第57話 花火が終わる前に 後編

 話し終わったのとほぼ同じタイミングで、あたしの家に到着してしまう。


 庭先にはお母さんがいて、縁側で蚊取り線香を炊きながらビールを飲んでいた。おっさん臭いと思うけど、いつものことなのであたしはもう気にしていない。


「あら、どうしたのあんた」

「ちょっと気分が悪くなって……」


 キョウ君がゆっくりとしゃがみ込む。あたしは名残惜しかったけどその背中から降りた。ずっと足を曲げてたせいで歩きにくかったけど、何とか縁側にたどり着いた。


「人混みに酔ってしまったみたいです」


 とキョウ君がフォローを入れてくれた。遠慮せずに食べ過ぎですって言ってもいいのに、変なところでデリカシーあるんだから。


「人に酔うなんてそんな繊細な子だったかしら。具合はどうなの?」


「うん、もうだいじょうぶ~、だいぶ楽になったから」


 ホントは帰り道の途中で体調は良くなってたんだけど、そこはやっぱり正直に言うのがもったいなくて、家に着くまで黙っていた。


「それならいいんだけどねぇ……、で、あなたがこの子の面倒を見てくれたの?」


 お母さんはキョウ君を見た。


「はい。申し遅れました、阿山と言います、百代さんとはクラスメイトで……」


 キョウ君がお母さんに自己紹介を始める。丁寧な言葉遣いをしているだけでちょっと大人びて見える。それに、ご家族にゴアイサツ、って感じがしてくすぐったい。


「それはどうもご丁寧に。わざわざ送ってもらってありがとうねぇ。この子が迷惑をかけたみたいで」


「いえ、大したことじゃないですから」


「でも重かったんじゃないの?」


「まあそれなりに……」


 キョウ君は声のトーンを落とす。

 もうデリカシー尽きちゃったの?


「疲れたでしょ。スイカ冷やしてるから、持ってきてあげる。食べていって」


「それは……」


「ここからだと花火も見えるから、ちょうどいいわよ。……それとも誰か、待たせてる女の子がいるのかしら?」


 お母さんがニヤリと笑う。


「いえ……、じゃあ、ごちそうになります」


 たぶんその一言が決め手だったんだと思う。キョウ君は〝お手上げ〟と同じ意味の苦笑いを浮かべて、縁側に腰を下ろした。

 台所へ下がっていくお母さんに、あたしは心の中で親指を立てる。ナイス!


 だけど、キョウ君が座った位置は、あたしからは1メートルほど離れていた。

 告白に対するイエスの返事というには、ちょっと遠い距離だ。

 でも、ノーっていうのならこの場に残ってはいないはずだし、希望はあると思っていいのかな。


 あたしはスマホを取り出して、メッセージアプリを開いた。キョウ君が隣にいるのにスマホを触るなんてもったいないことをするのは、これが初めてだった。


 メッセージをやり取りしながら、考える。

 あたしの一番大きな不安は、キョウ君はヒメのことをどう思っているのか、ということだ。


 あたしは今まで、キョウ君はヒメのことが好きなんだと思っていた。でも、好きな女の子のことを「うっとうしい」なんて言わないよね。


 思い返すと、キョウ君はあまりヒメを女の子扱いしてない気がする。雑に扱ってるわけじゃないんだけど、壊れ物扱いっていうほどでもなくって。男友達を相手にしているような、対等に近い扱いだと思う。


 この前なんか、ロープレに例えて「仲間」って言っていたし。

 あれはごまかしたんじゃなくて本音なのかも。


 その辺りを、もっとハッキリさせたくなる。


 長い沈黙の間、あたしたちはお母さんが持ってきてくれたスイカを食べて、種を庭に飛ばすくらいしかやることがなかった。あたしがマナーなんてお構いなくぺっぺぺっぺと種を飛ばしていると、最初は遠慮がちだったキョウ君も、マネして飛ばすようになった。初心者らしく思い切りが足りてなくて、飛距離は伸びなかった。


 スイカを全部食べ終えてたま切れになるのとほぼ同時くらいに、空が少し明るくなった。顔を上げると、遠くの夜空に音もなく光の花が開いていた。少し遅れて、どぉん、パラパラパラパラ……、って音が響く。


「ねえキョウ君」


「ん?」


「ヒメの下駄の鼻緒が外れてたのは見た?」


「え? そうなの?」


 キョウ君は目を丸くしてこっちを向いた。


「……いや、気づかなかった。そんなそぶりなかったし」


「ヒメってそういうとこ隠すの上手だもん」


「確かに」


「下駄の鼻緒が切れて歩けなくなってる女の子なんて、ナンパ男からすると狙い目だよね」


「さあ、僕はナンパ男じゃないからよくわからないけど」


「一般論としてよ」


「ナンパは一般的な行動なのか……」


「気になるでしょ?」


「そりゃ、まあ……」


「助けに行っちゃう?」


「大げさだよ」


 強がりだってはっきりわかる口調のキョウ君に、あたしは脅しを続ける。


「鼻緒が切れて歩けなくなって、道端に座り込んでるヒメ。それに目をつけて近寄っていくナンパ男たちの影――」


 どぉん、とひときわ大きい花火の音。


そして、花火の音の残響から浮かび上がってくるように、からん、ころん、と下駄の足音が近づいてくる。門の影からひょっこりと姿を現したのは、噂をしていたヒメだった。


「あ、ヒメ、おかえりー」


「ええ。ただいま、というのも少し変だけれど……、本当に、もういいのかしら」


 ヒメはあたしとキョウ君の様子をうかがうように尋ねてくる。


「うん、ちょっと満腹っていうか、持たないっていうか」

「なんの話?」


 と首をかしげつつ、キョウ君はスマホをそっとポケットに仕舞う。ヒメの無事を確かめようとしたのかな。


「こっちの話よ、気にしないで」

「繭墨の方は……、下駄は? 鼻緒とか大丈夫だったの」


 あたしの作り話を真に受けたキョウ君が、ヒメの足元を見ながら聞いている。


「なんの話ですか? 静かに歩いていれば、そう切れることはないと思いますが」


「……さいですか」


 ヒメの冷静なしゃべり方で気づいちゃったみたい。キョウ君が不満そうな顔であたしを見てくる。


「何よぉ、キョウ君の好きな可能性の話じゃない」


「うん、まあ……、いいんだけどね」


 キョウ君は、あきらめと安心が一緒になったみたいな声で言う。

 安心っていうのはヒメが無事だったことだけじゃなくて、さっきまでの少し重かった空気が紛れたこともあるんだと思う。


 そうなってくれないと困る。

 だってそのためにヒメに戻ってきてもらったんだから。


「わたしも縁側に座っていいかしら」


「どうぞどうぞ。スイカを食べたらそのまま種だって飛ばせちゃう特等席だよ」


「風情があって素敵ね」


 そう言ってヒメはあたしの隣に腰を下ろした。浴衣の裾が乱れないように手で押さえながらそっと座る、たったそれだけの仕草なのに、流れるようで見とれてしまう。流麗、ってこういうのを言うんだろうなぁ。


 あたしとの距離は、ほんの30センチくらい。友達といって差し支えない距離だと思う。


 花火の光に照らされて、世界がカラフルに染まる。

 その中でヒメの顔色は、青や緑の光を差し引いてもあまり良くないように見えた。


「ヒメ、ちょっと疲れてる?」


「そうね、少しだけ。面倒なことがあったから」


「トラブル?」


 尋ねると、ヒメは深々とため息をついた。


「夏祭りに女子が一人というのは、アマゾン川に生肉を放り込むようなものだと実感したの。ナンパ男が次から次へと、うっとうしいことこの上ないわ」


 言葉だけだと自慢話にしか聞こえないのに、ヒメが言うと全然そうは聞こえない。

 淡々と事実を話しているだけ、って感じがする。


「そりゃそうだよねぇ、ヒメみたいな美人さんが一人でポツンとしていたら、ちょっかい掛けようって男の人はたくさんいるよねぇ」


 ちらり、とキョウ君を横目で見るけど、冗談や軽口は返ってこない。

 その反応の鈍さに気づいたみたいで、ヒメが目を細める。


 不自然な沈黙。

 だけど花火が連発で打ち上がりだすと、ひっきりなしの爆発音に埋め尽くされて気にならなくなる。


 シンプルな円形の花火や、柳のように降ってくる花火、花びらが時間差で枝分かれしていく花火、小さな花がいくつも固まった花火、とにかく大きい一輪花。


 色とりどりの花火を見上げていると、ふと気になって隣を見た。

 キョウ君も、見られていることに気が付いたのかこっちを向いた。


 目が合った。


 笑顔を返すと、キョウ君は目を丸くして、それから視線をバタフライ並みに激しく泳がせて、最終的に夜空へ逃げた。


 うん。意識してる意識してる。


 花火が終わる前に、返事を下さいとは言わないけれど。

 せめてキョウ君の調子が元に戻ってたらいいな。

 せっかく三人でいても、キョウ君が黙り込んでると、ヒメも調子が出ないみたい。

 それはやっぱり、さみしいし、もったいない。


 自分から踏み出してこの雰囲気を作ったくせに、あたしはそんな矛盾してることを考えていた。

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