2年次2学期 文化祭編
第73話 素直には移ろわない
人間の定めた暦ほど、季節は素直には移ろわないようです。
二学期の初日は、朝から真夏日を思わせる蒸し暑さでした。バスを降りると猛烈な熱気に煽られて、うっすらと汗が浮かんできます。
「おはよ、ヒメ」
「……ヨーコ」
バス停には曜子が立っていました。
「おはよう。どうしたの?」
「もちろん、ヒメを待ってたの。一緒に行こうと思って」
「そう」
わたしたちはそのまま並んで歩きながら会話を続けます。
「あれから学校の掲示板を覗いても、ヒメたちの話題はだいぶ減ってたよ」
「それはよかったわ、ヨーコのおかげね」
先日の登校日の件です。
校長先生との交渉を有利に進めるために、曜子に協力してもらいました。
ちなみに掲示板にアップした画像は、校長室を出た直後に削除済みです。
「けっこうエグいことさせるよねぇ」
「そうかしら」
「そうでしょ、だってあたしがまだキョウ君のこと好きなの知ってて、他の子とのツーショット写真撮らせたりするんだから。しかもそれを晒させるとか」
改めて言葉にされると、とっさに言い返せませんでした。
手段を選んでいる余裕がなく、頼める相手が他にいなかったという、完全にわたしだけの都合で、曜子を巻き込んでしまいました。
確かに、ほめられた所業ではありません。
「……そうね、改めて、ありがとう」
だから、謝罪ではなく感謝を告げると、曜子は唇を尖らせて、
「どーいたしまして。ちょっとくらいワタワタしてくれたら面白いのに」
「表情豊かな女の子の方が、男子から好まれるらしいわよ」
「ヒメは好まれたくないの?」
「恋をしている余裕なんてないもの」
わたしが即答すると、曜子は人差し指を振って否定のポーズ。
「それは違うよぉ、ヒメ。恋って余裕があるとかないとか、そういうことを考えてするものじゃないんだから」
「したいと思ってする恋は、本当の恋ではないということ?」
「それはよくわかんないけど……、ほら、恋に落ちるっていうじゃない? だから自分では制御できない気持ちなんじゃないかなー、とは思ったりするけど」
「わたしたちが自由に飛べる天使だったら、恋に落ちるという慣用句は存在しなかったということね」
「ヒメの発想ってぶっ飛んでるよねぇ」
「ヨーコの行動力ほどじゃないわ」
「そう? 最近のヒメってかなりアクティブな気がするけど……、ところで、キョウ君とはどうだったの?」
曜子の質問の意図が分からずに、考えること数秒。
「……どう、と言われても。登校日以降、何も接点はなかったけれど」
「え、そうなの?」
「わたしたちの噂が完全に鎮静化したわけではないから、気を遣って顔を合わせないようにしていたのよ。それに……、そんな配慮なんて関係なく、普通に過ごしていても、会うことはなかったと思うけれど」
「えー、そうかなぁ……」
曜子はなぜか疑わしげな視線をこちらに向けてきます。
わたしと阿山君の仲を勘ぐっているのでしょう。噂が一部事実であることを知っている彼女なら、疑ってしまうのも無理からぬことでしょうが。
「それが普通よ。わたしは去年の夏休み、一切クラスメイトと会わなかったもの」
「それはヒメが引きこもり過ぎなだけでしょ」
と呆れ顔の曜子。
「そういうヨーコはどうなの?」
「え、あたし?」
「阿山君と会わなかったの?」
率直に尋ねると、曜子は目を逸らして言いにくそうに、
「いくらあたしがノーテンキでも、さすがにフラれたすぐ後に2人で会おうとするのは、ちょっと気まずいっていうか……」
その煮え切らない口ぶりは、阿山君への気持ちがまだ吹っ切れたわけではないことを示しています。それは多少なりとも、わたしにも理解できるものでした。
「そうね、始まるのも終わるのも、自分で制御できるものではないみたいね」
「なんのこと?」
「さっき言ったでしょ。恋についての話よ」
「何かあったの?」
登校日のことを思い出します。
あの日、教室へ入るとき、わたしはある覚悟をしていました。
噂の真相について、クラスメイトから有ること無いこと話しかけられ、苦痛を感じるような質問を投げかけられることをです。
しかし、実際はそんなことはありませんでした。
そのとき、クラスの中心にいたのは甲子園での活躍目覚ましい進藤君。
わたしたちの噂はその輝きに呑まれて、誰も気にしていませんでした。
「そのときわたしは、助けられたと感じたのよ。進藤君にはそんなつもりはないってわかっていても、彼の意図とは無関係に、うれしいと率直に思ったのよ」
「ふぅん……、つまり、忘れられないんだ」
「よくわからないわ。ただ、その
「ふぅん……」
周囲の生徒が新学期への――特にあとひと月ほどで開催される文化祭への期待を語っている中、わたしと曜子は居心地の悪い沈黙を共有していました。
◆◇◆◇◆◇◆◇
二年一組の教室に入ろうとすると、中から熱い議論を交わす声が聞こえてきました。二人の男子、阿山君と赤木君でしょう。
「どしたの?」
「興味深い話をしているみたい」
わたしと曜子は、戸口の隙間に近づいて聞き耳を立てます。
「だから、メイド喫茶なんて論外なんだよ」
「それは同感だね」
赤木君の悲劇めいた声に、阿山君が追従します。
「っつーかそもそも、文化祭のコスプレ系喫茶は全部、今さら感あるだろ」
「内輪で楽しんでるだけって感じもあるしね」
「だが……、そんな掘りつくされた金脈に、最後に残った一塊を、オレは見つけたんだよ」
「ほう、それは?」
阿山君の問いかけに、赤木君は一呼吸おいて、
「ビジュアル系喫茶だ」
「それ、もうあるよ」
「え」
「ちょっと待ってて……、ほら、これ」
阿山君はおそらくスマートフォンを操作しているのでしょう。何かを示す声のあとで、赤木君の失意の声が聞こえてきます。
「げ、マジかよ……、最後のフロンティアが……」
「でも、別にいいんじゃないかな。二番煎じでも、後追いでも、マンネリでもさ」
「阿山、お前……?」
「文化祭っていうのはさ、まず何より自分が楽しまなきゃ。周りの目を気にしてたら、身動きが取れなくなる。これだと思う〝本物〟に向かって突き進もうよ」
「そうか……、そうだよな。サンキュ、阿山。オレとしたことが、ちょっとばかり弱気になってたみたいだ」
と二人は徐々にテンションを上げていきます。
「何この三文芝居」
「ヨーコ、言わないであげて」
わたしは曜子の肩に手を置いて、左右に首を振りました。
「それで? こういうものはネーミングが大切だよ」
阿山君の問いかけに、赤木君は自信ありげに応じます。
「コンセプトはもう考えてある。漆黒の闇、さまよえる魂、もつれ合いながら堕ちていく――逃れられない
「うわぁ……」と曜子。
「そう来たか。僕はね、――迷い子たちの集うカフェ・
「あ
さすがにこれ以上は居たたまれませんでした。
勢いよく戸を開けて教室に入ると、阿山君と赤木君は姿勢を正して、何事もなかったかのように前を向きます。
しかし、わたしたちが自分の席に着くと、またコソコソと向き合って話を再開していました。意識すると、話し声が断片的に聞こえてきます。
道化師……、漆黒の翼が……、裏切りの堕天使……、囚われの……、偽りの……、幕末サムライ喫茶とか……、
わたしたちがしんみりしているあいだに、阿山君はこんな馬鹿げた考えに時間を費やしていたなんて。だんだん腹が立ってきました。
ちなみに。
その後、行われたクラス企画決定の投票において、赤木君提案のビジュアル系喫茶
クラス企画が決定するまでの間、消されずに置かれたその文字列は、黒板の片隅で異彩を放ち続けていました。
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