第44話 根回しって言うんでしょ?

 六月は国民の休日がないから嫌いだとのび太君が嘆いていたが、しかし高校生活においてはそれなりにイベントがある。衣替えであらわになる女子の二の腕に心躍こころおどらせ、その直後の中間テストに向けて勉学に励み、続いて行われるのが生徒会選挙だ。


 世間一般の選挙と同じように、生徒会選挙に対する生徒たちの関心は高くない。そもそも立候補者が二人しかおらず、その二人すら生徒会からの持ち上がりという有様だった。

 副会長候補が近森あずさ。

 生徒会長候補は繭墨乙姫である。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 投票日には午後の授業はない。5限目に体育館で立候補者による演説会があり、それを聞いてから教室に戻って投票を行う、という流れだ。


 演説の一番手は近森だった。頑張っている姿勢は見えたものの、カンペをちらちら確認しながらの演説のうえ、しょっちゅう噛んでいたミスばかりが印象に残ってしまった。普段は活発で明るいのに、こういう場所では上がってしまうタイプらしい。


 二番手は繭墨。まっすぐに前を見据えて、いつもと同じ澄まし顔。凛々しい立ち姿が人目を引き、涼やかな声は体育館によく通る。外見的な印象という点ではかなりの高ポイントだろう。


 ただし、内容については少し疑問符がつくものだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「みなさんはこの学校に不満がありますか?

その不満は、声高に叫んだり、行動で示したりするような、明確に発するほどに強いものですか?


 おそらく、それほど強い意見はないでしょう。

 立候補者ゼロという現状がそれを示しています。


 ですが、特に変化は望まない、あるいは自分から動くほどの強い不満はなかったとしても、不満自体がまったくない、ということはありえません。

 日常生活でふと気づく疑問や、友達との話題で浮かんでくる些細な不満など、そういったものは確実にあるでしょう。

 しかし、それも声にしなければ届かないですし、届かなければ学校も動きません。


 わたしは決して全校生徒のために、学校をよくするために、などという使命感が強い方ではありませんし、生徒会に所属しているのも、生徒会活動への興味という個人的な動機です。


 それでも、生徒会としての基本的な活動に加えて、皆さんから聞こえてくるご意見があればそれを拾い上げ、形にすることで、今以上に楽しい学校生活が送れるお手伝いをしていきたい。


 わたしが生徒会長になったら、来月の生徒総会で皆さんのご意見、ご要望を募る時間を設けたいと考えています。先に話したとおり、そこでの話し合いも生徒会活動の指針として、皆さんとともに、より良い生徒会を作り上げていきます。


 皆様の一票、ご協力をお願いします」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 一般的に、選挙演説では具体的な改善例を挙げることがよいとされている。


 例えば『学校を良くしたい』というあいまいな言葉よりも、『学食のメニューを増やします』などの明確な目標を出した方が、聞く者の興味を引きやすいからだ。


 ところが繭墨の演説にはそれがなかった。


 それどころか、生徒の無関心さをさりげなく批判し、生徒会をやっているのは自分のため、という意味に取れることを平然と言っていた。


 最終的にはみんなのために頑張ります的なことを言っていたが、どうにも締まりの悪い、違和感の残る演説だった。最後の体裁を整えただけ、という感じだ。




 教室に戻ると投票が行われ、投票箱は選挙管理委員が生徒会室へ持っていく。


 普通ならばこのまま放課なのだが、クラスメイトが立候補しているということもあてか、半数以上の生徒が教室内に居残っていた。

 

 百代が僕の席へやってきて、小声で尋ねる。


「ね、ヒメの演説、どう思った?」

「百代は?」

「んー……、あんまり上手じゃないなって」


 率直な百代の言葉。まったくそのとおりだと僕も思う。


 繭墨のことをあまり知らない人間にとっては、まあそこそこ、何やら演説っぽいことを話しているように聞こえただろう。だが、僕たちは繭墨乙姫を知っている。あいつはその気になれば自発的に拍手が起こるくらいの演説をてる人間だ。その繭墨にしては平凡な演説だった。


 演説のクオリティについて、僕と百代は同じ考えらしい。しかし、なぜそんな演説になってしまったのか、という点では意見が割れた。


「やっぱり緊張してたのかなぁ。全校生徒って何人くらいだっけ」


「500人以上はいたんじゃないの」


「うわぁ、あたし絶対ムリ、教室の前で板書するだけで緊張してるのに。500人かぁ……、それじゃ、いくらヒメでもミスが出ちゃうよねぇ」


「鬼の霍乱かくらんってやつだね」


「鬼のかくらん……、何それ? キョウ君また小難しい言葉使って……あ、わかった! 鬼の目にも涙みたいな感じのやつでしょ」


「当たらずとも遠からずかな」


 珍しい物事、という意味では方向性は同じだ。


「ヒメは鬼なんだ」


「そこはご内密に」


 百代は、繭墨の演説が今ひとつだった原因を緊張のせいだと思っているようだ。


 確かに緊張したらミスが増える。内容を飛ばしてしまったり、早口になったり、挙動不審になったりする。


 しかし、それらは表面的なミスであって、本来、演説の中身とは関係がない。演説で何をしゃべるかは事前に準備しているものだ。緊張したからといって、演説の中身は変わらないはずなのだ。


「最後だけ聞いたら、生徒総会でみんなのご意見お待ちしてます、ってことだよね。でも、その割にはしょっぱなから、みんなちょっとやる気ないんじゃないの? って感じで挑発的だったし……」


 百代が首をかしげている。

 他の生徒も同じように思っているだろう。


 繭墨の演説にはどういう意図があったのか?


 そこをはっきりさせる必要は、ない。


 少なくとも、みんなに知らせる必要はない。

 むしろ隠しておいた方がいいだろう。


「これはちょっとミスったんじゃないかな」


 僕は深刻そうな声を作る。


「え? どゆこと? ヒメが何か失敗したの?」


「失敗ってほどじゃないけど……、生徒総会でみんなのご意見を募集しちゃったら、会が長引くじゃないか」


「あー、あれ、メンドくさいし早く終わってほしいもんねぇ」


 百代が前回の生徒総会を思い出したのか、うんざりとした顔になる。


「それは困る、部活の時間が短くなるからな」


 と直路が話に加わってきた。これは助かる。野球部エースの注目度を使わない手はない。


「そこで提案があるんだけど」


「「提案?」」


 二人の声がハモった。


「生徒総会を早く終わらせるためのアイデアだよ」


「生徒からの意見を募集しなければいいじゃん」


 と当たり前のように百代が言う。


「いや駄目だよ。もう演説でやるって言っちゃったんだから、公約違反になるよ」


「どうせみんな、演説で何しゃべってたかなんて覚えてないよ」


「ほとんどの生徒はね。でも、百代は覚えてたじゃないか」


「あたしはヒメの友達だし、それに、ちょっと内容が、上から感あるなぁって、ちょっと心配になったし」


「それだよ。上から目線で言われてると思ったら、反感を覚える生徒もいるかもしれない。で、意見を募集するっていうならちょうどいい、面倒な意見をぶつけて困らせてやる、なんて考える性格の悪い生徒もいるかもしれない」


「〝かもしれない〟ばっかり」


「でも一理あるな。〝かもしれない〟が多いってのは、雨の日の試合みたいに先がどうなるかわからないってことだろ」


 直路の喩えはわかりやすかったようで、百代はすっきりした表情になる。


「あー、確かに、中止なのか中断なのかはっきりしないと、試合してる人はしんどいよねぇ」


「まあ、そんな悪意ある生徒がいなかったとしても、当日にならないと意見がいくつ出るのかわからない状態っていうのは、予定が立てにくいと思うんだよ」


「じゃあ、どうしたら予定が立つの?」


「先に質問を集めて、総会の前に生徒会に提出しておく。で、生徒総会はその質問に答えるだけの場にする」


 質問と回答をその場でやろうとすれば、きっと混乱してしまうだろう。意図のわからない質問が出たり、回答に手間取ったり、ほかにもいろいろな問題が考えられる。


 だから、質問と回答をはっきり分けるのだ。


 質問は生徒総会の一週間前くらいを目安に各クラスから集めておく。そうすれば生徒会は前もって回答を用意して総会に臨めるだろう。当日にアドリブをやる必要などないのだ。


「あたしそれ知ってる! 根回しって言うんでしょ?」


 嬉しそうに手をあげる百代に、僕はゆっくりと首を振る。


「違うよ、会議を円滑に進めるための下準備だよ」


 手始めに二年一組の意見をまとめる。それ自体はクラス委員の立場をもってすれば難しいことではない。


 問題はその先だ。


 この流れを二年生全体へ、そしてあわよくば全学年へと広げなければならない。

 想像しただけで面倒くさい仕事だ。


「……キョウ君? どしたの?」


 百代が首をかしげる。

 先のことを考えて気が重くなったのが、顔に出てしまっただろうか。


 ところが、続く百代の言葉は、僕の自覚とは正反対のものだった。


「なんか楽しそうだね」


「……え?」


「だって、顔が笑ってるよ?」

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