1年次3学期

第21話 責任を取りたくないんですか?

「阿山君。少しお話があります」


 2月に入って冷え込みの厳しくなってきた廊下で、繭墨に声をかけられた。


「……何」

「そんなに身構えないでください。警戒されると傷つきます」


 繭墨が悲しそうな顔を作る。内心がどうかはともかく、表面的には見事なまでの〝心ない言葉に傷つくか弱い乙女〟だった。


「別に身構えてないよ、単に寒くて身体がちぢこまってるだけだから」


 僕は背中を丸めて腕をさする。繭墨の方はというと、寒さを感じている様子は全くない。ハイソックスだけで足が冷えないのだろうか。


「そんな視線を向けないでください。欲情されると困ります」


 繭墨は持っていたノートでスカートのすぐ下を隠す。


「ちょ……!?」


 慌てて周囲を見回すが、幸いにも他の生徒には聞こえていないようだ。


「誤解を招くようなことは言わないでほしいんだけど」

「話というのは曜子のことです」


 こちらの話は聞く耳を持たないくせに、自分の話は当たり前のように押し付けてくる繭墨である。


「……百代がどうしたって?」

「このところ、あまり元気がないんです」

「そりゃまあ、彼氏と別れたんだし、傷心ってやつじゃないの」

「クラスで少し浮いています。進藤君は女子に人気がありますから、彼女である曜子に反感を持つ子もいました。今は、別れたことを陰で喜んでいる子もいるでしょう」


 そんな話を聞かされてもコメントに困ってしまう。女子同士のギスギスした雰囲気はたまらなく苦手だった。たぶん得意な男なんていないだろう。


「僕は平和主義者だから、そういう空気はちょっと」

「大丈夫ですよ、阿山君に仲裁なんて期待していませんから」


 繭墨がうっすらと微笑んだ。本当にまったく期待されていないとよくわかる笑顔を向けられると、それなりに傷ついてしまう。


「でも、僕に話ってのはその件なんじゃないの」


平和ことなかれ主義者の阿山君でも、曜子の力になれます。一緒に下校して、雑談に興じるだけでいいんです。今のあの子に必要なのは、身を守ってくれるナイトではなく、そばに居てくれる話し相手ですから」


「……それが僕に務まると?」

「責任を取りたくないんですか?」


 質問に質問を返すという失礼をされたわけだが、繭墨の問いかけはとても正確に痛いところを突いていて、僕はぐうの音も出なかった。


 あの日、僕が百代の頼みを断っていれば、二人が別れることはなかったかもしれない。その後悔はずっと頭の片隅でくすぶり続けている。


「わかったよ、ちょっと話してみる」


「お願いします」


 小さく頭を下げる繭墨を見て、ふと思った。彼女も後悔しているのかもしれない。直接の原因を作ったわけではないにしても、別れることを期待していたのは、その言動からも明らかだ。直路かれしに告白までしておきながら、百代かのじょの心配をするのは虫が良すぎるのではないか。そんな葛藤かっとうが見て取れた。


 それでも、なんだかんだで百代が大事だから、僕を使って間接的に助けようとしているのだ。なかなか可愛らしいところもあるじゃないか。


「……上からの目線を感じますね」


 繭墨が目を細めながら、眼鏡を持ち上げる。

 そうやってすぐ思考を読まないでくれませんかね……。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 そして放課後。

 話をすると約束したはいいが、百代にどう声をかければいいのだろう。

『男なんて星の数ほどいるじゃないか』と適当に慰めるのか。

それとも『ぼっちも気楽でいいものだよ』なんて同病どうびょう相憐あいあわれめばいいのか。


 考えながら教室を出ると、すでに百代が待ち構えていた。


「……あれ、百代さん? どうしたの」

「阿山君を待ってたの」


 そう言いながら一枚の紙きれを差し出してくる。


「何これ」

「クリスマスプレゼント」

「それはちょっと気が早すぎるんじゃないの」


 まだ節分が終わったばかりだというのに何を言っているのか。戸惑いを顔に出さないようにやんわりとなだめると、逆に百代は声をあらげる。


「そーじゃなくて、逆! 阿山君がくれたやつでしょコレ!」

「僕が……? ……ああ」

「思い出した?」

「この前のやつか」

「そうだよもう……、阿山君、ちょっと物忘れひどすぎるんじゃないの?」


 クリスマスのプレゼント交換で、僕が3人に渡したものだ。うちで使えるお食事券である。その場の思いつきで用意したプレゼントだけあって、イベントが終わった時点で存在を忘れてしまっていた。


「えーと、で、これをどうするの?」

「今度の日曜に使いたいなって」


 百代の口調はあっさりしていたが、こっちは固まってしまう。休日に一人暮らしの男子の部屋へ遊びに行きたい――そう言っているも同然だった。


「急にそんなこと言われても、こっちにも予定ってものが」


 ちょっとゴネてみただけなのだが、百代の反応は思ったよりも深刻だった。


「……そう、なんだ」


 愛想笑いに失敗したような顔をして、うるろな声でつぶやく。


「ご、ごめんね? 用があるなら別に……」

「いや、大丈夫だから。予定はないよ」


 とすぐにフォローを入れる。あまりにも申し訳なさそうにするものだから、百代の非常識な要求も忘れて、逆にこちらが悪いことをしているみたいだった。


「……ホントに?」


 百代は恐るおそるといった様子で問いかけてくる。

 こちらの顔色をうかがっているのが、はっきりとわかった。


「部屋の掃除とか宿題とか、それくらいだよ。外に出る予定はない」


 僕はどうして、丸一日引きこもる予定を、こんなに堂々と語らなければならないのだろう。ともかく、そう断言すると、百代の表情がようやく和らいだ。しかしすぐにムスッとして、


「……じゃあなんで、用事があるみたいなこと言ったの」

「ちょっとノリで」ただの見栄ですごめんなさい、という事実を語らない見栄。

「むぅ……」


 百代はふくれっ面で上目遣いににらんでくる。しかし、繭墨の刺すような視線に比べたらかわいいものだ。真剣と竹刀くらい違う。


「でもこの食券は、学校の帰りとかに軽くつまむファストフード的な用途を想定したものであって、休日の豪華ランチとかはちょっと……」

「そんな無茶振りはしないから」

「本当に?」

「お昼から夕方くらいの間だけだから」


 百代の口調はいつもどおりだった。こちらの考えすぎなのかもしれない。彼女にとって異性の部屋へ上がるのは大したイベントではないのだろう。思えばこの前のケーキ作りだって、百代は僕を異性は認識してなかったじゃないか。ラブコメは起こらない。思い出すと切なくなってきた。


「ところで、メニューはどうするの? あまり凝ったものは作れないけど」


 気を取り直して尋ねる。リクエストによっては事前に買い物が必要になるかもしれないからだ。ところが、百代の返事はわけがわからなかった。


「阿山君は気にしなくていーよ。作るのはあたしだから」

「どういう意味?」

「ちょっと作りたいものがあるから台所を貸してほしいの」

「お食事券の意味は……」

「料理を作るときは台所を使うでしょ? ならあたしが使っても同じことじゃん」

「それじゃ食券・・乱用だよ」

「あー、上手いこと言ったと思ってるでしょ」


 ニヤニヤ笑いを返される屈辱的な展開だったが、羞恥しゅうちに耐えて聞いた。


「……で、何を作るつもりなの」


「そんなの決まってるじゃん。次の日曜って、2月13日だよ」

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