第18話 誰ですかそれは

 遠くから聞こえる呼び出し音が、頭痛を増幅していくようだった。

 僕は手を伸ばしてスマホを取り、電話の相手も確認せずに通話ボタンを押した。


「はい、もしもし……」

『もしもし、キョウ?』

「ん、ああ……、直路か。どうしたの?」

『どうしたって……、元旦だろうが』

「あ、そう、もうそんな時間か……」


 僕はゆっくりまぶたを開く。カーテンの隙間から強めの光が差し込んでいる。


『なんか声つらそうだな』

「実はちょっと頭痛が酷くて……」

『体調が悪いのか?』

「まあね。僕の実家って田舎だから、親戚の家へ年始のあいさつ回りに行ったりするんだけど、当たり前のように酒を勧められたりするんだ。……で、高校に上がったし? ちょっと背伸びして調子に乗ってたら、このザマというか……」

『なんだよ二日酔いかよ』


 電話口で苦笑する気配。


「そういうこと。……あけましておめでとう」

『おう……、あけましておめでとう』

「もしかして、このためだけに電話したの?」

『あー、まあ、初詣とか、誘おうかと思ったんだが、実家でくたばってるんじゃ無理だよな』

「悪いね。そっちに帰るのはぎりぎりになると思う。初詣なら百代さんと行きなよ」

『いや……、野球部の元日練習があったし、そういうノリじゃなかったんだよ』

「練習キツかったの? そっちこそなんか声が暗いよ」

『さすがに年始くらいは休みたかったからな。……んじゃ、新学期に』

「ん」


 通話が切れる。


 新年のあいさつというのはただの口実だろう。

 直路は、あの日のことで、何か話をするつもりだったのだと思う。

 感謝か謝罪か、その辺りは判断ができなかったけれど。


 数日間も放置していたのは直路らしくないが、それでも連絡を入れてきたところには、らしさが感じられる。


 とっさにしては上手い嘘がつけたと思う。

 ――この電話を受けた場所は帰省先の実家ではなく、アパートの403号室、つまりは自分の部屋だった。


 僕はこの年末年始、体調不良を理由に実家へ帰っていない。

 一歩も動けないほどの重症ではないので、無理をすれば帰省は可能だった。移動時間も列車で2時間かからない。たいした距離じゃない。それでも帰らなかったのは、家族と顔を合わせるのは気まずいという、ただの我がままだ。


 両親はまだ、大人の余裕でやんわりと接してくれるだろう。

 だが、義姉さんは駄目だ。

 泣かれるかもしれないし、怒鳴られるかもしれない。

 喜ばれるかもしれないし、抱きつかれるかもしれない。


 向こうの出方でかたがさっぱりわからないのだ。仮にも家族なのに。


 スマホのデジタル時計を見ると、もう昼が近かったが、身体がだるく、頭が重く、何もやる気が起きない。

 僕はスマホを置いて再び目を閉じる。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 元日の朝に、曜子から初もうでの誘いを受けました。

 二つ返事でそれに応じたのは、家に居たくなかったからです。


 集合場所は住宅街の片隅の、さびれた神社でした。

 地域情報誌の初詣スポットなどで決して取り上げられることのない、こじんまりとした神社。参拝客もまばらで、宮司や巫女さんなどの姿もありません。


「あけおめー!」


 鳥居の前で顔を合わせるなり、曜子は短縮形で年始のあいさつをします。

 わたしは正直、年に1度しか使わないあいさつを省略するのが好きではないのですが、それをいちいち口にしたところで、おかしなやつだと眉をひそめられることは理解しています。自己主張せず、おとなしくあいさつを返しました。


「明けましておめでとうございます、ヨーコ」


 すると曜子はわたしの顔を数秒ほど見つめ、


「ね、おせちとか食べた? 正月太りした?」

「年末年始だからといって食事の量が増えることはないけれど」


 わたしは曜子の立ち姿を、頭から爪先まで観察します。いつもどおりのカジュアルな服装です。


「太ったの?」

「え"っ」


 曜子は踏んづけられた猫のような声を上げ、顔から血の気が引いていきます。自分の頬や腹部、太ももを慌ててまさぐり・・・・始めました。


「……やっぱり、わかる?」

「いいえ、とつぜん正月太りなんて言い出すから、なんとなく聞いてみただけ」

「そっかぁ……」


 曜子は深々とため息をつきながらその場にしゃがみ込みます。ほんの数日での体重変化を見分けられるほど、わたしは曜子に精通していません。


「ほら、こんなところで座ってると邪魔になるわ。寒いし。行きましょ」


 曜子を促して、本来の目的である初詣に向かいます。


「曜子の家はおせちが出るの?」

「うん、おばーちゃんがチョー気合入ってて、丸一日かけて作ってんの。ヒメんちは?」

「わたしの家は、既製品で済ませているわ」

「年越しソバは?」

「一応、生麺よ。それも茹でるだけの既製品だけど」


 曜子は家族での年越しの様子を楽しげに語っていますが、それがどこか空元気のように思えてしまうのは、気のせいでしょうか。


 ほんの十数秒も歩くとお堂に到着しました。

 カラカラとくたびれた音色の鈴を鳴らし、お賽銭を少々投げ入れ、今年一年の無病息災を祈ると、初詣はおしまいです。当初の目的が終了してしまいました。

 大きな神社であれば出店が並んでいるのでしょうが、ここにはそういった店がまったくなく、買い歩きなどで時間を潰すこともできません。


「ヨーコはこれからどうするの?」

「あたしちょっと用事あるから」


 そうですか。そうですよね。

 わたしとの初詣は、申し訳程度、あるいは時間つぶしのようなものでしょう。

 本命は彼氏とのお出かけに決まっています。

 初詣、初売り、初日の出――はもう遅いですが、何をやっても記念になる日です。


「そう。それじゃあ……」

「あ、ちょっと待って」


 立ち去ろうとするわたしを、曜子が呼び止めます。


「どうしたの?」

「ホントはね、今日の目的は初もうでじゃなくって……」


 曜子は言葉を濁しつつ、肩掛けカバンから何かを取り出しました。


「これを渡したくって」

「……鍵ね」

「そ、鍵。合鍵」

「どこの鍵?」

「どこの鍵だと思う?」


 わたしは曜子の手の上の鍵を見つめ、それから曜子の顔を見つめます。その表情は意外にも真剣なものでした。謎かけを楽しんでいる様子ではありません。


 わたしたちに共通する場所は限られています。その最たるものである学校は公共の場所ですが、生徒による鍵の複製はもちろん禁じられています。


「阿山君の部屋かしら」

「正解」


 ここまでは簡単な推理で片がつきますが、そうなると、別の疑問が浮かんできます。なぜ曜子が阿山君の部屋の合鍵を持っているのか、ということです。


 異性に合鍵を渡す。

 それは人間関係における〝ある段階〟へと踏み込む、象徴的な行為です。

 しかし、曜子にはすでに彼氏がいます。

 それを知っている阿山君が合鍵を渡すというのは、彼の性格からは有り得ない行為です。では、曜子はなぜ鍵を持っているのでしょうか。


「……盗んだの?」

「人聞き悪い!」


 曜子は大声で否定します。


「阿山君が愛をささやきながら合鍵を渡すよりは、可能性があると思っただけよ」

「だよねぇ」


 否定したくせに、曜子はあっさり同意します。

 このあたり、阿山君に対する認識は共通しているようです。


「ごめん、ちょっと理由は言えないんだけど……、これ、返してきてほしいの」


 私は再度、曜子の顔を見つめました。

 そこに映る感情は、少なくとも晴れやかなものではありません。阿山君に直接会って返却することすら避けたくなるような、苦さ。


 新学期が始まるまで待つこともできない拙速さが、2人の間にただならぬ何かが起こったことを想起させます。


「……わかったわ」


 曜子を問いただすには、彼女は弱りすぎていました。

 こういうときは男性を矢面に立たせるべきですね。


 わたしは曜子から合鍵を預かると、その足で阿山君のアパートへ向かうことにしました。


「ありがと。……ごめんね」


 曜子のかすれるような謝罪の言葉を耳元から消したくて、ついつい、足早になってしまいます。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇



 阿山君への連絡は入れませんでした。


 彼は小ざかしく、勘がいい人間です。

 こちらから連絡をすれば、合鍵の件に気づいて対策を立てられてしまうかもしれません。あるいは居留守を使われる恐れもありました。


 アポイントなしで一気に距離をつめる。

 言い訳などできないような状況に持ち込むつもりでした。本当に不在ならば引き返せばいい、というくらいに考えていました。


 部屋の前に立つと、ささやかな悪巧みに気分が高揚します。

 鍵を差し込み、音を立てないようそっと回すと、錠の落ちる手ごたえがありました。

 本当にここの鍵だったのですね。

 驚きで、心臓の動悸が激しくなるのを感じます。


 同じく音を立てずにドアを開けると、中の空気はいささか淀んでいました。

 これまで何度かこの部屋に入ったことがありますが、今回が最も清掃状況が悪いと感じます。

 靴を脱いで、短い廊下を歩き、次のドアを開く――それらの動作をすべて、音を立てないようにゆっくりと行い、部屋の中に入ります。


 そこで、淀みの理由がわかりました。


 阿山君はベッドで眠っていました。

 今は午後の3時を回っています。このような時間にまだベッドの中にいるというのは、1人暮らしの年始という特殊な事情を差し引いても、度が過ぎただらしなさです。

 クラスの中には、初日の出を見に行こうぜウェーイと意気込んでいる人もいましたが、阿山君はそういう人たちとは対極にいる出不精引きこもり少年のはずです。


 私はそっとベッドに近づきます。

 寝息は穏やかですが、表情はやや寝苦しそうです。

 ベッド脇にはスポーツドリンクの空き容器が転がっており、体調を崩して寝込んでいるのだと察せられました。


 曜子は精神的に弱っていて、阿山君は肉体的に弱っている。

 これでは当事者を詰問することが出来ません。どうしましょう。


 このまま帰るのは無駄足になってしまいます。

 わたしはふと思い立ち、病人食を作ることにしました。


 わたしも読書家の端くれです。病気をした異性の看病という、物語の中のシチュエーションに興味がありました。もちろん進藤君のお世話ができればベストなのですが、阿山君でも、まあいいでしょう。妥協しましょう。


 冷蔵庫の中身を見ると、タッパに入った冷ご飯と、生卵がありました。調味料の棚には梅味のふりかけもあります。これだけあればおかゆには十分ですね。


 土鍋という気の利いたものはないので、フライパンで代用します。

 冷ご飯と水を入れてコンロに点火、温まってきたら溶き卵と梅味のふりかけを入れてしばらく煮立てると、ほんの数分でそれなりにおかゆめいたものが完成しました。


 ……そういえば、卵の日付を確認していませんでしたが、火を通しているので大丈夫でしょう。仮に何か問題があったとしても、食べるのはもともと体調の悪い阿山君ですから、おかゆが原因で体調が悪化したとはわからないはずです。


 おかゆをテーブルまで運ぶと、かすかなうめき声が聞こえました。

 阿山君が眉をしかめて寝返りを打ちます。

 あまり物音などに気を遣わなかったせいでしょうか、眠りが浅くなっているのかもしれません。枕元で様子を見ていると、そっとまぶたが開いていきます。


 薄目を開けた阿山君が、かすれた声でつぶやきました。


「……ちとせ、さん?」


 誰ですかそれは。

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