第56話 花火が終わる前に 前編

 夏祭りの当日、まだ夕方前にヒメと合流した。


「少し早いんじゃないかしら」


 戸惑うヒメをあたしの家に連れ込んで、ちょっと強引に、おばあちゃんに浴衣を着付けてもらった。


 最初は抵抗していたヒメだけど、あたしとおばあちゃんの二人がかりで、


「絶対似合うって」


「和装をするために生まれてきたようなきれいな黒髪だねぇ」


「振り向かない男はいないって」


「思ったとおりだよ、体型も浴衣向きだ」


「これがクールジャパンなんだね」


「あたしの若いころにそっくりだよ」


 とひたすら持ち上げた結果、どうにか浴衣を着てもらうことができた。


 もっと断固として断られるかも、って少し心配してたけど、ヒメは思っていたよりも素直だった。ちょっと意外なくらい。



 ヒメが奥の和室で着替えている間に、あたしはキョウ君に電話を掛けた。


『もしもし』


「ねえキョウ君、夏祭り行かない?」


 そこで言葉を切って、奥の部屋で着付けをしているヒメのことを話そうとする――


『いいよ』


 ――よりも先に、キョウ君からOKの返事が来た。


「えっ? いいの?」


『うん』


 あれぇ? と首をかしげてしまう。

 キョウ君、あたしの誘いをあっさり受けちゃったんだけど……。


 あたしはキョウ君を夏祭りに誘うにあたって、ちょっとした作戦を立てていた。

 まずフツーに誘っても、二人きりだとたぶん渋られてしまう。だからヒメもいるよっていう……オプション? で釣り上げるつもりだった。


『……もしもし? 百代?』


「キョウ君、あの、あたしでいいの?」


 余計な質問とわかっていても、あたしはつい尋ねてしまう。


『どういう意味?』


「ほかに誘う人がいるんじゃないの? ヒメとか」


『いや、繭墨はなんか断固として祭りに行きたくないらしいよ』


「……っていうことは誘ったんだ」


『いや誘ってないよ』


 キョウ君のしゃべり方が早くなる。誤魔化すときの癖だ。わかりやすい。


『そろそろ夏休みだね的な話を振った途端に、夏祭り完全否定の言葉を吐くものだから、もう誘う誘わない以前の問題だよ。あいつは夏祭りを憎悪しているんだ』


「そんな話したんだ……、いつ会ってたの?」


『いや電話で』


「ふぅん、あたしには掛けてくれなかったのに」


『そりゃ、球場で直に会ったし』


「ふぅん……」


『何』


「なぁんか、アグレッシブだなぁ、と思って」


 終業式の日まで、何かと理由をつけてヒメと話そうとしなかったくせに。


『タップひとつでつながるものに、積極的も何もない』


「でもオンとオフの間ってすごく遠いよ?」


『そう?』


「ものすごく遠いよ?」


 返事が返ってこないので、あたしはさらに続ける。


「好きと嫌いくらい遠いよ?」


 しばらく待っていると、受話器の向こうで、かすかに、続きをしゃべる気配が――


「ヨーコ?」


 すぅっ、とふすまが開いてヒメが入ってくる。

 あたしは反射的に電話を切ってしまっていた。


 ……ま、いっか。たまには意味深なセリフで人を惑わせてみたいオトメゴコロ、ってことにしておこう。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 着付けの終わったヒメと一緒に、あたしたちは神社へと向かう。


 あたしの浴衣は、白地に赤い金魚が泳いでいる可愛らしい柄。

 ヒメは黒地に朝顔が咲き乱れているシックな柄。


「JKにしてすでにオトナの風格があるよねー」

「赤と白のシンプルかつ目立つ配色を上手に着こなしているわ」

 

 なんて、お互いの装いを褒めちぎりながら歩いていく。


 1年ぶりにはいた下駄は、相変わらず歩きにくかったけど、からん、ころん、っていういつもと違う足音がなんだか楽しい。普段はこんな音をさせてたら変な目で見られちゃうけど、お祭りの日だけは許される。不自由なのも悪くないと思う。


 それに、歩きにくいせいなのかな、いつもよりしゃんとした姿勢をしなくちゃって気持ちにさせられてしまう。隣を歩くヒメは、パッと見だけじゃなく歩き方や姿勢の良さという意味でも、和服美人の見本みたいだった。


 背筋はまっすぐで、姿勢もぶれない、靴音も静かで、その歩き方だけでヒメという人間を表している、そんな感じ。


 神社に近づくにつれて少しずつ、あたしたちみたいに浴衣を着た人が増えてくる。


 同じ格好に埋もれちゃうかと思ってたけど、全然そんなことはなくて、むしろヒメのきれいさが際立っていた。


 後ろ姿だけで美人だってわかるもの。長い黒髪を緩く三つ編みにして、それを肩口から前に垂らしている。そうすると白いうなじがよく見える。このインパクトを狙って浴衣を黒地にしたんじゃないかと思ってしまうくらい。


「みんなヒメのこと見てるね」


「ヨーコの方じゃないかしら」


「ううん、やっぱりヒメだよぉ」


「そんなことはないわ。……じゃあ、わたしたち二人が注目を浴びている、ということにしておきましょ」


 あたしが指定しておいた待ち合わせ場所に、キョウ君はもう立っていた。

 ヒメは待ち合わせのことを知らないから、キョウ君に気づいていない。

 先にあたしがキョウ君を見つけ、手を振って声をかける。


「おーい」


 すると、キョウ君はまずあたしに気付いて、それから隣のヒメが目についたみたいで、すぐに気まずそうな苦虫ニガムシ顔になる。


 急に大きな声を出すあたしにびっくりしていたヒメも、呼びかけた相手を見つけると、ジトッとした目であたしを見た。


はかったわね」


 わぁ、二人がこういう反応をするの、なんかすっごく楽しい。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 あたしたちは人混みに揉まれながら、どうにか出店を回っていく。


「ちょっと百代、あんま急がないで、コケるよ」


「あたし、そのうち下駄の鼻緒が切れる予定だから、そしたらおんぶしてね」


「大丈夫、日本の職人技を信じてるから」


「裏にメイドインチャイナって書いてたけど」


「これがチャイナリスクってやつか……」キョウ君がしみじみと言う。


「それは違うわ」ヒメが冷静に言った。


 あたしが少し先を行って、キョウ君とヒメは二人並んでついてくる。

 なんかこの並びって、子連れの若夫婦って感じだよね。もちろんあたしが子供役で、その想像はあまり喜ばしいものじゃなかった。

 あたしは歩くスピードを落としてキョウ君に接近する。


「こんなのウチのスーパーで材料そろえたら半分以下の値段で作れるよ」


 そんなセコいことを言いつつキョウ君は焼きそばをすすっている。


 一方のヒメは『国産和牛串焼き』なんていうワイルドな食べ物でさえ、おしとやかさを崩すことなく食べている。


「こういう出店の料金には場所代、雰囲気代が含まれているものでしょう」


「ただのボッタクリじゃないか」


「男のケチは減点対象ですよ」


「大幅マイナスだよね」とあたしは同意する。


「ええ」


「ケチじゃなくて節制と言ってほしいな。そういう百代はどうなのさ」


「あたし? あたしはイカ焼きとかケバブみたいな、普通はまず食べないものを優先してるけど。あと、わたあめとか、ポン菓子とか、リンゴ飴とか」


「どっちにしろ金に糸目はつけてないっぽいね……」


 キョウ君は自分が一番お金を使っていない現状に軽くショックを受けつつも、そのスタイルを変えるつもりはないみたいだった。


 その代わりということじゃないと思うけど、ヒメは射的に金魚すくい、ダーツなどの景品を取るタイプの屋台にも顔を出していた。三者三様、って感じが楽しいし、うれしいと思う。


 ……だからちょっと、調子に乗っちゃったのかも。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「ヨーコ? 少し顔色が悪いんじゃないかしら」


 もうとっくに自覚していて隠していたことを、隣を歩いていたヒメに指摘されてしまう。


「え、大丈夫? 食べすぎなんじゃ」


 とキョウ君が心配そうに眉をハの字にする。


「いつもはこのくらい平気なのに」


「そうね、ヨーコはけんたんか・・・・・だから」


 とヒメがよくわからない単語を使う。よく食べる人、くらいの意味かな。


「……だとすれば、何か、屋台の食べ物に当たったのかしら」


「いや、帯で締め付けられてるんじゃないの?」


 とキョウ君が言った。


「ほら、着物や浴衣は昔の日本人の体型に合わせた衣服で、昔の日本人女性は現代ほど起伏が激しくはなかったというし」


 キョウ君が一瞬だけヒメの方を見た。顔じゃなく目の動きだけだったから、さすがに気付かれてはいないと思うけど、これ、バレたらヒンシュクものだよね絶対……。


「仕方ないですね。阿山君、ちょっとしゃがんで、背中をこっちへ向けてください」


「えっ? 何? 顔を蹴りやすい姿勢になれってこと?」


「違います。ヨーコをおんぶしてください」


「ええっ?」


 とあたしは反射的に声を出してしまう。


 ヒメのなぜか期待するような顔と、阿山君のあんまり広くない背中を交互に見る。


 こんな大勢がいるところで恥ずかしいし、お世辞にも屈強とはいえない阿山君があたしを背負えるのかな。あ、別にあたしが特別重いわけじゃないけど……。


「大丈夫よ、おんぶというのは筋力よりバランスだから。ほら、ほらほら」


 ヒメはやたらと急かしてくる。っていうかなんでこんなノリノリなんだろ。

 

 キョウ君はヒメに言われるがまま、膝をついて背中をこちらに向けた。


 こんなお膳立てをされたら、乗っかるしかない。あたしはその背中を借りることにした。下駄の鼻緒が切れてしまって――なんていう雰囲気のある理由じゃなかったけど、しぶしぶと、キョウ君の肩に手を乗せる。


 最初の数歩こそふらふらしてたけど、キョウ君の足取りはすぐに安定して、あたしは安心して身体を背中に預けることができた。



 キョウ君の背に乗って祭りの人波に逆行する。

 少しだけ高くなった視界のせいか、ちらちらと見られているのがよくわかる。


「キョウ君落ち着いてるね」


「いや正直他人の視線とかより百代の方に集中してるから」


「えっ」


 ストレートな言葉にドキッとする。


「おんぶはバランスって繭墨が言ってたとおりなんだけど、それってつまりバランスが崩れたらコロッといっちゃうってことだから、神経を使うんだよね」


 ……そういうことだと思った。どうせ見えてないけど、キョウ君の後頭部をじろりとにらんでしまう。と、キョウ君が少し言いにくそうに付け加える。


「あと、ちょっとべったりくっつきすぎなんですが」


「え」


「背中に、胸が、当たっています」


「あー、あたしの方に集中ってそういうこと……」


「それに、あんまりくっついてると汗臭くない?」


「キョウ君の? ううん、全然。キョウ君って男性ホルモン少なそうだもん」


「それ汗臭さと関係あるの?」


「わかんないけど……、なんとなく、男性ホルモンが多い方が男臭そうな感じするじゃん」


 そんなどうでもいい話をしているうちに、あたしたちは神社から遠ざかっていく。

 道を行く人はまばらになって、もう普通の夜道と変わらないくらい。


 人が減って、どんな話でもできるようになったのに、なぜかあたしたちは却って無口になってしまう。


 キョウ君が騒いでいたときは冗談で押し当てていた胸も、今は恥ずかしくなって間を開けている。お祭りの音が遠い。


 いつの間にか、ヒメはいなくなっていた。


 これって、気を使われたってことなのかな。体調の話じゃなくて、もちろん、あたしとキョウ君を二人きりにするという意味で。


 思えば、おんぶをさせるところからかなり強引だった。

 道端に腰を下ろして休憩すれば済むことなのに。


 でも、こういう風に気を回してくれたっていうことは、ヒメはキョウ君のことを好きじゃないのかな。少なくとも、付き合いたいっていう異性への好意は持っていないって、そう思っていいんだろうか。



 ヒメはあたしの恋を応援してくれてるのかもしれない。



 そう意識してしまうと、こんな状況で、夏祭りの夜に、キョウ君におんぶされて、お互いの身体が触れ合っているようなシチュエーションで、何も伝えないなんて有り得ないと思った。思ってしまった。


「このまま百代の家まで行くってことでいい?」


「あたしはキョウ君の部屋でもいいんだけど」


 キョウ君の問いかけに、あたしは反射的にそう答えていた。


 キョウ君の肩がぴくりと動く。

 でも、無言。


「ほら、今なら抵抗もできないし」


「そういう冗談は――」


「冗談じゃないよ。あたし、キョウ君のことが好きだから」


 キョウ君は立ち止まりかけて――バランスが崩れる前にまた足を動かす。


「……話、聞いてくれる?」


 あたしはキョウ君の後頭部に額をうずめた。髪の毛がチクチクする。

 無言は了解と受け取って、ぽつり、ぽつりと話を続ける。


「何を隠そう、進藤君にフラれてすぐに、もうキョウ君に興味が出てたんだよね。我ながら愛が軽いと思うけど」


「ほら、あたしじゃ進藤君と釣り合わないって愚痴ったとき、キョウ君言ってくれたでしょ。恋愛関係は天秤みたいな釣り合いじゃなくて、パズルのようにはまるかどうかだっていう話。あれがきっかけだったのかな」


「バレンタインのときも、頼めばあっさり部屋貸してくれるし、とけたチョコをひっくり返して火傷しそうになったとき、引っ張ってくれた腕が意外と力強かったことも覚えてる」


「委員長にされそうになったとき、助けてくれたこと――あれがたぶん、決定打。守ってくれるのって、あたし的にはホントにポイント高いんだよ?」


「ほら、こんなにきっかけがあるんだから、これはもう、半分はそっちのせいだよ。あたしがキョウ君を好きになった責任の半分はキョウ君にあるの」


「大丈夫、責任取れなんて言わないから。すぐに返事をくれとも言いません。ただ、聞いてほしかっただけ」


 そして、意識してほしかった。

 ヒメじゃなく、あたしのことを。

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