第82話 文化祭前夜 前編
文化祭の前日の放課後。
といっても今は、午後10時近い夜更けである。文化祭前夜だ。
2年1組の演劇の準備はすでに完了している。
道具類は数日前にすべて完成しそうなペースだったのを、前日に泊まり込みしたいというノリのいいクラスメイト数名の主張によってわざと遅らせたくらいだ。
逆に芝居の方は、切り上げどきが見つからずにギリギリまで練習をしていた。一応の形にはなったのだが、リハーサルをするたびにアクションを増やしたり、演技者の立ち位置を変えてみたりして、これだという完成形にたどり着かないのだ。
総合プロデューサー的な人がおらず、明確なビジョンが描けていないせいだろう。委員長の倉橋や、言い出しっぺの百代などが中心となってはいるものの、二人とも意見を出す側になっていて、まとめ役となる人間がいない。
まあ、それでもいいかと僕は思う。
部活の強豪校のような必死さでもってぶつかっているわけでもないし、今さら綺麗にまとめようとしても時間が足りない。そんなことは承知で、みんな騒ぎたいだけなのだ。
伯鳴高校の文化祭に前夜祭はない。
この騒々しい空気がその代わりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなクラスのノリを斜に構えて見てしまう僕と赤木は、こっそり教室を抜け出して別のクラスの出し物を手伝っていた。
定番のお化け屋敷なのだが、これがまた気合が入っていた。
小道具類の作り込み、音響や演出のタイミング、お化け役の演技など、あらゆる要素のクオリティが高く、またその組み合わせによる相乗効果も素晴らしい。恐怖に対する感性と、それを最大限に見せる計算の上に成り立つ力作だった。
手伝ってくれたお礼にと、部外者で最初にそのお化け屋敷を堪能した僕たちは、恐怖感と満足感という相反する感情を抱いて、薄暗い廊下を歩いていた。
「いやぁ、あれはすごかったね」と僕は切り出す。
「まあまあってところだな」
赤木は強がった返事。お化け役の女子が引くくらい絶叫してたくせに。
「入口でカラスの鳴き声がするじゃない、あそこでつい上の方を向いちゃうんだよね。天井には夕焼け空が描かれてるし」
「手品でよくある視線誘導のテクニックだろ」
「あとは和服を着た案内役の、青白い女の幽霊」
「淡々とした語り口で、出てくる幽霊たちの死因を話すやつな。あれは確かに怖い」
「そうそう。来場客が実は屋敷の主人への食事だっていう設定は面白いよね」
「え? 面白いか? 幽霊たちが実は被害者のなれの果てで、主人に魂を半分だけ食われて無理矢理働かされてるっていう話とか、割とおぞましいと思うが」
そんな風に評価を語り合っていると、校内放送のチャイムが響き渡った。
夜遅いことに気を使ってか、音が出ているのは校舎内のスピーカーだけ。音量もかなり抑えられていた。それでも、いきなりチャイムが鳴り響くと、驚くし戸惑ってしまう。はしゃいでいた生徒たちの動揺が、廊下にまで伝わってくる。
夜更けのチャイムはどこか不吉だ。
時刻は21時55分。
もうすぐ、文化祭の手引きにあった就寝時刻となる。
『皆さんこんばんわ。生徒会長の繭墨です。本日はお疲れさまでした。まもなく夜の10時です。就寝時刻となります。しっかり休養を取って、明日に備えてください。くれぐれも問題行動を起こさないようにお願いします』
『――ひッ』
繭墨が言葉を切る直前、息を飲むような、あるいは短い悲鳴のような声が聞こえた気がした。僕たちは顔を見合わせる。赤木にも聞こえたらしい。
『……1回目は警告にとどめますが、2回目は反省文提出、3回目はイベント規模縮小と、ペナルティが徐々に厳しくなっていきます。ルール違反は当事者だけではなくその周囲の人までも――』
『み、見逃してください、まだ俺たちは1回目――』
――ブツン。
放送が途切れた。
マイクのスイッチをオフにしたような、唐突な断線。
「な、なんだよ今の声……」
「さあ……、明らかに許しを請う声だったけど」
『……失礼しました。ルール違反は当事者だけではなく、その周囲の人までも不幸にする愚行です。罪を犯すことのないように。また、意図せず罪を犯してしまった方も、さらに罪を重ねることのないよう、よろしくお願いします。それでは良い夜を』
「ね、眠れねえよ!」とおびえた声の赤木。
「
静まり返った廊下の薄暗さが、途端に恐ろしげなものに思えてくる。暗闇が単なる光の弱い場所ではなく、繭墨の意思によって支配されている領域であるかのような恐怖妄想。
「俺さ、さっきのお化け屋敷はすげえ怖いと思ったけど、今の放送も別のベクトルで同じくらい恐怖を感じちまったよ……」
同感だった。
お化け屋敷は恐怖を与える娯楽だが、繭墨の放送は恐怖を想像させる警告だ。
「どっちも演出が上手いよね」
「ああ、就寝時刻が近づいて、これからが夜本番だぜウェーイ、みたいに考えてる連中は、完全に出鼻をくじかれたんじゃね?」
廊下にいても、各教室がしんと静まり返ってしまっているのはよくわかる。
「放送事故を装った、男子生徒の懇願の声なんか真に迫るものがあったよね」
「いやアレは本気だろ」
「僕は仕込みだと思うけどなぁ」
確かに声は本気だった。おそらく声の主である男子生徒は何かをやらかし、それが生徒会に見つかったのだろう。
ただ、放送室に連行された彼を、繭墨は校内放送で晒すと脅迫などはしていない。罪を重くするとも直接は言っていない。彼が勝手にそうされると思い込んで、恐怖のあまり許しを求めただけだろう。もちろん繭墨の筋書きどおりに。
放送終了後は、情状酌量して減刑――が妥当なところではないか。
男子生徒に精神的なショックは残るかもしれないが、繭墨の方はそれはそれ、彼自身の責任として関知はしません、と澄まし顔をするところまで想像できた。
「まあとにかく、さっさと教室に戻ろうぜ。巡回あるんだろ。見つかったらヤバい」
「だね」
「阿山は当番じゃないのか? 実行委員なんだし」
「いや大丈夫。クジが外れてくれた」
「俺だったらちょっとやってみたいけどな、巡回役」
「煙たがられるだけじゃないの」
「調子に乗ってるリア充カップルどもをバシバシとっ捕まえたいんだよ」
「なんだ私怨か」
「お前は余裕だよな……」
赤木が今までの親近感から一転、含みのある物言いをする。
「僕は極力、彼氏彼女がイチャついてる現場に近寄りたくはないし」
「そうだよな、お前もリア充側の人間になっちまったんだよな……」
「どうしたの赤木、なんか粘っこいよ」
困惑する僕に、赤木は自分のスマホを取り出して何やら操作をし、その画面をこちらに向ける。
「こいつを見てみろ」
そこには意外なものが表示されていた。
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