第102話 頑張りが報われただけ
食事を終えて、次なる目的地は八木邸だ。
名前を聞いても、何があった場所なのか即答できる人はそう多くないと思う。
僕も修学旅行をきっかけに京都の名所を調べるまでは知らなかった。
八木邸というのは、かの有名な新選組が拠点にしていた場所だ。そして、初代局長の芹沢鴨が暗殺された場所としてよく知られている。しかもその暗殺の実行犯が、これまた有名な土方歳三や沖田総司なのだという。
「幕末ってドラマチックでロマンいっぱい、みたいに描かれることが多いけどさあ、暗殺ばっかりで物騒だよねえ」
移動中のバスの中で百代が身もふたもないことを言う。
「ま、血なまぐさいのは否定できないけどね」
と僕は応じ、
「ホントは池田屋跡にも行きたかったんだけどな」
と赤木がぼやき、
「ルートが煩雑になるので、今回は割愛させていただきました」
と繭墨が断ずる。
「どうせちっこい石碑があるだけでしょ」
「それでも聖地なんだよ」
「あれ、赤木そんなに幕末好きだったっけ」
「妹に写真を撮って来てくれって頼まれたんだ」
「赤木君、妹がいるんだ。……男同士がイチャイチャするのが好きな人?」
百代が声をひそめてそんなことを訊いてくる。
「なんでそうなるんだ」
「え、だって新選組ってほら、ホ……じゃなくてびーえる……じゃなくて、そう、ご法度な人たちの集まりだったんでしょ?」
なんてことを言うのだ。
僕と赤木は血相を変えた。
「ちょっ! 百代、声がデカいよ、オブラートに包む気あるの?」
「その発言がご法度だぜ……」
「どしたの? 二人ともそんな姿の見えない猛獣におびえるみたいになって」
「ここは聖地の近くなんだ、どこにヤツらが潜んでいるか、わかったもんじゃない」
「そうだ、腐ったヤツらは新鮮なものが大好物なんだぜ……」
僕と赤木が動揺している理由が本当にわかっていないらしく、百代は穢れのない瞳で首をかしげていた。こっち方面に関しては無垢なままでいてほしいと思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇
日本家屋が立ち並ぶ京都の市街地にあって、八木邸は単体ではそこまで目立つ建物ではない。しかしながらひと目でそれだとわかるのは、入口の門扉にかかった『誠』の旗のおかげだ。ここが新選組ゆかりの建造物なのだと、強烈にアピールしてくる。
邸内はそれほど広くはないが、ガイドさんの解説を聞きながらの三十分は結構な密度だった。芹沢鴨暗殺の場面では弁士さながらの臨場感あふれる語りを披露し、僕たちはそれに圧倒されていた。
見学が終わると、赤い布を敷いた縁台で一休みをした。時代劇の〝峠の茶屋〟の店先に必ず置いてある、低いテーブルみたいなあれ。そこで抹茶と茶菓子が供されるのだ。これは見学料に含まれている。ライブハウスのチケットみたいなシステムだった。違う点があるとすれば、飲料の濃さだろうか。あちらの水で薄めたようなドリンクと比べて、こちらの抹茶はとても濃厚だった。
繭墨は作法にのっとって抹茶を飲み終えると、ほう、とため息をつく。
「刷り込みなんでしょうね、たぶん」
「刷り込み?」
「ヨーコが言ってたじゃないですか。幕末はドラマチック、って」
「ああ。それが
「ドラマや時代小説、果てはマンガにアニメまで、わたしたちの身の回りには、あの頃を肯定するメディアであふれかえっています」
「そうだね。意外と知らない日本の歴史、みたいなテレビ番組もここ最近やたらと増えているように感じるし、日本人の忠節、自己犠牲、愛国心などを礼賛する向きは強いと思うよ」
「ハッキリ言って、現代的な個人主義とはまるで違います。正反対です」
「現代にそういうものが不足してるから、昔を振り返りたくなるんじゃないの?」
「それってわたしたちの嫌いな〝昔はよかった〟を繰り返す大人と同じじゃないですか。良いことばかりのはずがないのに、明らかに誇張されています」
「でも、やっぱり現代人とは気迫が違うって感じるエピソードは多いよ」
「それは今よりも死が近い時代だったからでしょう。死の実感が、多くの人を必死にさせたのではないでしょうか」
「極限状態でこそ人間の本性が出る、みたいな話?」
「仮にそうだとしても、人間の本性は極限状態なんて望んでいませんよ。そうならないように、法を整え、対話を重ね、歴史を省みるんじゃないですか」
「あー、まあ、確かに、僕もあまり必死にならずに、余裕を持ってヘラヘラと生きていきたいよ」
「阿山君は少しくらい激動の時代に放り込まれた方がいいと思いますよ」
「幕末修学旅行?」
「クラスのリア充グループはみんな髪を染めているので南蛮人と間違えられて投獄され、ぼっちで歴史マニアの主人公は知識チートで活躍する、という下剋上ストーリーですね?」
「なんかもうすでにありそう」
こんな雑談ならいくらでも続けられるのに、確信を突く問いかけを、僕は投げかけられずにいる。お互い本腰ではない証拠だろう。テニスや卓球のラリーを延々と応酬するような、様子見の雰囲気があった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
本日の最終目的地、金閣寺へやってきた。
ベストのタイミングだったらしく、金閣寺のお堂が金ピカに輝いていた。
ただの金色ではなく、西日を反射して光り輝く金色である。
有名すぎてそれほど興味もない場所だったが、金ピカなのに上品に感じるというバランスは、ちょっとほかではお目にかかれないだろう。大したものだと偉そうなことを思う。
夕刻のこの時間帯しか見られない光景に、多くの観光客がカメラやスマホを構えている。それを横目に、繭墨に問いかける。
「これも計画どおり?」
繭墨は何も言っていなかったが、おそらくこの時間帯を狙っていたのだろう。事前に綿密な予定表を組んでいたし、移動中に何度も腕時計を確認していた。そのくせ、こうして無事に光り輝く金閣を拝めても、わたしのおかげです、なんて鼻にかけたりしない。
「yagoo
と短く答えただけだった。
百代の提案で集合写真を撮っているうちに、シャイニング金閣の
繭墨は百代と一緒に本堂の方へ歩いていった。
進藤はじっと金閣寺を見続けている。
僕はというと、
「やるな
僕は教師でも弁護士でも議員でもないので、そんな呼ばれ方をされる理由が思い浮かばない。
「僕のこと?」
「どうやってあの生徒会長をオトしたんだ?」
「こんなところで先生なんて呼ばれると、吉田松陰とか勝海舟になった気分だね」
「弱みでも握ったのか? それを使って脅したとか」
「脅しなんて」僕は首を振る。「そんなことをした途端、握った弱みごと握りつぶされる未来しか浮かばないよ」
それに、落とすとか落とさないってのは、よくわからない。
確かに、繭墨が高嶺の花であることは間違いなくて。
僕がどちらかといえば野草寄りなのは否定できないけれど……。
――ああ、そうか。
雲間から光が差したような感覚があった。
変に様子を見ようとするから。
小手先で揺さぶりをかけようとするから。
ハッキリと言葉にしないで、変に匂わせて察してもらおうとするから。
要するに、相手に甘えるから。
僕たちは今、ギクシャクしているんじゃないか。
二人が付き合うことになったのは、僕が多少の背伸びをして、繭墨もこちらに手を伸ばしてくれたからだ。お互い、歩み寄った結果だ。
だから赤木の質問への答えは、
「頑張りが報われただけだよ」
そう結論づけたのに、赤木は別方向から揺さぶりをかけてくる。
「んじゃ昨日の夜がお楽しみじゃなかったのは?」
「は……」
言葉が続かない。なんでバレているのか。
「二人そろって部屋から消えて、んで、次の日に謎の冷戦状態だろ? 何かあったと思っちまうのは当然じゃあないでしょうかねえ。ゲスの勘繰りとは言わせないぜ?」
当然の推理だと言えなくもないが、赤木の表情は間違いなくゲスのそれだった。
これ以上のごまかしは無理そうだ。僕はあきらめて、肯定と同義の質問をする。
「……赤木はやっぱり、今付き合ってる相手の、昔付き合ってたやつとか、あるいは昔好きだったやつとか、気になるタイプ?」
「くっ……」なぜか赤木は無念そうに顔をしかめた。
「どうしたの」
「お前は完全にリア充になっちまったんだな……。今付き合ってる相手、なんて、残酷なことを言いやがって」
「ああ……」僕は繭墨乙姫と交際中なのだ。「そうか、僕はリア充だったのか」
「しかしそのリアルが今、大きく揺らいでいる」とバラエティ番組の前振りのナレーションのようなことを言う赤木。
「……やっぱり、そう見える?」
不安になって尋ねると、赤木は不意にまじめな顔をした。
「距離が近くなると相手の細かいところが気になってくる」
「え? 何それ」
「進藤が言ってたんだよ。あいつもなかなか含蓄のあることを言うよな」
「へえ……」僕は少し感心してしまった。
確かに、勢い任せのピッチングが目立つ直路らしからぬ、センシティブな物言いだと思う。
夕暮れ空と、水面に映る逆さまの金閣寺とが相まって、とてもしんみりした気分になる。肌寒い風が吹き抜けて、山の紅葉が気になったりして、もうすぐ秋も終わりかな、なんて思ったりする。
「まあ、んなこたぁ置いといて。どうやってあの生徒会長を落としたんだ? 教えてくれよ先生、なあ、なあ?」
赤木はニヤニヤ笑いを浮かべて、僕の脇腹を肘でつつく。
情緒が台無しだった。
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