第59話 もう、そういう関係じゃないってことさ

 曜子と千都世さんのやり取りを聞いていて、いくつかわかったことがあります。


 この宿泊が千都世さんからの提案であること。

 阿山君は数日前に帰郷していること。

 その彼にはわたしたちの来訪がまだ秘密であること。

 ご両親は共働きで、現在は仕事で不在ですが、夜には戻るということ。

 つまり、泊まるとなれば阿山君のご両親とも顔を合わせることになります。


「最終の列車が通るのは8時過ぎだ。夏休みってことを考えたら、許されない時間じゃないだろ?」


 先ほどとはうって変わって、安全運転の千都世さんが話しかけてきます。


 日帰り可能な最終ライン。最後の選択肢を突き付けられます。

 帰るのか、泊まるのか。

 私の逡巡はバックミラー越しに見透かせるほど、わかりやすかったのでしょうか。


 そもそも、男性のクラスメイトの、学校から列車で2時間もかかる実家に宿泊するという状況が、相当に異常です。普通ならここまで来ることがまずないですし、何かの間違いで訪れることはあっても、泊まるなんて有り得ません。迷うことすらない選択肢です。


 それなのに、わたしは即答できないでいました。

 夏休みだから。どうせ両親もわたしの動向など気にしていないのだから。


 曜子が泊まるというのならわたしは阿山君の毒牙から彼女を守らなければなりません。……いえ、合意の上なら構わないのでしょうか。……いえいえ、まだ学生の身分でそんなこと、万が一、間違いがあっては困ります。断固阻止です。


 それに……、これを認めるのはなぜか忸怩じくじたる思いがあるのですが、阿山君の育った家や家族というものに、興味がないといえば嘘になります。


「……途中でスーパーかコンビニに寄ってください」


 運転手ちとせさんに告げた、その頼みが答えでした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 阿山邸はごく普通の一戸建てでした。ただ、土地が広いせいか、市街地のそれと比較すると建物や庭が一回り大きいようです。


「ありがとうございました、お姉さん」


 曜子が礼を言って車を降り、その足で玄関に上がっていきました。


「……いいんですか?」

「大丈夫だ。今は鏡一朗しかいないしな」


 と千都世さんはどうでもよさそうに言います。


「こんにちはー! あ、キョウ君」


 と家の中から曜子の大きな声が聞こえ、続けて、


「ええ!? ちょ、え? あれ……? 何、なんでいるの?」


 困惑しすぎの感のある阿山君が、曜子に負けず劣らず大きな声を響かせます。


「まあまあ、いいからいいから」


「いや、かないけど……、ああ、そうか、だから姉さんが布団を出してたのか……」


「というわけでちょっと部屋を案内してほしいなぁ」


「えぇ……」


 非常にテンションの高い曜子と、あまり乗り気でない阿山君の声が重なって、家の奥に消えていきました。


「アンタはいいのか? オトヒメちゃん」


乙姫いつきです。わたしは……、ちょうどよかったです。少しお聞きしたいことがあったので」


「へえ?」


 千都世さんはバックミラー越しに挑発的に笑うと、シートに腕を置いてこちらを振り返りました。


 ほんの十数センチほどの空間を置いて、千都世さんと向き合います。


 阿山君とは似ても似つかない、獰猛どうもうとさえ感じる笑顔。

 一見無造作ですが明らかに手が入れられているヘアスタイル。

 自身の顔の良さを十分に理解したうえでの過不足のないメイク。


 それらよりも、わたしが意識してしまうのは、やはり胸元のネックレスでした。

 阿山君から贈られたホワイトデーのプレゼント。

 わたしたちに対するものより、数段高価な返礼の品。


「ヨーコちゃんには聞かせられない話ってことか」


「はい。どうしてわたしたちを実家に招いてくれたのですか? せっかくの、愛しい義弟おとうとさんとの水入らずの時間じゃないですか。わたしたちは明らかに邪魔者だと思いますが。余裕のつもりですか?」


 千都世さんは、阿山君に対して弟ではなく異性として好意を持っている。その事実を鑑みると、今回の行動には強い違和感があります。


 誤魔化しのない問いに、千都世さんは一瞬、目を丸くしました。


「はっ、随分と直球で来るんだな」


「回りくどいことは得意ではありません」


「真顔で冗談はやめてくれよ」


 と千都世さんはまた笑います。失礼な。


 それは案外と深い笑いだったようで、千都世さんは涙目になった目じりをそっとぬぐうと、すぐに笑いを消して、わたしを見据えてきます。


 強い視線を正面から受け止めること数秒。

 千都世さんはふとその視線を和らげました。


「愛しい義弟、っていうのはちょっと古い情報だぜ」

「え?」

「もう、そういう関係じゃないってことさ」

「それはどういう……」


 意味ですか、という問いかけを、わたしは途中で収めました。

 千都世さんの表情に、夏の終わりのような涼やかな哀切を垣間見たからです。


「ヨーコちゃんには言うんじゃないぞ。あの子はアタシがあいつをそういう目で見てたとは思ってないみたいだからな」


「ヨーコはそんなに鈍くはありません。思いたくない、とは思っていたでしょうが」


「あー、なるほどな、そうかもしれねぇな」


「ご心配なく。わたしはこの手の話を言いふらす下世話な人間ではありませんから」


「そうかい。……にしても、オトヒメちゃんもなかなか突っ込んだ話をするじゃないか。そろそろ気持ちが固まってきたってことか?」


「ヨーコはわかりませんが、わたしは特に……」


「なんだウチの義弟に魅力がないってのか?」


「単純に好みの問題です。方向性の違いです。わたしは頼りがいのある、年上の男性がタイプなので」


 このセリフも、もう何度目でしょうか。

 わたしはパターン化してきた感のある否定の言葉を口にしました。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「晩飯作ってやるから、その間しばらく外で遊んでこいよ」


 遊びに来た親戚の子のような扱いで、わたしたちは阿山家から放り出されました。


 移動手段は徒歩。

 日は傾きかけているとはいえ、まだ暑さの残る田舎道を歩いていきます。


 曜子と阿山君が隣り合って歩いているのを、わたしは数メートル後方をついていくという位置関係です。


「家にはなんて言って来たわけ」


「ヒメの家に泊まるって」


「その繭墨はここにいるわけだけど」


 と阿山君がこちらを振り返ります。

 そういえば、家に連絡を入れていませんでした。

 父も母も家を空けているでしょうが、今日は確か、家政婦の斉藤さんが来ているはずです。わたしはスマートフォンを操作し、家に連絡を入れます。


「もしもし、乙姫です。今日は友達の家に泊まるので、晩ご飯は構いません。はい、クラスメイトの、そうです、この前来ていた子です。本当ですよ。お付き合いなんて……、男子の友達なんていませんから。はい、……はい、それでは、はい、お願いします」


 電話を切ると、曜子がこちらを向いて、


「ねえヒメ、もしかして、あたしのうちに泊まってることになってる感じ?」


「そうよ。だからもしお互いの家族から連絡が行ったら、少々面倒なことになるわ。こんな辺鄙へんぴなところまで連れまわしたんだから、それくらいのリスクは背負ってね」


「はーい……、でもバレたらどうなるのかな、ちょっとワクワクするね」


 曜子は能天気なことを言っています。まあ実際、大事になることはないでしょう。

 繭墨の家から連絡が行く可能性はほぼ0パーセント。百代家から連絡があったとしても、きっと斉藤さんがうまくごまかしてくれるはずです。電話口で、わたしの外泊先が男性の家ではないかと、ものすごくうれしそうに疑っていましたから。


「そりゃ辺鄙だけどさ……」と阿山君がボソリとつぶやきます。


「そんなヘンピな片田舎に咲く一輪の花、どう?」


「そりゃ田舎だけどさ」


 純白のワンピースの裾を持ってアピールする曜子。

 スカートから見える白い脚に照れた様子で、阿山君は顔をそむけます。


「自分で花とか言っちゃうとありがたみが半減するよ」


「あ、それでもちょっとあるんだ、ありがたみ」


「この前の、夏祭りの浴衣と同じで、こんなド田舎だからこそ許される服装っていう感じはするよ」と阿山君も結局、田舎であることを認めました。


「つまり?」


「この時期、この場所においてという限定条件付きで」


「付きで?」


「まあ、似合ってると言えないこともないというか」


「ホント? やった!」


 と曜子はガッツポーズを取ります。せっかくのお嬢様スタイルが台無しの、男臭さあふれる仕草です。


「いや~、実はあたしも、ちょっとはっちゃけすぎちゃったかなぁって思わないでもなかったというか……」


「コスプレ感あるよね」


「やーめーてー、言わないでー」


 耳をふさぐように麦わら帽子を目深にかぶる曜子。

 その子供っぽい様子に阿山君が苦笑いを浮かべています。


 そんな二人の、仲睦まじい、と言って差し支えのない雰囲気を崩さぬよう、わたしは数歩下がった距離を保ち続けます。


 二人に気を遣ったということもあります。しかし、それ以上に、千都世さんの言葉が気になって、会話に割り込む心の余裕がなかったのです。


 ――もう、そういう関係じゃない。


 さすがに、家族の縁が切れたという話ではないでしょう。

 あの口ぶりから察するに、関係が前進したとも思えません。

 それなら、残る可能性はひとつです。


 千都世さんは阿山君のことを恋愛対象として見なくなった、ということ。


 いったい、どちらから切り出したのでしょうか。

 どちらが断ったのでしょうか。


 そんな下世話なことを延々と考えていると、いつの間にか二人の姿が見えなくなっていました。辺りを見回すと、下の河原の方から声が聞こえてきます。


「うわぁ、川の水ちょーキレイ! なんでこんなにキレイなの? 何この川、最後の清流?」


「川の水がキレイなのは、上流に人間がほとんど住んでいないからだよ」


 阿山君の、語り部のような穏やかな声。


「人間がいなければ、すべての水は美しいままだし、すべての空気は澄み渡ったままなんだよ。『地球にやさしい』なんて恥知らずなキャッチフレーズ、僕が地球だったらぶち切れてるよ」


 阿山君は穏やかな口調のまま、人類を滅ぼそうとする悪役のような大言を吐いています。


「キョウ君まさか、親戚の子たちにそんな危険思想を植え付けたりしてないよね」


 曜子はドン引きの様子。


 ですが、こういった極端な発言は、ある程度の信頼感というか、親しい相手でなければできないものです。人となりをよく知らない相手の極論は、その人の印象を決定づけ、ひいては距離を置く理由となるでしょう。ひとつの発言だけでその人のイメージが確定してしまうからです。


 そうならない程度には、曜子は阿山君を深く理解しています。阿山君もまた、これくらいなら受け入れてくれるという距離感を把握した上で話しているのでしょう。


 ……これは、なかなかどうして。

 良い感じになっているようですね。


 些細なやりとりからも、わたしは二人の関係性の深まりを感じます。

 それはやはり、千都世さんとの関係性の変化に、連動したものなのでしょうか。


ある一方ちとせさんを清算して、もう一方ようこに集中する。

 そういった積極的な変化は、男らしくはありますが、阿山君らしくはありません。


 肌に不快な汗が浮かぶのを感じます。


 これは違和感のせいでしょうか。

 それとも、焦燥感?


 そのとき、ひときわ大きなセミの鳴き声が聞こえて、季節の名前を思い出します。

 

 そうでした。今は夏。

 汗をかくのは夏の暑さのせいに決まっています。


 わたしはポケットからハンカチを取り出し、そっと汗をぬぐいました。

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