第31話 名前で呼ぶね

 嵐のようなホワイトデーが過ぎ去って春休みに入ると、僕はアルバイトを始めた。千都世さんに贈ったネックレスが家計に深刻なダメージを与えており、その修復のためのお金が必要だったのだ。


 職場はアパート近くの、行きつけのスーパー『ラッキーマート』。

 スーパーの仕事と一口に言っても、肉や魚を切ったり、弁当を作ったり、レジを打ったりといろいろあるが、僕の仕事はフロア係だ。主に売り場を巡回して棚の商品を補充する作業である。


 フロア業務にはレジ打ちは含まれていない。つまり現金を扱うわけではないので、そこまで気を張る必要はなく、コンビニと違って業務内容もシンプル。その分いくらか時給は落ちるが、とにかく家から近いという点がよかった。


 期間も春休みの2週間だけ厚めに入って、新学期が始まってからは週3回などでも大丈夫という、融通ゆうずうの利くところも気が楽でいい。


 もちろん気楽だからといって手を抜いたりはしない。ダラダラと作業をしているのは、自分はだらしがなくて能力の低い人間ですと宣伝しているようなものだ。これは自分の部屋を極力きれいに保っておきたい精神――つまりは見栄だ――と共通するものかもしれない。百代にはキレイすぎて逆にちょっとキモイと言われたりもしたが、この性格はそう簡単には変えられない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 アルバイトを始めて数日が経ったある日のこと。最初に教わった業務にも慣れてきたと思っていたら、不意に事務所に呼び出された。


 僕を呼び出したのは副店長の長谷川さんだった。中肉中背のアラサー男性である。相手に威圧感を与えない穏やかな容姿と雰囲気を持つが、気の強いパートのおばちゃんや、ガラの悪いお客様に、一方的にあれこれ言われているのをよく見かけるので、ああ、これが中間管理職、ありとあらゆる方向からの板挟みになる人のことか、としみじみ思ったものだ。


 どうして呼び出されたのだろう。何かミスをしてしまっただろうか。心当たりがないまま、長谷川さんの言葉を待った。


「うーん、最近の若い子には、あまりない傾向なんだけどね」


 差し出されたおごりの缶コーヒーを受け取りつつ話を聞く。


「昔の……、私よりもちょっと上の世代って、仕事に逃げている人が割といたんだよね。仕事から逃げるんじゃなくて、仕事逃げ場所なんだよ。私生活で趣味とかがなくて、休日に家にいても家族から雑に扱われたりして、余暇の過ごし方がわからなかったんだね。だから、やたらと職場での自分に存在価値を見出したがるというか」


「モーレツ社員とかの世代ですか。その話とどういうつながりが?」


「よく知ってるねそんな言葉。そこまではいかないんだけど……、君にはどうも、それに近いものを感じるんだよ」

「近いもの、ですか……」

「仕事をまじめにやっているというよりも、必死で仕事に逃げ込んでいる感じさ。よくあるモノローグだろう? 忙しい方が余計なことを考えなくて済む、というのは」

「はい……」


 確かによくあるやつだ。それも主に、主人公がひどく打ちひしがれているときに。


「ああ、真面目さを否定するつもりは全くないんだ。しっかり働いていくれているのは、とてもいいことだよ。君は仕事に対する意識がきちんとしている。そこは私も高く評価しているからね。ただ、それで身体を壊されても困るし、いくらでも残業できます、なんてアピールをされても、こちらでは受け入れられないんだよ」


 やんわりとした口調ではあったが、確かな否定だった。

 それが思いのほかショックだったみたいで、僕は考えなしに「はあ……」と気の抜けた返事をしてしまった直後に無礼に気づき「あ、はい、わかりました」と遅れて付け加えた。


 その取り繕いに長谷川さんは苦笑いを浮かべて、


「基本、パートタイマーに求められるのは、瞬発力ではなく持続力だからね。150%の力で大気圏突破してそのまま戻ってこなくなるよりも、80%くらいの力で安定飛行を続けてもらった方がずっといい」


「もう少し手を抜いていいということですか」


「いや、力を抜くのはいいが、手は抜いちゃいけない。力を抜いた分の余力をよそに振り分けるんだよ。何事にも言えることだが、スピードが速すぎると視野が狭くなる。アクセルを踏み込むときは状況を見極めないとね」


 長谷川さんはゆっくりと、言い含めるように話をしてくれた。

 雇って数日の学生アルバイトに対して、ずいぶん手厚い処方だと思う。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 僕は働き方を少しばかり変化させた。


 商品を並べるにしても、ただ棚の端から順に埋めていくのではなく、商品の減り具合によって優先順位を考えた方が効率がいい。

 作業に夢中になって周りを見ていないと、通路を塞いでしまったり、お客様が商品を取る妨げになってしまう。


 そういった『力を抜いたぶんの余力をよそに振り分ける』ための具体的な方法を教わり、それを実践していった。


 力は抜いて、手は抜かない、抜いた余力で視野を広く。


 標語のように繰り返しながら作業をしていく。

 お客様が通り過ぎるときには、意識して笑顔を作ってあいさつを。


「いらっしゃいませー」

「わぁ、すっごい作り笑い」


 私服姿の百代が立っていた。

 ホワイトデー以降、学校ですれ違っても軽く言葉を交わすくらいで、あの日の弁解もできていない。……まあ、言い訳するような後ろ暗いことはないはずなんだけど、喫茶店では千都世さんに引っ掻き回されたせいで、妙な感じで別れてそのままだったから、少し気にはなっていたのだ。


 百代の機嫌はよさそうだった。

 ブラウンのダッフルコートに青系のタートルネック、下は濃紺のデニムのパンツ。商店街のスーパーよりは市街地の百貨店を歩いている方が似合う装いだ。


「イ、イラッシャイマセー」


 僕はそっと顔を背け、作業に没頭するふりをする。


「ね、店員さん、この商品って売り切れなの?」


 百代が――お客様が棚の一角を指さした。

 そう来られると、こちらも対応せざるを得ない。


 見てみると、値札はあるが商品はなかった。

 棚にないだけなのか、それとも、在庫もゼロなのか、僕には判断がつきかねる。

 こういうときのための魔法の言葉を、僕は口にした。


「し、少々お待ちくださいませ……」


 そしてバックヤードへ引っ込もうとする。


「じゃあやっぱりいいです」

「ぐっ……」


 僕は周囲を見回した。

 ほかにお客様がいないことを確認してから、仕事モードを解除。


「……なんで知ってるの、ここでバイトしてること」


「千都世さんが教えてくれたんだよ。ほら、バイトするときって身元保証人とかが必要でしょ?」


「ああ、それで……」


 といっても、バイトを始めることは千都世さんに伝えていない。

 ただ、いくつかの書類は両親に書いてもらう必要があり、実家に郵送していたのだ。それを盗み見られたのだろう。そして、面白がって百代に知らせたという流れのようだ。


 さっそく連絡先を交換しているあたり、さすがに手が早い。百代と千都世さんはノリが合いそうだし、厄介な二人が手を組んでしまったな……と危機感を覚えていると、百代がこちらに一歩近づき、顔を覗き込んできた。


「ねえキョウ君」

「きょうくん?」

「名字だとお姉さんとかぶっちゃうから、名前で呼ぶね」

「あ、うん……」


 僕は棚に手を伸ばして、乱雑になっている商品の整頓をおこなう。

 棚の見栄えをよくする重要な業務だが、今はそれ以上に、百代からいきなり名前で呼ばれた動揺を隠す意図もあった。なんだよキョウ君って。


「ね、どうしてバイト始めたの?」

「遊ぶ金欲しさに……」

「窃盗犯の動機みたいな言い方」

「実際、春はいろいろと物入りになるしね」

「自炊しててもやっぱり厳しいの?」

「自炊ってあんまり節約になってる感じがしないんだよね。1人前だけだと手間もかかるし、作り置きできる料理にも限りがあるし」

「ふーん」

「あと、僕は刺身が好物なんだけど、グラム当たりの値段で見ると国産牛並みに高いってことに初めて気づいたよ」

「え、そんなにするの? あたし魚全般キライだからどうでもいい情報だけど……」


 百代はそこで言葉を切って、首をかしげる。


「ところで、今日の仕事って何時くらいに終わるの?」

「あー、バイトに入ったのが遅かったし、1人、急に来れなくなったみたいで、ちょっと長引くかな。夜の8時くらい」

「へー、けっこう遅くまでやるんだぁ」

「春休み中は積極的に使ってくださいって頼んでるから」

「基本、消極的なキョウ君がねぇ……、自分でお金を稼いだりして、大人の階段を上っちゃったんだね……」


 そんな雑談に興じているうちに、別のお客様が通りがかった。

 

「いらっしゃいませー」


 僕はすぐさま仕事モードに戻る。

 百代も気を使ってくれたようで、そっと距離を取ると、「じゃあまたね」と片手を上げて帰っていった。

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