第5話 雄姿を見せるチャンスですよ
「先ほどはありがとうございました」
体育館からグラウンドへとつながる連絡通路を歩いている途中、数歩先を行く繭墨が、前を向いたままで言った。
「……聞こえませんでしたか?」
「あ、いや、聞こえたけど、ちょっとびっくりして反応できなかった」
「びっくり? どうしてですか」
「素直に感謝されるとは思わなかったから」
繭墨は立ち止まってこちらを向いた。
「意外と失礼な人ですね……。施しを受けたらお礼くらい言います」
「施しって」
「もっとも、阿山君に余計な口出しをしてもらわなくても、何も問題はなかったのですが」
繭墨の方こそなかなか失礼な物言いだったが、かわいらしい強がりなのであまり腹も立たない。
「強がりではありませんよ」
表情を読まれたのだろうか、キッと目を細める繭墨。
まさか心までは読まれていないと信じたい。
「じゃあ、どうやって抜けるつもりだったの」
「わたしは生徒会役員ですから、もともと審判は免除されているんです」
「ああ、それで」
なんの面白みもない切り札だった。
「別に阿山君を楽しませるために生徒会に入ったわけではありません」
またしても、考えを読まれたかのような切り返し。
「……後学のために聞いておきたいんだけど、僕って感情が顔に出やすいかな」
「いえ、人並みですよ。わたしは表情にプラスして思考の流れを計算に入れることで、相手の感情を読み取る精度を上げています」
何その最新の気象変動予測みたいなシステム。精度たけーな……。
繭墨の頭脳に恐れおののきつつ、再び歩き始めた彼女の横に並ぶ。
「……もう腕は大丈夫?」
「はい、ご心配には及びません」
「にしても、スポーツ得意なんだね。あんなに動けるとは思わなかった」
「運動は苦手です」
「え? でも何度もレシーブ決めてたじゃないか」
「あれも予想ですよ」
繭墨はメガネのフレームを持ち上げる。
「1セット目で相手のスパイカーの得意なコースや癖を把握して、2ゲーム目はそれに基づいて動いただけです」
何そのスポーツ漫画の逆転勝利パターンみたいな戦術。
「もっとも、途中からは身体がついてきませんでしたが」
繭墨は苦笑いを浮かべつつ、細腕をさすってみせる。僕は呆気に取られていた。バレーボールでの活躍が、身体能力ではなく思考能力によるものだったとは。
「なんかいろいろすごいね繭墨さんは」
「阿山君はどうしてわたしをつけ回すのですか」
「行き先が同じだけだよ。そろそろ次の試合だから」
「野球を選択していたんですね。ポジションはやはりキャッチャーですか?」
「いや、サード」
「4番ですか?」
「〝4番サード〟にピンとくる女子高生ってどうなの。7番だよ。特に主張してなかったらそういうポジションになってた」
ただし守備はソツなくこなし、バッティングの方でも3打数2安打2打点と結果を出したので、クラスメイトから向けられる視線は少しだけ好意的なものになっていた。ぼっちの帰宅部から、野球のできるぼっちへと。
「大活躍ですね」
「そこまでじゃないよ。直路なんかすごかったみたいじゃないか」
「はい、不慣れなはずのサッカーで好セーブを連発していました」
繭墨もその試合を観戦していたのだろう。直路の活躍を思い出したのか、はっきりと表情が明るくなった。表情から感情を読むなどと言われると高等技術のようだが、こういう変化ならばわかりやすい。
「進藤君は……、運動に関しては才能の塊でしょう、あの人。きっとどんなスポーツでも、本気で打ち込めば大成するレベルです」
「だろうね」
「うらやましいですか?」
繭墨は前置きなく、こちらが目をむくような質問を投げてくる。運動日和の秋の空の下、おだやかな空気を切り裂くような問いかけだった。
「ズバッとくるんだね……」
「よく言われます」
しれっと応じる繭墨にこちらも警戒心が薄れて、つい素直に本心を語ってしまう。
「……そりゃあ、うらやましいよ。たかが学校行事の1試合だとしても、周りにいいところを見せられたら、たしかに悪い気はしない。直路はそういう成功体験を、何度も何度も、ずっと大きな規模で味わってるんだからね」
「女子にもモテますしね」
「え?」
「クラスの女子から〝キャー阿山君すごーい〟などと持て
平坦な口調で言われてもうれしくもなんともない。
「うん、まあ……ちょっとは」
「歯切れが悪いですね」
「ハードルが上がった。次は、ミスったら〝やっぱたいしたことないね〟って陰で言われるよ」
「そういうプレッシャーを含めての才能ではないのですか?」
またしても刃物のように率直な物言いである。
返事に詰まっていると、繭墨はさらに続けた。
「持つ者は、多くを得られる代わりに多くを求められます。逆に持たざる者は、それなりにしか得られないかもしれませんが、周囲からの要求もそれなりで済みます。それがバランスというものでしょう」
「繭墨さんの言うとおり……、だから、無いものねだりだよ」
「やっぱりモテたいんですね」
「その話題から離れてもらえるとありがたいんだけど……」
会話しつつ相手を追い詰めるのが繭墨の趣味なのだろうか。僕の精神力がゼロに近づいてきたころ、ようやく実行委員のテントが見えてきた。助かった。
「それじゃあここで。実行委員がんばって」
「はい、
自然な口調で根に持っていますとアピールしてくる繭墨。うかつな返事は危険だと判断し、僕は聞き流すことにした。
ともあれ、ようやく繭墨とのやり取りから解放される。
そう安堵したのもつかの間、繭墨は生徒会の人と二・三言葉を交わしてから、書類を挟んだバインダーを持って、こちらへ戻ってくる。
「わたし、次の試合の担当なんです」
「うげ」
「曜子も呼んでいますから。阿山君の雄姿を見せるチャンスですよ」
繭墨はスマホをかかげて口元を上げる。そのいたずらっぽい笑顔にさえ、
そして実際、試合はすんなりとは始まらなかった。
野球が行われるグラウンドへ向かうと、何やら騒ぎが起こっていたのだ。
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