第83話 文化祭前夜 後編
「はぁいそこまで」
遠藤さんが弾んだ声で制止の声をかけます。
その相手は暗闇の中で仲睦まじい男女の二人組。
「両手を上げて、二人とも離れてください。名前と学年と所属を教えてね。こうやって見つかるのは初めて? じゃあちょっと失礼」
二人組の間に入って、身元の確認と時刻の照会。
「現在時刻はこれで間違いないですね。はい、相互確認完了です。次にルールの違反が発覚した場合、反省文提出となりますので、注意してください。ではそれぞれ割り当てられた教室に戻るように」
こちらの指定した就寝時刻を過ぎた現在。
生徒会や実行委員、教職員による校内の巡回が行われています。
わたしは会長補佐の遠藤さんと組んで、本校舎を上へ向かっているところです。
現在進行中ながらも着々と成果が出ていますが、それは悪さをしている生徒が多いということで、決して良い傾向ではありません。
1階の階段脇で2名の男女を、2階のパソコン室で2名の男女を、そしてたった今、同じく2階の多目的室で2名の男女を摘発したところです。まったく、多目的という名前の中にそういった目的は含まれていないのですが。
「あれだけ言ってもいなくならないんだねぇ」
気まずそうに立ち去っていく2年生の男女を見送りながら、遠藤さんがため息をつきます。
「遠藤さんの手際もよくなったわね」
「そりゃもう3組目だもん」
「カップルの摘発を楽しんでいるように見えるわ」
「夢うつつでキャッキャウフフしてた人たちが、他人に踏み込まれた途端、夢から覚めたみたいなポカンとした顔になるところって、見てる分にはすごく楽しいよねぇ」
「いい趣味ね」
「えー、会長は違うの?」
「わたしは、余計な手間を増やさないでという苛立ちしかないわ」
「あ、そっかぁ。宿泊OKの言い出しっぺ、最高責任者だもんね」
「そういうことよ」
問題を起こした生徒のリスト作成、反省文のチェックと管理、さらには3回目の問題を起こした生徒が現れた場合、その生徒の所属する団体に対する処罰。
それらの面倒ごとがこちらの負担になることなど、違反者の皆さんは想像すらしていないでしょう。
「そんな怖い顔するなら提案しなきゃよかったのに」
「やっぱり負担になってるかしら」
「大変なのは会長でしょ? あたしたちは今日と明日、ちょっと巡回が増えるくらいだけど、会長は違うじゃない。悪さをする生徒の数次第で事務作業がどーんと増えちゃうんだから」
「そこはわが校の生徒の素行の良さを信じるわ」
「素行ねぇ……」
「せめて痛い目を見れば、これ以上の抵抗はなくなるはずよ」
「それって信用じゃなくて恐怖支配……」
いちど巡回を切り上げて生徒会室へ戻り、違反者のデータ整理に取りかかります。
「違反者の数は想定内って感じね。やっぱり最初の恐怖放送が効いたのかも」
遠藤さんは飲み物を口にしつつ、ニヤリと笑いかけてきます。
「あんなものはただのハッタリでしょ」
「ハッタリは使う人次第でものすごい武器になるってこと。繭墨会長なら数人消しててもおかしくない、って噂されてるし」
「そう……」
「あれ、ちょっとショック受けてる?」
「いいえ、でも、否定するよりはノーコメントを貫いた方が、効果はあるのかしら……。噂の操作は難しいものね」
「みんな本当かどうかよりも、面白いかどうか、の方へ動いちゃうもんねぇ」
遠藤さんはそう言いながら、スマートフォンの画面を操作します。
「何か面白い情報があるの?」
「うん。はいこれ」
こちらに向けられたスマートフォンの画面には『伯鳴高校ミスコン・ミスターコン投票結果発表』の文字が。
「ああ……、去年も確かやっていたわね」
「興味ない?」
「わたしは去年、2票だったけれど」
「票が入ってたんだ」
得票数2で確か30位台の順位だったはずです。
去年は進藤君に投票しましたが、今年は参加していません。
「去年は1位の人でも、得票数20も行ってなかったでしょう」
「今年もそんな感じかなぁ。この手の投票ってぇ、上位の10人くらいはそこそこ有名どころだから、逆に、3・4票入ってるけどまったく顔も知らない、くらいの位置の人の方が興味湧かない?」
「わたしはあまねく男性の顔面を評価することに興味が湧かないわ」
「ふふん、
と遠藤さんは肩をすくめます。
「こういう投票ってね、変な利害が絡まないぶん、学生たちの胸の内に秘められた想いをさらけ出すステージになるんだから」
「でも匿名だから伝わらないわ」
「伝わらなくてもいいのよぉ、ただ意識してくれるだけで。自分のことをどこかで見ている人がいるという、その事実を」
「どうしたの遠藤さん。やけに熱が入っているわ」
「ほらほら、男子の結果をクリックしてみて」
と遠藤さんが急かします。何か面白い結果があるのでしょうか。ちなみに、クリックではなくタップですね、スマートフォンなので。
男子部門1位は、想像のとおり進藤君でした。
これは単純な見た目以上に、甲子園出場で
特に投票したい人がいない場合、とりあえず有名な人の名前を書いておこう、という適当な心理が働きます。そして、この学校で最も有名な男子生徒の一人が進藤君です。そういった理由から票数が伸びたのでしょう。
そのほか、上位に並んでいるのは、運動部で有名な選手たち。あるいは外見に気を遣い、遊ぶことに熱心なグループの人たち。お決まりの生徒が並んでいます。
そうやって順位を見ていく中、思いのほか早く〝その名前〟を発見してしまい、画面をスライドさせる手が一瞬、硬直してしまいました。
「あっ、会長、いま止まったでしょ」
嬉しそうな声の遠藤さん。
これを見せたかったのでしょうね。
15位タイ:阿山鏡一朗…………得票3
意外と言うほかありません。
曜子の1票が確実なので、ランキングに乗っている可能性は考慮していましたが、残りの票はいったい誰の手によるものでしょうか。
2票目の投票者はまったくの謎。3票目に至っては自演を疑ってしまいます。
このランキングは、対象者の性別については考慮されていません。投票者が匿名である以上、同性への投票も、自分自身への投票も可能なのです。これは仕様上の問題であり、性的マイノリティへの配慮云々という近年の風潮とは全く関係ありません。
「会長ってもしかして阿山君に」
「わたしは不参加だから」
「えー、ホントにぃ?」
「本当に」
断言すると、遠藤さんはつまらなそうに口を尖らせます。
「でも、それなら残りの1票って誰なんだろ……」
それは意外なつぶやきでした。
残り1票。
つまり遠藤さんは、投票者のうち2人には心当たりがあるということです。
「……知っているの?」
「あ、会長も興味あるんだぁ」
「奇特な知人に特別な感情を持っている可能性のある、奇特な人物というのは誰なのかしらと、若干の関心があることは否定しないわ」
「回りくどくてめんどくさい会長らしさが凝縮された発言ねぇ」
「無理に聞き出したいわけではないから気にしないで」
さして興味のないわたしは突き放すのですが、遠藤さんは構わず話を進めます。
「ひとりは阿山君のクラスメイトの……ほら、百代さんだっけ?」
それは知っています。わたしは視線で続きを促します。
「そ、そんなに睨まないでよ……」
「睨んではいないわ」
「もう一人は、実はあたしです」
と小さく挙手する遠藤さんを、わたしはつい凝視してしまいます。
「……そう」
「阿山君が2票取ってるのを見た会長がどんな反応するのかなぁと思ったら、つい投票しちゃった」
「胸の内に秘められた想いとやらはどこへ行ったの」
遠藤さんの動機の軽さに、わたしはため息をつきます。
「でも、3票目が会長じゃないならいったい誰なのかという謎が残ったのです……」
「別にどうでもいいことだわ」
わたしがこの話を切り上げて雑務に戻ろうとしたところで、生徒会室の戸が開きました。特別教室棟を巡回していた二人が帰ってきたのです。
「ただいまー」と副会長の近森さん。
「も、戻りました……」と同行していた1年庶務の女の子。
「あ、ねえねえあずさ、ミスターコンで阿山君に投票した人に心当たりある?」
遠藤さんがそう呼びかけると、近森さん――
――の隣の庶務の子が、びくりと肩を震わせました。
わたしたちは顔を見合わせます。
◆◇◆◇◆◇◆◇
そのあと庶務の子にやんわりと事情を尋ねました。
それはもう、卵を扱うかのごときやんわり加減でした。
彼女が語ったところによると。
たびたび生徒会室を訪れて作業を肩代わりしてくれる、部外者であるはずの上級生を、いつしか憧れに似た思いで見つめるようになっていた、とのこと。
そう。ただそれだけの、ありふれたストーリー。
それを聞いた遠藤さんと近森さんは、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべて、明日憧れの先輩を誘っちゃいなよ、などと庶務の子にけしかけたりしていました。
わたしへの挑発が多分に含まれていることは理解しています。
あの二人は以前から、わたしと阿山君の関係を疑っていましたから。
翌日からの文化祭を誰と回るのか。
それは多くの生徒にとって大きなテーマなのでしょう。
しかし、わたしのやることは変わりません。今さら変えられませんし、開催中は運営の管理以外のことに手を回す余裕もありません。
曜子でも庶務の子でも、自由に回ればいいんです。わたしにそれをとやかく言う権利はありませんから。
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