2年次2学期 修学旅行編

第97話 修学旅行の第一日目

「高校生の集団って、ほとんど公害ですよね」


 長い黒髪の女子高生は、自らもその集団の一員でありながらそんなことを言った。しかも、その元締めである生徒会長を務めているくせに。


 ただ言い分はわからなくもない。僕が自由気ままな一人旅を満喫している最中に、高校生の集団と同じ車両に乗り合わせてしまったと想像してみる。

 ところかまわずはしゃぐ声。騒々しく駆け回る姿。それらに浸食されてしまい、きっと車窓からの景色は色あせてしまうだろう。


「でもね、繭墨」僕はそっと彼女をたしなめる。「父さんの運転する車の助手席に乗っていたとき、前を走っている教習車のあまりの遅さに不満を漏らしたことがある。

 そしたら父さんが言ったんだ。

 誰でも最初は不慣れで当然。教習車をちんたら走らせている運転手は、未来の自分か、あるいは昔の自分と同じなんだと心得なさい。大目に見てやらんといかん。――ってね」


「素敵なお父様ですね。そのお言葉に、阿山君は素直にうなずいたんですか?」


「まあ、うん」


「そのエピソードをいま語るのは、わたしの暴論をたしなめるためですよね」


「まあ、うん」暴論って自覚はあるのか。


「そういうことでしたら、申し訳ありませんがまったくの的外れです。わたしは未来永劫、集団での騒乱に加担することはありませんから。独りぼっちでおとなしく、文庫本を開いて周囲を拒絶し、世間様から隔離された自分の殻に閉じこもって、マイペースで生きていきます」


「どうしたの繭墨、何か嫌なことでもあったの?」


 と僕は一応、班のメンバーがそばにいる手前、繭墨を心配するふりをする。


「いえ、わたしは至って平静ですよ。うんざりするような騒々しさの中でも、落ち着いて行動できています。ほら、苛立ちなんてみじんも表に出てないでしょう?」


 繭墨は自らの言葉を証明するように微笑を浮かべる。

 確かにそれは、一流企業の受付係と比較しても遜色のない、ナチュラルな作り笑いであった。


「さすがの面の皮だね」

「セルフコントロールに長けていると言ってください」


 繭墨が澄まし顔で離れると、それを見計らったように赤木が近づいてきた。


「おい阿山、お前はすごいな。あんなピリピリした繭墨にビビることなく話を続けられるなんて、肝の座ったやつだ」


「そんなことないよ」


 これは謙遜じゃあない。

 繭墨がピリピリしている、という認識が間違っているのだ。

 むしろ上機嫌といっていい。


 列車やバスの車中で、繭墨はときおり旅行のガイドブック『ぶるる特集号~コレ1冊で秋の京都はすべて満喫スペシャル!~』を開いて口元を上げていた。冊子のあちこちに付箋を貼りつけ、ページの右上に折り目をつけたりして、かなり読み込んでいることがうかがえた。


 世間に対して斜に構えつつも、イベントごとには非常に乗り気の、つまりはいつもの繭墨乙姫だった。このかわいさがわからないとは、赤木もまだまだだ。


「心なしか上からの――しかもどこか安らぎに満ちた視線を感じるぜ」

「それは大仏様の視線じゃないの。僕たちを見守ってくれてるんだよ」


 と適当に応じて、僕は行く手にそびえる木造の巨大な門を見やった。


 伯鳴高校2年生一同は、現在、修学旅行の第一日目を消化中である。

 最初の目的地は奈良の東大寺。

 境内を巡回するため、バスから降りて待機しているところだ。


 静かに待てと教師たちは言っていたが、それは無理な相談だ。元気のあり余っている初日に、僕たちのような学生風情が大人しくできるわけがない。太陽に西から昇れと言うのと同じくらい無茶なことだ。繭墨もなんだかんだで雑談に花を咲かせていて、彼女の言うところの公害の一部になっていた。


 あくびを一つ、かみ殺す。

 伯鳴市を出たのは早朝のことだった。伯鳴駅から特急に乗り、新幹線に乗り換え、そして京都駅で下車。そこからバスで奈良まで来たのだ。

 京都から奈良まで30分程度というのは、驚くほどに近いと感じる。いくら隣り合っている県とはいえ、田舎者の僕にはピンとこない距離感だった。


 改めて周囲を見回すと、人出は確かに多いものの、決して不快な密度ではない。老若男女、外国人。個人、ペア、団体客――場所が場所だけに、焦っている人間が少ないないからだろうか。


「キョウ君」


 百代がいつもより半オクターブほど高い声をかけてくる。

 松の木の根元でひざを折ってくつろいでいる野生動物を指さして、


「鹿がいるよ、戯れに行こうよ」

「あとでね」と僕は静かに言う。


 修学旅行なんてイベントがあると、いつもはおとなしい生徒だって、年相応の落ち着きのなさを見せるんだろうけど。それにしたって百代は下手をすれば小学生レベルのはしゃぎっぷりだった。


 だが、これはチャンスだ。

 僕は赤木に目配せする。


 赤木はガイコツ人形のようにカクカクと首を振りつつ、ぎこちない声で百代に話かけた。


「あー、百代は鹿が好きなのか?」


「え? 好き嫌いとかあんまり考えたことなかったけど……、つぶらな瞳がカワイイよね、あと、ツノが思ってたよりまるんとしてるのもカワイイかなぁ」


「あれは観光客を傷つけないように削って丸くしてるんだぜ」


「ふぅん、そうなんだ。ちょっとかわいそうだけど、仕方ないよね、こんなユルい飼い鹿生活なんだから」


「ここの鹿って一応は野生動物らしいぞ」


「え、そうなの?」


「天然記念物だから妙なことをしたら罰せられるぞ」


「あたしは別に何もしないよ? ツノの先に鹿せんべいをぶら下げてみようなんて、考えたこともないし」


 などと残酷な試みを自らバラしてしまう百代。


「鹿は神様の遣いってことで、昔から大事にされてきたんだとさ」

「へー、赤木君って物知りなんだねぇ」


 と百代は素直に感心し、赤木は「まあな」とそっけなく答える。しかし百代に見えないところで必死にニヤケ顔を堪えていた。なかなか気持ち悪い表情だった。


 そんな二人の様子を少し離れた場所からそっと見守っていると、


「赤木君もこういうときなら予習ができるんですね」


 戻ってきた繭墨がため息まじりに言った。繭墨にとっては男心などお見通しかもしれないが、あまり哀れに思わないでほしい。下心というのは僕ら男子高校生にとって最高の原動力なんだから。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 やがて、境内に入る準備が整った。

 お香の匂いが香る中を、順路に沿ってぞろぞろと境内を歩いていく。


 僕たちの住んでいるような地方都市だと、国宝がひとつあるだけで名所という扱いになるけれど、東大寺のそれは数も知名度もケタ違いである。


 南大門、金剛力士像、本殿に廬舎那仏るしゃなぶつ――いわゆる大仏様と、仏教徒でなくとも見聞きして名前も知っているものばかり。常に何かしらの国宝か重要文化財が視界に入っているような状況で、すっかり有り難がる感覚がマヒしてしまっていた。


 ここでも赤木は予習の成果を披露しようと張り切っていた。しかし、


「東大寺と大仏って2回も焼失してるんだぜ?」

「焼けたっていえば金閣寺も火事になってなかったっけ」


 百代の意外と知的な切り返しにあっさりフリーズしてしまい、勉強不足を露呈していた。

 しかし、フォローを入れるつもりはない。

 今は二人きりにしてやりたかった。


 知的好奇心の強い繭墨は、観覧中もほとんど口を開くことなく、文化財の数々に見入っていた。

 解説の看板にきっちり目を通し、パンフレットはすべて持ち帰っている。先ほどの暴論はともかく、行動は模範的な生徒のそれであった。


 僕はというと、繭墨に倣って大人しくしつつ、実際のところは彼女の横顔ばかりを目で追いかけていた。釈迦よりも如来よりも繭墨乙姫だった。

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