第五十二話 選ばれなかった者たち
エンケの周囲には粉々になった仮面の破片たちが散らばっていた。
煙が去ってもなお、焼け焦げた匂いが風に乗って流れている。
リゲルが彼女の素顔を初めて覗くと同時に、今まで自分が見事に騙されていたのだと悟った。
倒れたまま端正な瞳で睨み付けるエンケには仮面を付けていた時にはない迫力があった。
「貴様の言う通り、俺は女だ」
仮面を剥がされたエンケは睨みながら自棄気味に言葉を吐いた。
男装の麗人という表現がしっくりきてしまうほど、エンケの姿は違和感を失っていた。
「な、何で男に成りすましていた?」
性別を真逆に偽ってまで戦ってきたエンケの姿に対してリゲルは複雑な胸中をにじませている。仮面の先に見えた素顔は、敗北感に染まっているような様相は窺えない。寧ろ負けた現実を受け入れた、清々しい表情に色を変えていた。
「——主様の意向だ」
素直に答えたエンケを見て、リゲルは意外そうに眉を上げた。意思を曲げずに答えないと読んでいたが、当初の予想が外れた。
「やけに正直になったな」
エンケは睨むのを止め、天を仰ぐように目で上空を射貫いた。
「貴様に負けた瞬間、すべてがどうでもよくなった。箱という切り札を切り、死力を尽くした。だが、俺は負けた。たったの一撃にな」
リゲルは「それは違ぇ」と、首を振った。
「オレたち教会は文字通りステラ様の加護の下に活動している。その中でオレは常に信仰と魔導を研ぎ澄ます習慣を続けていただけだ。それ以外はお前の勝ち」
力の差だけを鑑みれば間違いなく有利だったのはエンケの方だ。しかしながら魔法の中でも、とりわけ光と闇には「相性」という名の高い壁が立ちはだかっていた。信仰を持つ聖職者が扱う光魔法は、信仰に反旗を翻した者たちが扱う闇魔法に打ち消されない特徴を持っていた。故にエンケは身体強化を極限にまで引き出し、
「——それだけか? ――本当にそれだけ、なのか?」
呆気にとられたエンケに、リゲルは頷いた。
「ああ、それだけだ」
静かに熱い心を燃やす神父は、疲れたように動けない彼女の近くに座った。
「魔力が消耗しきった状態じゃ動けねぇだろ。死にはしねぇがしばらくこのままだ」
「……」
エンケは黙り込んだ。
多量の魔力を放出したところへリゲルの猛攻が飛び込んできたのだ。全身の感覚が痛みを通り越して麻痺を起こしているはずだ、と彼は踏んだ。
リゲルはエンケの顔へ再び目を向けると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。仮面を外されすべてが解放された環境に慣れていない様子だった。
エンケがリゲルの視線に気づいて目を反らすと、リゲルも顔の位置を戻して俯き気味に身体を傾けた。
「内容は何でもいい。お前が受けた主様の意向とやらを教えてくれないか?」
リゲルのか両目からエンケの表情は見えないが、戦闘で混乱した思考や感情がぐるぐると回っているのかもしれない。しかし、彼女は「いいだろう」と、驚くほど素直に答えてきた。
「貴様に懺悔するのは悔しいが、この際話してやる」
「色々吹っ切れたみたいだな」
「黙れ。何も話さないぞ」
エンケが再び睨んだ。
「わ、悪ぃ。何もしねぇから好きなように話してくれ」
組織の実力者というのは伊達ではなく、視線だけで人を殺せそうな勢いだ。
寒気を感じつつもリゲルはエンケの懺悔を聞くように、静かに耳を傾けた。
——昔話を振り返るように少女は口をぱくぱくと動かし始めた。
「貴様が言ったように俺はまだ子どもだ。生まれた時から何も異常もない、魔導に優れただけの少女だ。だが、俺は決定的にハレーやビエラよりも劣っていた」
「劣っていた?」
リゲルは予想外の告白に聞き返した。
「どっからどう見たってお前は強い。弱ぇってこともねぇはずだ。どうしてそんな風に言う?」
エンケの実力そのものは秀でているはずだと、戦ったリゲル本人がそう分析している。思い当たる節は見当たらなかった。
「ハレーもビエラも、銃の扱いに長けていた。呪文を唱える時間を極限まで省略して一気に対象を殺す。俺は昔から不器用で安全装置を切る動作すらも、もたもたして撃つどころの問題じゃなかった」
「なるほど。それで魔法を極めたと?」
「……」
エンケは何も答えなかったが、黙り込んだ様子を見て肯定を意味するのだとリゲルは汲み取った。
「それだけがすべてじゃない。
エンケの顔が急に険しくなった。肉体への痛手ではなく、寧ろ精神的な作用に近かった。
しばらく黙って話に傾聴していたリゲルが、思い出したようにエンケに問いかける。
「ちょっと待て。お前の言う『持っていなかった』って、もしや……」
リゲルはスイから聞いた言葉を反芻し始める。
「——『命の器』だ。成功作のくせに、それだけは恵まれなかった」
焦げた匂いが不意に消えた。わずかに嗅覚で感じ取ったリゲルが興味を持っていかれそうになったが、話の腰を折らずにエンケとの会話へ戻った。
「続けてくれ」
リゲルははやる気持ちを抑えながら懺悔を聞き続ける。
「簡単に言えば聖女の資格を持つ証だ。身体が成長するにつれて心臓の外側に形作られる。聖女の心臓にあたる魂の臓器——それが命の器だ」
「それがあると、どうなっちまうんだ?」
「成長しきった『命の器』を持つ者は空を統べる聖女そのものと交信し、国一つを滅ぼせるほどの強大な魔力が手に入る。得た力を生かすも殺すのも彼女たち次第だろう」
「彼女たち……?」
「聖女の資格を持つ者は全員が女だ。器を持てなかった俺は男として生きるしかなかった。そうやって主様の役に立とうとしてきたのに、このざまだ……」
「教えてくれ。スイちゃんの他に、誰がステラ様に繋がる資格を持っている?」
「ここまで来たら一人しかいないだろう」
「ビエラ、か……?」
エンケはわずかに頷いた。
「貴様に助言をやる。彼女を、ビエラを放っておけば間違いなくホロスは滅んでしまう。全力で止めに行かないと取り返しのつかない事態になるぞ?」
エンケは助言を言い終えてから、ようやく自分の犯した事の重大さに気付き始めていた。無我夢中で何人もの罪のない聖職者たちを葬ってきた。紛れもない殺人を繰り返してきた今頃になって命の重さが全身にのしかかっているようだった。
「ありがとよ。だが
リゲルは自分を皮肉るように答えた。
「——助けに行かないのか?」
神父は「ああ」と応じた。
「オレはお前の身柄を取り押さえ、教会に引き渡すのが仕事だ。敵将をやっつけるのは運命的にアルのようだしな」
「……」
愚直にもリゲルは教会の下に従う。ハンターという職業に身を置きながら教会への忠誠を誓うその様は、どこか異質にも捉えられる。
「ま、短い間だが、選ばれなかった者同士で仲良くやろうぜ」
リゲルが視線をエンケの方に送るが、彼女は一切目線を合わせない。
「断る。いっそ、殺してくれ……」
すべてを投げうって勝負に立ち、無残に敗れた者の顔は自暴自棄な感情を沸々と湧き上がらせようとした。
「気持ちは解るがダメだ」
エンケの感情をリゲルは受け入れつつも断った。
「お前は犯した罪を償っていかなきゃならねぇ。どんなに記憶を書き換えられたとしても、オレたちの同胞を殺した事実からは逃れられない」
至極当然にリゲルは言い放ち、もう一度エンケを見つめた。煙草を吸わない彼が仮に喫煙者であったのなら、言い終えた後に一服を始めている頃だろう。
「貴様とは敵で会いたくなかった。最初は簡単に背後を取れたと思ったが、ただの思い上がりだった。貴様は本当に、強いんだな……」
エンケは両目を閉じた。動けない彼女ができる動作と言えば、それくらいだった。
「奇遇だな。オレもお前とは味方でいたかったぜ。教会にいたらどんなに心強かったかって思うと、余計にな」
リゲルは木漏れ日を作っている高い木々の葉の一枚一枚を眺めた。彼の心情は寂しげで歯がゆく、遠くに見える雲の混じった空のように複雑な斑模様を描いていた。
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