第六十一話 命の器

 装甲衣アーマーを展開したアルファルドは胸の中心から体温が急激に上昇している錯覚に陥った。いや、決して錯覚などではなく、本当に発熱したように体中が熱かったが同時にとても心地が良かった。あの時、山の中で戦って撃ち込まれたハレーの呪縛がほどかれたようだ。


 両手で拳を握ると確かな魔力を感じた。充魔石の充足能力が向上し、両足の末端まで命を繋ぐ血管のように全身をくまなく魔力が巡っていく。これまでにない勝利の可能性を高める呪縛の解放が、人衣一体じんいいったいのアルファルドと装甲衣にそれぞれ強い恩恵をもたらした。


「ハレーの力を得たところで貴方は勝てないわ。聖女の力は絶対よ」


 ボロボロの衣服に身を包んだビエラはあざ笑っていた。ダメージによって震えていた身体が正常に戻り、再生力と純粋な強さを見せている。


「やってみなきゃわからないだろ?」


 アルファルドがビエラの視界から姿を消した。亡きハレーと同様に瞬間的な加速を身体強化に加え、彼女を翻弄しようと動き出した。


「無駄よ」


 ビエラも光の翼を目いっぱいに広げ、真っ白な無の領域を飛んだ。一定の高さまで上昇したところで動きを止める。


「《解除リリース》」


 ビエラは襲い掛かるアルファルドの跳んでくる方向を予測して銃弾を撃ち込んだ。


「うあっ……!」


 銃声の直後に呻き声を上げたアルファルドは、弾が直撃した痛みと共に身体が墜落していく。しかし、真っ逆さまに落ちていくと見せかけて再び姿を消した。急激な魔力量の上昇に思考を加速させて追いつくのが精いっぱいだったが、少しずつ要領を掴んできた。

連戦に次ぐ連戦で疲弊していたが、次々と力が溢れていくこの快感に溺れそうになる。


 アルファルドもビエラの発言を十分に理解していた。勝てなくてもいい。どうせなら一泡吹かせてやろうと瞬間加速の最中で不敵に笑った。


 接近戦に持ち込もうとしたアルファルドのすぐ真横を銃弾が通り過ぎる。強化された思考の中で若干の計算を施すと今度は正確に避けきった。ビエラからは遠ざかったが、すぐに加速して再び近づいた。


 立て続けに銃声が飛ぶが、構わずアルファルドは魔法を放つ挙動と同時に射線から外れる。増強されたイメージを構築してビエラに照準を合わせる。


「《重力発撃グラビティ・シュート》!」


 カウンターのような形で透明な魔力の渦がビエラを捕らえた。空中を浮遊していた天使に急激な重圧が加わり、叩き落されるような形で周囲に光の羽を散らしながら床に衝撃を預けた。自分よりもはるかに重く、見えない物体で押しつぶされるような感覚がひしひしと肉と骨に響いた。


 魔封じの空間よりも圧力のかかった環境下にアルファルドは飛び込んだ。自らも重力の影響を受けて急速に落下していくが、勢いそのままに右足を伸ばして力を一点に集中させてビエラの倒れている床に向かって降り注いだ。


 地面に小さなクレーターができたかと思えば、アルファルドが足を着地させた瞬間に床が数センチ沈み、確かに目標に直撃したことを確信した。


 アルファルドは決して一人で戦っていたわけではない。一つの身体にハレーの半身を宿して戦っていた。自分とハレーの力なら聖女の力に肉薄できただろうか。足元に強烈な蹴りを直撃させたビエラを見やる。

 

 ところが、仮面の下でビエラは笑っていた。頑丈な魔力障壁に包まれ、彼女は無傷だった。床はめり込んでひびが入っていたものの、傷を与えていたとすれば重力による墜落のみだったとしか言いようがない。

 

 アルファルドは愕然として両目を見開いた。的確に最善の選択肢を取って一気に片づけられたと思ったが、大きな間違いだった。

 

 信じられない。あれだけの一撃を貰って尚、防御するほどの余力が残されているなんて。聖女から授けられた力に歯が立たない。爪すら立てられていない。歴然とした戦力差が、水で溶かした絵の具のように広がりを続けていた。


「《解除リリース》」


 至近距離で構えていたビエラが発砲し、周囲に爆発が引き起こされる。直撃をまともに受けたアルファルドの身体が爆風の勢いで吹き飛び、壁に背を強くぶつけてずり落ちた。


 強化されたアルファルドを圧倒する聖女の力に、先ほどまではっきりと傍にあったはずの意識が遠のいていく様子を見つめるしかなかった。


 目を覚ましたスイは、幼い子どもが大切にしている人形のように壁に寄りかかって座り込んでいた。網膜に映りこんだ光が、目前の背景を白く染め上げている。それだけではない。数々の銃撃と体術の応酬に始まったかと思えば、一瞬のうちにアルファルドが仕留めたように見えた。しかし、一転してビエラの反撃にあった師匠は劣勢に立たされた。


 ずっしりと鉛のように重たい肉体と共に一部始終を眺めていた。ここまでの様子を見たスイは静かな悲愴感を秘めながらゆっくりと立ち上がる。


「ビエラさん!」


 叫ぶように思い切ってビエラの名前を呼んだ。


 背中が見えていたビエラが振り向いてスイの方を見た。


「あら、起きたのね。これから坊やを始末するから、そこで待っていなさい」


 朝食の支度をする母親のような調子でスイに残酷な言葉を送った。


「ダメです! アル師匠を殺さないでください!」


「スイ……」


 一撃を受けたばかりのアルファルドは何とかスイに弱弱しく呼びかけた。全身に貰った銃弾の爆発をまともに受けてしまい、装甲衣が解除されるほどの高威力を装甲殺しアーマー・キラーがひどい傷として負わせた。


 弟子の体内に存在する『命の器』がどのように変貌していったのかを詳しくは知らない。だが、彼女の背中から生えるようにしか見えない、小さくも真っ白に煌めく優雅な翼がこの世の者ではない、まさに人外としての扱いになるだろう。


「どうしようかしらね?」


 躊躇いの言葉を見せるが、そのような素振りを一切見せずにアルファルドの下へ歩いていく。

 

 ビエラは壁の近くで座り込んで動けないアルファルドを見ながら足蹴にし、更に靴底でぐりぐりと胸のあたりをねじ伏せる。遠くで「アル師匠!」と、叫ぶ少女の声が聴こえた。


 誰が世界の主導権を握っているのかを証明するために、敢えて暴力によってそれを示していた。


「あ……! が……!」


 圧迫感を覚えたアルファルドは喉から血を吐きそうになるほど苦悶に満ちた表情を強く浮かべた。小柄な女性と言う姿以上の圧倒的な力に無力感だけが彼を支配する。


「ビエラさん! どうして世界を支配しようとするんですか? どうして……」


 アルファルドへ立て続けに圧迫させようとしていたビエラは足から解放した。ハンターは咳き込みながらいきなり解放されたことを不思議に思った。


 動けないアルファルドをしり目に振り返ってスイへの問いに答えようとする。


「単純に、世界が憎いからよ」


 ビエラの答えを聞いたスイは者悲しげに目線を少しだけ下げた。


「私はホロスの大司教によって人生を大きく狂わされた。聖女の力を持っているだけで権力者たちは私をホロスから追放しようと躍起になるほどにね」


 ダメージで動けないアルファルドの方を見た仮面の聖女は再び蔑むようにハンターを見下ろした。


「でも……それでも……アル師匠は関係ないです。そんなことをしても世界が変わるはずがありません」


 ビエラは答えなかった。答えない代わりに再び視線をアルファルドへ落とした。


「私はこの坊やに嫉妬しているの。類稀な幸運で有力なハンターに拾われ、貴方という弟子を持ち、主様だったシャウラを倒しにここまでやってきた。失敗作ながらここまでやれたのは拍手を送りたいわ」


 ビエラは絶賛していたが、次には態度が一変する。


「でも私にだって同じ道を進む権利はあった! 聖女に選ばれし者よ! なのに! 命の器を持っているだけでホロスから追放されるなんて……私は……私は成功作だったのに、どうして……」


 スイは知っていた。昔の記憶と改竄された記憶が混ざり合い、どちらも同じ力でせめぎ合っているビエラの姿に心が痛んだ。


「でもね、スイ。貴女は違うわ。私と同じ命の器を持っている――即ち世界を滅ぼすだけの魔力を秘めているわ」

「……」


 スイは無言になった。この先で待ち受けている彼女の言葉を、できれば聞きたくない。


「この坊やと師匠を殺して、一緒に世界を支配しちゃいましょう。その方がずっと平和だもの」


 ビエラの語る理想はスイの想像していた範疇の中にあったが、すぐに首を横に振って自分の持つ違和感を口に出した。


「ビエラさんの言いたいことは解ります。あなたと同じ境遇にいた、立場の弱い人たちを守るために世界を変えること、これについてはわたしも賛成です」


「理解が早くて助かるわ」


 ビエラが感心するとスイが言葉を続けようとした


「でも……」


「でも?」


「国はそれだけでは成り立ちません。立場の強い人が外交で国を守り、時には内側に立って人々の意見に耳を傾けながら少しずつ変えていくしかないのです。それを支配しては、ホロスはますます悪い方向へと進んでしまいます」


 スイの背中に浮かぶ光の翼が少しだけピクリと動いた。


「何が言いたいの?」


 答える代わりにスイが呪文で装甲衣(アーマー)を展開し、更には充魔石の発動も同時に引き起こした。


 スイの周囲を纏う魔力がかつてないほどの闇に染まり、さながら世界を滅ぼさんとするおとぎ話の魔王のような邪悪な雰囲気が立ち込めた。


「ビエラさんのすべてには賛同できません! わたしはわたしなりの考えでホロスを変えていくだけです!」


 ビエラがスイの言葉を聞き、わなわなと両手を震わせた。


「そう。可愛らしく従順で妹のような子だと思っていたけれど、これでおしまいね……」


 ビエラの声からは信じたくないと言いたくなるほど、心の刃をスイに向ける。


「ならせめて、私の銃で葬ってあげる」


 ビエラは呪文を唱えて翼を広げ、一気に加速してもう一人の聖女に接近戦を仕掛けに行く。


 互いに命の器を持つ者同士の避けられない戦いが始まった。

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