第6話 キャッチボール
相手チームの選手が、実行委員に文句をつけていた。
「別にルール上は問題ないだろうが」
騒ぎの中心に近づくと、品のよくない声が聞こえてくる。ルール上は問題ない、などと言ってしまう人は、私は卑怯者ですと自己申告していることに気づいていないのだろうか。
事情を教えてもらおうと、近くにいたクラスメイトの女子に声をかける。
「なんか騒がしいみたいだけど」
「あっ、まやま君……」
名前を間違えられたことは聞き流そう。
「あっちのチームの先輩が、ちょっとアレみたいで」
「アレって」
「元野球部でしかも元エースなんだって。それなのに野球を選択して、しかもピッチャーをやってるのは卑怯だって、こっちから文句言った子がいたの。そしたらケンカみたいになっちゃって」
「ああ、そういうこと」
「今は実行委員の人がやんわり間に入ってるところ」
対戦相手である2-3組は前の試合、確か完封の上に大量リードで勝利していた。
騒動の中心にふたたび目を向ける。
元エースは2年生。それに対処している実行委員は2人いた。どちらも押しの弱そうな女子生徒のせいか、元エースは調子づいて文句を垂れ流していた。
「お前じゃ話にならねーから責任者を呼んで来いよ」「他の競技でもいるだろ、元サッカー部とか元バスケ部で試合に出てるやつ」「先生じゃねーよ、生徒会長とかいるだろ」「場所がわからねえなら呼び出せよ」
などなど、元エースの剣幕は収まらない。
元野球部といっても、二年生ならば引退ではなく中途退部だ。それに、元エースということは、直路にエースの座を奪われた先輩だろう。その苛立ちを球技大会にぶつけているのだとしたら、だいぶ痛々しい行動である。
それとも、あの先輩も僕と同じなのだろうか。久しぶりに試合で活躍して、女子にチヤホヤされちゃったりして、調子に乗ってしまっているのかもしれない。次も完封するぜ、キミの瞳にフォークボール、とか言っちゃったのかもしれない。だったらもう後には引けないだろう。
「こういうのってどう対応する――」
問いかけるよりも早く、繭墨は動いていた。ポニーテールを揺らしながら、人だかりの中心にいる相手チームのピッチャーへと近づいていく。実行委員としての責任感からの行動だろう。
繭墨はどんな行動を取るのだろうか。横面をひっぱたくような
ところが、そんなイメージはしょせん幻想だった。
もとから色白な繭墨はさきほどよりも顔色が悪そうだった。身を守る盾のようにバインダーを抱いて、視線をやや
そんな彼女が意を決したように、元エースの前に歩み出た。
「先輩」
「あ?」
「2年生で、所属する部活と同じ競技に出ている選手はいません。3年生には何名かいらっしゃいますが、全員が引退しており、出場人数も各チーム1名のみです。それに、いずれも試合の大勢に影響を与えにくいポジションでの出場です」
繭墨は落ち着いた口調で、ゆっくりと説明をしていく。
しかし元エースにとっては、否定されている、以上の意味を持たなかったようだ。
「つーと何か? オレが出しゃばってるって言いたいのか?」
「そうは言っていません」
繭墨はしっかりと元エースを見据え、理路整然と言葉をつないでいる。
残念ながら、それはいい手とは言えない。元エースは繭墨を取るに足らない相手と見ているのだ。格下に何か言われたところで気にかけるわけがないし、むしろ正論は逆効果だ。
なんとかしないと、と周囲を見回す。僕が加勢したところで元エースは気に留めないだろう。あいつの助力が必要だ。この場を黙らせるのにうってつけの人材。目当ての男子生徒は、ちょうど連絡通路から彼女連れで歩いてくるところだった。
僕はグローブとキャッチャーミットを持ってそいつに駆け寄る。
「直路、ちょっと」
「ん、どうした」
「阿山君、試合まだ始まってないの? っていうかモメごと?」
百代が首をかしげて尋ねてくるが、今は説明する時間が惜しい。
「ごめん百代さん、ちょっとこいつ借りるよ」
「え? うん、どうぞどうぞ」
わずかに戸惑いながらも、あっさり彼氏を差し出す百代。
彼女の了承を得た僕は、直路をグラウンドへ引っ張っていく。
「なんだ、どうしたんだよ」
「ちょっとキャッチボールをしようよ」
「オレは出場しないけど、いいのか?」
「誰もこっちなんて見てないよ」
「確かにそうだな」
人混みの方を眺める直路に、シンプルに事情を説明する。
「調子に乗ってる元エースがゴネて、実行委員に突っかかってる。元をたどれば直路の才能のせいと言えなくもない」
「騒いでるの、横村先輩か……。控えは嫌だって辞めちまったんだよ」
「それは当事者の問題だけど、実際問題として生徒会に迷惑をかけてる」
「言いがかりつけられてるの、繭墨か?」
「だからちょっと、矛先を変えてやりたいんだけど、頼めるかな」
「投球練習で?」
「いい音させてよ」
「そりゃお前のキャッチングしだいだろ」
互いのミットをちょんと合わせてから背を向ける。
18.44メートル。
それがホームベースとピッチャープレートの距離だ。
僕はしゃがんでミットを構える。
直路のフォームはゆったりとしたワインドアップ。
まずは肩慣らしの軽めのボールだ。
パシン、という軽い音を立ててミットに収まる。
それを持って、握りを確かめ、やや強めに返球。
ボールは直路の胸元へきちんと届いた。
直路は口元を上げる。思ったよりいい返球ができた。さすがに小学生の頃とは比較できないが、昔より肩が弱ったりはしていないようだ。
2球目はやや強め。
パンッ、とキャッチの音はまだ軽い。
3球目。球威を上げてくる。
パァン、と球速相応の音がした。
このミットは
道具はよし。あとは直路の言うとおり、僕の腕次第だった。
4球目。
ただボールを捕球するのではなく、こちらから迎えるイメージでのキャッチング。少しだけミットを押し出すことで、ボクシングのカウンターのように命中点での威力が増すのだ。手のひらがじぃんとしびれるが、その代償にいい音が出た。
同じくらいの球威で5球、6球と続けてからの、7球目。
直路がこちらに向けて握りを見せた。ボールの縫い目に指を重ねるフォーシーム。全力投球のサイン。
足を持ち上げ、腕を振り上げ、身体をひねる。引き絞った弓矢のように力が蓄えられている、それが誰の目にも感じられるほどのダイナミズム。溜まった力は一点に集中し、そして放たれる。
僕は深呼吸してそのボールに備えた。
全身を使った躍動感あふれるピッチング。解説者がいればそんな風に語っただろう。直路の指先から放たれたボールは、構えたミットに寸分たがわず収まった。
ドパァン、という重厚かつ派手な音がグラウンドに響き渡る。
――わずかな静寂のあと、周囲から歓声が上がった。
グラウンドの端で試合の準備をしている選手たちも。
フェンスの向こうで見物している生徒たちも。
実行委員たちも、オロオロしている教師も、元エースも。
誰もがこちらに注目している。
〝場〟の中心は元エースの先輩から、マウンドに立つ現エースへと移っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
試合が終わったあと、グラウンドの隅で少しだけ繭墨と話をした。
「ありがとうございます。まさか一日に二回も助けてもらう羽目になるとは思いませんでした」
「一回目は余計なお世話だったんじゃないの」
「それでも労力を使わせたのは事実ですから」
「二回目は?」
「お手柄でした。誉めてあげます」
繭墨は女王のようにゆっくりとうなずいた。
「お、おう……」
「進藤君を巻き込んでくれてありがとうございます。まるで彼がわたしを賭けて勝負に臨んでるかのような錯覚を味わえました」
優勝旗の横で繭墨が、『副賞』というプラカードを首から下げているイメージを思い浮かべてしまう。女子が景品なんて時代錯誤も
かといってすぐに手を出さないのは、あくまでルールを尊重しているからだろう。だからさっきの元エースのような、理屈の通らない輩には戸惑ってしまうのだ。
「そういえば、手を痛めていませんか? 進藤君の剛速球を受け止めるには、阿山君の腕は少々心許ないかと思いますが」
「確かに僕は貧弱な坊やかもしれないけど、10球くらいなら問題ない」
そう言って手のひらを見せてやると、繭墨はふっと表情をゆるめた。
「借りっぱなしは性に合いませんから、すぐに
「どうやって?」
「もうすぐ中間テストでしょう。わたしの得意分野ですから」
繭墨は自信ありげに胸を張ったが、僕はその平坦さを切なく思い、百代の豊かなそれとつい比較してしまう。
「……信じていませんね?」
「あ、いやそんなことはないよ。クラスは別だけど、繭墨さんの成績の良さは聞いたことがあるから」
こちらの表情から、疑われていると勘違いしたらしい。
繭墨は人の心を読むのが上手い。しかし、当然ながら超能力ではないので、その正確さは想像力と経験則に頼っている。思春期の男子の愚かしさは、まだ勉強不足というところか。
「試験前に勉強会を開催しましょう。そして、皆さんの平均点を5点アップ……いえ、曜子は10点アップさせてみせます」
「それは助かるけど……、百代さんの成績ってそんなアレなの?」
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