第24話 千都世さんからの贈り物
百代の弟君とは無事に会うことができた。着替えの一式を受け取るときに、品定めされるような視線を向けられたが、年上の余裕でスルーしておいた。
姉との関係を誤解されそうだったが、きちんと事情を説明した方がよかったのかもしれない。しかし、自分から言い出すのは自意識過剰のようで嫌だったし、言い訳のように聞こえてしまうかもしれない。難しいところだ。
思い悩みつつ部屋に戻ると、百代が何やらそわそわしていた。視線がさまよい、髪の毛をいじったり、狭い部屋の中を歩き回ったりと落ち着きがない。
「どうしたの、なんか挙動不審だけど」
「ううん、なんでも」
「そう……ホントに?」
「あ、あたしの挙動がヘンだとしたら、それは一刻も早くチョコづくりを再開したいっていう気合があふれ出てるの」
「あそう」
その気合に応じるために僕はスーパーで買ってきた板チョコを差し出す。
「だいぶ時間が無くなってるけど」
時計の針は16時を指している。
「むぅ……」
延長はダメ? みたいな視線を向けてくる百代に、僕は無言で首を振った。
時間を延ばせば夕食まで世話することになる。そこまでやって、ただの同級生ですって関係はありえない。いささか近づきすぎているという自覚はあった。ここらではっきり、線を引いておかないとまずいと思った。
「はーい」
百代の返事はあっさりしたものだった。僕の断固たる態度が効いたのだろうか。
やはり男子たるもの、たまには無言でもにじみ出る意気ってやつを見せないとね。
ただ、百代が着替えている間、そわそわしっぱなしだった内心は、にじみ出てないことを祈らないといけないけれど。
着替えた百代は、再びエプロンをまとって台所に立った。
「時間がないし、なんかもうテンパリングなんて細かい作業やってたらテンパっちゃうし、もう1品だけでいっかぁ」
そんな独りごとを言いながら湯煎を再開する。あのダジャレ、たぶんずっと言いたかったんだろうな。
ハプニングによって時間が限られた状態で、百代が選んだのは生チョコだった。
生チョコなんて難しそうなイメージがあったけど、実は溶かしたチョコに生クリームやハチミツなどを入れるだけいいという割とシンプルなものだった。最後にココアパウダーをまぶすので、表面の
特に手伝うこともないので、僕はベッドに背を預けて読書をして時間をつぶした。
集中している百代の邪魔になってはいけない。下手に話しかけてさっきのようなことになっては困る。
それにしても、あのときの百代は、どうしてあんなに動揺していたのだろう。確かに説教臭いことを言ってしまったとは思うけど……。
「できたよー」
20ページほど読み進めたところで、百代が声を上げた、
「え、もう?」
「1時間くらい冷蔵庫で冷やすんだって」
「へえ……」
当然のことだった。溶かしたチョコなのだから冷やさなければ。
しかし、一時間か。
間が持つかどうか、ちょっと心配になる長さだ。
僕の心配をよそに、百代はチョコを入れた平皿を冷蔵庫に入れると、代わりに何か、ティッシュ箱よりやや平らなサイズの箱を取り出した。
僕はそんなものを冷蔵庫に入れた覚えはない。
「何それ」
「えっとね、阿山千都世さんからの贈り物です」
「――はぁ!?」
僕は立ち上がっていた。
部屋中を見回し、人が隠れられる浴槽やクロゼット、ベランダなどに視線を巡らせるが、あの人の姿はない。よかった、と安堵のため息をつく僕に、百代がいぶかしげな視線を向けてくる。
「その反応……、どしたの?」
「あ、いや、ちょっと、サプライズの気配がないかと思って」
「千都世さんってそういうことをするタイプの人なの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
千都世さんのことは今は置いておく。
「それより、いつ来たのそれ。僕が出てるあいだ?」
「うん。ちょっと迷ったけど、まあいいやって。迷惑だった?」
「不在宅への再配送は、宅配業の大きな負担になってるからね。それは構わないよ」
「あー二度手間ってイヤだもんねぇ」
「これは感情的な話ではなく、業界全体の労働環境に直結する大きな問題なんだ」
「どしたの阿山君、ギョーカイ関係者だったの?」
百代は首をかしげつつ、千都世さんが送ってきた荷物を持ってきて、テーブルに置いた。
「ね、阿山君。このタイミングで送ってくるってことは、この中身、チョコだよね」
「たぶんね」
「開けてみようよ」
「そして?」
「食べてみようよ」
「このいやしんぼめ……」
相変わらずの強引さだったが、いつもの調子が戻っているのはいい傾向だ。
それに、時間も潰せるし。
僕はため息をつきつつ、フォークと小皿を取ってくる。
千都世さんはお菓子作りが得意だった。
中身はおそらくケーキの類だ。
チョコレートならこの時期は十分に常温保存できるので、クール便で送ってくることはないはずだから。
箱を開けて取り出した中身は、思った通りチョコレートケーキだった。
ただし、とんでもなくクオリティが高い。
サイズは小ぶりのホールケーキ。
表面にぴっちりとコーティングされたチョコは、まるで漆器のような光沢を放っている。飾りはイチゴと、球形のチョコレート――ガナッシュだろうか。ナイフを入れることをためらってしまうくらい、芸術的な一品だ。
ただし、その中央部に『鏡ちゃんへ』というハートマーク付きのメッセージボードさえなければ。
百代が
「かがみ……? あ、
僕はチョコ製のメッセージボードをつまんで口の中に放り入れた。
しかし百代はジトッとした視線で説明を要求している。
僕はそれを黙殺して、ケーキにナイフを入れた。
切り分けて取り皿にのせ、百代の方へそっと差し出す。
ジト目だった百代も、ケーキを口にすると、一転して表情をほころばせた。
「ん! おっいしー!」
「これはなかなか……」
と僕もうなずく。
外見だけではなく味の方もまた市販品顔負けだった。濃厚な甘みとさりげない苦みが調和して、チョコの味を奥深くしている。しっとりとした生地にはチョコクリームが練りこまれているのか、生地自体もチョコの味付け、しかしコーティングのチョコよりもあっさりしていて、その対比によって味が単調にならないように配慮がなされている。コーヒーを淹れておけばよかった、と後悔するくらい上等なスイーツだ。
「すっごいね、このケーキ。ホントに阿山君のお母さんが作ったの?」
「いや、姉さんの方」
「あのメッセージも?」
「そんなのあったっけ」
「ふーん……、料理とか上手なんだぁ」
「家庭的な人だとは思うよ」
「売り物になるレベルだよね。高級ホテルのパティシエが監修しました、みたいな」
すごいよねーと感心しきりの百代は、スマホを取り出していろんなアングルから写真を撮り始めた。「ハイ笑ってー、違う違う、もっと挑発するような視線むけて?」などと無生物に向かって無茶な要求をしていた。
2人で半分ほど食べ、残りは後日、何回かに分けて食べることにした。
千都世さんのケーキを冷蔵庫に入れながら、百代に声をかける。
「チョコ、そろそろ冷えたんじゃないの」
「えぇ……」
百代は嫌そうに眉を寄せる。
「どうしたの」
「あんな気合の入ったハイクオリティなスイーツのすぐあとに、あたしの、人生初の手作りチョコレートを晒そうとするなんて、阿山君ってやっぱSっぽいところあるよね」
「大丈夫、比較したりしないから」
「あたしが気にするのよぉ」
百代の嘆きを無視してチョコを冷蔵庫から取り出し、台所に置いた。
「ほら、観念して続きをやりなよ」
「うう……」
百代は渋りながらも立ち上がり、チョコづくりの作業を再開したのだった。
やがて、百代お手製の生チョコレートが完成する。味見させてもらったそれは市販の生チョコと比べても
しかし僕が「おいしいよ」「問題ない」「大丈夫」などと伝えても、百代は千都世さんのチョコケーキがよほどショックだったのか、「うん」「そーね」「ありがと」などと生返事を繰り返すばかりであった。生なのはチョコだけで十分だというのに。
「一種類だけでも、無事に作れてよかったよ」
玄関先で百代を見送るとき、何かしゃべらなければと考えた結果、思いついたのは慰めのようなフォローの言葉だった。もちろん効果はなかった。
「阿山君の説教どおりになっちゃった」
夕暮れのオレンジの中で
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