第39話 袖にされた女同士

「大丈夫ですよ、千都世さん。この猫はわたしの家で預かりますから」


 困惑する阿山姉弟をよそに、わたしは手早く猫グッズを片付けていきます。曜子も最初は戸惑っていましたが、この状況で猫を預かってもらうのは無理だと理解してくれたようで、パトリシアをキャリーバッグに入れて、一緒に撤収準備にかかります。


 玄関口で阿山君は、こちらを引き止めるような言葉を吐こうとして、それを飲み込み、ありがとう、とだけ口にしました。

 そういう割り切りができるところは、悪くないと評価できます。




 アパートを出ると、わたしは自分の家の方向へと歩き出そうとしますが、しかし、曜子がその場から動きません。


「どうしたの? 忘れ物?」

「あのね、別に、あたしんでもいいよ」


 曜子が少し言いにくそうに、そんなことを口にします。

 猫を預かることを断られたはずの、自分の家へ、猫を連れて行ってもいいという。

 その発言の意味するところを察して、わたしは苦笑いを返します。


「あら、あっさり白状するのね」

「バレてたんだ……」

「なんとなく、よ。気づいたというより、そうした方がヨーコにとって得だと思ったから」

「あ、でも最初から考えてたわけじゃなくて、思いついたのは、お父さんに連絡しようと思ったときだから」


「猫はやっぱり預かれない、ということになったら、次は阿山君の部屋に矛先が向くのが自然な流れでしょうね。押しに弱い阿山君は、なんだかんだ文句を言うけれど、結局は受け入れてくれる。そうなったらこちらのもの、世話までさせるのは悪いから面倒を見に行く――なんて理由をつけて、連休中の彼の部屋に居座ることができる。そういうことでしょ?」


「あぅ……」


 曜子は観念した様子でうなだれます。


 パトリシアの世話を申し出たあの日、曜子は実のところ、父親には連絡をしていませんでした。

 それなのに、断わられてしまった、どうしよう、と嘘をついて、阿山君に泣き付いたのです。目的のために手段を選ばない、なかなかの悪女といえます。


「ただ猫の世話をするだけじゃなく、あわよくば泊り込もうという腹でしょ」

「えっ、なんでわかったの?」

「猫グッズ込みにしても荷物が多すぎよ」

「これでもかなり減らしたのになぁ」

「阿山君は気づかなかったみたいだけれど」


 肉食系の本領発揮の曜子に比べて、阿山君は草食系のくせに捕食者への警戒心が薄いようです。草食系どころではなく、もはや物言わぬ草の境地に近づいているのかもしれません。


 自分が食べられるかもしれないことに無頓着なのは、油断というよりも、自己評価の低さでしょうか。曜子から向けられている感情が好意であると、信じ切れていないのでしょう。


「惜しかったわね。千都世さんが来なければ計画は成功していたかもしれないのに」

「うーん、やっぱりズルはできないんだねぇ。でも、お姉さんが来てくれてよかったかも。ちょっとだけ、罪悪感もあったし……、さすがに家族が来てるところに猫を持ち込むわけにもいかないし」

「……そうね」

「っていうかむしろキョウ君はどうして実家に帰らなかったんだろ。あたしたちのせいじゃないよね?」

「予定があればさすがに断ってるでしょ。面倒だから帰りたくなかったとか、そういう理由よどうせ。他所よそ様の家のことをあれこれ考えても仕方がないわ」

「それはそうだけど」


 それはそうだけど気になって仕方がない、と言いたげに曜子は口をとがらせます。

 ここはひとつ、曜子の気をそらすことにしましょうか。


「ねえヨーコ。宿泊用の荷物を持ってるのよね。だったら、うちに泊まらない?」

「え? ヒメの家? いいの?」

「少し遠いけれど、それでも構わなければ」

「行く行く、ぜんぜん構わないから!」


 わたしの提案に、曜子は身を乗り出し、目を輝かせます。

 キャリーバッグが揺れて、中にいるパトリシアが小さく唸り声をあげました。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 阿山君のアパートから徒歩で停留所へ向かい、他愛のない会話をしながらバスに揺られること約30分。この近辺では高級住宅街に位置付けられている、華々見かがみ台という丘のふもとで下車します。


 そこからさらに歩くこと10分、ようやく繭墨の家に到着しました。


 華ヶ見台は丘の頂点に近づくにつれて、一戸ごとの専有面積が広くなっています。庭が広くなり、家も大きく、豪華になっていくのです。頂点を占有するのはわずか数軒の最上位グループのみ。


 繭墨家が属するのはそのひとつ下です。二番手とはいえ、一般的な建売住宅よりも数倍は大きな家屋が並んでいます。


「ふぁー……」

 と曜子が感嘆? の声を上げながら、繭墨の3階建ての家を見上げています。

「なんとなく、いい家に住んでそうなイメージを勝手に抱いてたんだけど、ホントにお嬢様だったんだね……」

「いい家かもしれないけれど名家ではないわ」

「え? 何が違うの?」

「格式が違うわ」

「ふーん。ね、メイドさんとかいるの? 執事さんは?」

「家政婦さんが1人だけ。その人もわたしたちのお母さんくらいか、もっと年上かっていう年齢よ。ヨーコがイメージしているような、可愛らしい女性や、キリッとした男性はいないわ」


 そもそも、世話をする相手が家にいませんし。


 今現在、母は家を出ています。

 父はときおり着替えを取りに帰ってくるだけ。

 家事をしているのは、週三回やってくる家政婦さんです。掃除や洗濯、食事の用意などをしてくれています。

 家族よりも、家政婦たにんとの接点の方が多い生活です。


 曜子を家に呼んだのは、そんな生活の虚しさを、少しでも紛らわせたかったから、なのかもしれません。


「入口のドアもおっきい……」


 きょろきょろと視線が落ち着かない曜子を、扉を開いて案内します。


「どうぞ、味気ないところだけど」

「お邪魔しまーす。そでにされた女同士、仲良くしようね」

「古風な言い回しを知ってるのね」

「えっと、ご家族にゴアイサツを……」


 曜子がかしこまってそんなことを言いますが、


「両親は旅行中よ」


 とだけ説明しました。娘を置いて両親だけが遠出しているという話に、曜子は首をかしげつつも、それ以上、尋ねてくることはありませんでした。

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