いや、それは言い訳だ。

 僕はただ、怖くて踏み込めないだけ。


 昨日は楽しくデートをした彼女のことが、今朝の一件を目の当たりにしただけでわからなくなっていた。


 繭墨のことなら何でもわかるなんて言うつもりはないし、何でも知りたいなんて傲慢なことを思っているわけじゃない。


 いつもなら、わからなくても聞けばいい、知らなければ知る楽しみがあっていい、なんて前向きに――どこかのんびりと構えていた。構えていられた。


 でも、今は違う。余裕がない。

 わからないことが怖かったし、知らないことが不安だった。

 気軽に話しかけることができなくなっていた。


 繭墨はいつもどおり、授業中はしっかり教師の話に耳をかたむけて、ていねいに板書を取っている。休み時間はノートを開いて予習復習に余念がない。そのお堅い態度によって壁をつくり、人を遠ざけようとしているように見えなくもなかった。


 百代はいつもと違って、授業中の居眠りは一切なく、ノートに何かを書いていたが、それはたぶん授業内容とは関係ないのだろう。黒板はろくに見ていなかった。


「あんたさ」


 昼休みになっても席に着いたままぼんやりしていると、倉橋が話しかけてきた。


「2人が険悪なのはボクのせいだどうしよう、なぁんて優柔不断な二股男みたいに苦悩してんじゃないの」


 違うの? と声に出してしまいそうになるのをどうにかこらえて、キツネ目で見降ろしてくる倉橋を見上げ返す。


「僕は優柔不断だけど二股男ではないよ」

「少なくとも百代はもう吹っ切ってるから。100パーじゃないけど、8割方」

「そう」

「何がっかりしてやがる」

「してないって。これは安心してる顔だよ」

「まあいい」

「一つ聞きたいんだけど、二人はなんであんな風になってたの」

「さあ、ただのケンカっしょ」

「ケンカって……」

「繭墨の考えは知らない。あいつ苦手だし」

「じゃあ百代の考えは?」


 倉橋は少しだけ考えるような間を取って、


「友達に張り合いたくなるときもあるってこと。男子なら特にそーゆーの、よくわかるんじゃないの」


 と、こちらの質問に対して、微妙に外した答えを返してくる。


 その物言いは、男なんてみんな子供なんだからと一括りにされたみたいでシャクだったが、わからないと言ったら嘘になる。


 というか、すごくよく理解できてしまう。


 自尊心やら劣等感やらがごっちゃになって、相手にとってはまるで身に覚えのないであろう対抗意識を向けて空回りしてしまう、とても恥ずかしいやつだ。


 例えば、自分と同じような位置にいると思っていたやつが、急に成績を伸ばしたり、いつの間にか彼女を作っていたりしたら。喜ばしいが妬ましくもあり、素直に喜ぶことができなかったりするだろう。


 例えば、クラスの隅っこにいるタイプの自分に、クラスの中心にいるような人気者が妙に親しく話しかけてきたりしたら。釣り合いなんてものを気にして、つい素っ気ない態度を取ってしまったりするだろう。


 想像しただけで、なんかもう居たたまれない。顔が熱くなってくる。


「何のたうち回ってんの気持ち悪い……。んじゃもう行くから」


 自分でも気づかないうちに机に突っ伏していた僕に、倉橋がドン引きで冷たい声を投げる。


「ああちょっと待った」

「何」

「人を探してるんだよ。下の名前しか知らないんだけど、同級生でミカって子に聞き覚えはない?」


 それは昨日、ショッピングモールで耳にした名前だった。繭墨のことを墨汁女と呼んでいた3人組のひとりが、確かに口にしたのだ。


 同じ学校へ行ったミカが、調子に乗っている繭墨を懲らしめてやった。

 要約すればそんなことを――そんな物騒なことを話していた。


 果たして、倉橋はその子を知っていた。

 本名はたちばな実華みか


 本人を特定して説得したり懐柔したり、はたまた脅迫なんてことをするつもりはない。相手に接触する気は全くなかった。ただ、繭墨にはっきりとした敵意を持っている子の、顔と名前を一致させておきたかっただけだ。いつかそいつ絡みのトラブルが起こってしまったとき、すぐに動けるように準備しておきたかった。




 橘実華の所属する二年五組の教室に着くと、後方入り口から様子をうかがう。

 昼休みということを差し引いても室内は妙にざわついていて、そういう性質のクラスなのかなと思う。


 クラスの気質は千差万別だ。

 特進組や就職組という枠組みでの違いだけじゃない。中心グループの性格によって、そのクラス全体の性格が左右されることもある。


 ただ、今の騒がしさの原因は、全く別のところにあった。

 百代と赤木が教壇に立って、朝と同じように署名を呼び掛けていたのだ。


 これには正直かなり驚いた。

 わざわざ昼休みの時間を割いて、よそのクラスを回ってまで、署名集めをしているとは思わなかったからだ。

 百代がここまで入れ込むのは、やはり繭墨のためなのだろうか。赤木が入れ込んでいるのは間違いなく百代のためなのでここでは考えないでおく。


 署名集めはぽつぽつと進んでいた。生徒たちはそれほど興味もなさそうだが、声をかけられた者はなんとなくといった様子で署名をかき込んでいる。


 そんなとき、教室の後方から冷ややかな声がした。


「百代さんだっけ。これってさあ、会長に言われてやってるんでしょ」


 くだんの橘実華だった。

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