第五十一話 暴く光

 対抗する者たちの衝突は今に始まった出来事ではない。

 

 組織と組織の間で繰り広げられてきた戦いの長い歴史に加わる、ほんの一瞬に過ぎない戦闘となる。


「《神聖発撃セイクリッド・シュート》!」


 折り重なる森林の合間を縫ってリゲルが光弾を前方に蹴り上げる。衝撃を受けて複数に分裂した光球が左右にぶれる軌道を描き、エンケをめがけて小規模な爆発と分厚い煙を巻き起こした。耳鳴りを起こす爆発音が光の数だけ聴こえた。煙が霧散した視界の先では、右腕で仮面を覆って光弾を防いだエンケがまっすぐ立っていた。


「——同じ手は無駄だ」


 覆った右腕を下ろしたエンケは魔封じの箱(プリベント・ボックス)の助力も相まって仮面の先に見えるエンケの表情を見ずとも余裕綽々だった。


 リゲルの撃ち出した魔法に何らかの威力が通じたとは思えず、必然的に現状の力量差を体現する形となってしまう。


「ただの挨拶代わりさ」


 虚勢を張るリゲルの言葉にはそれ以上の獰猛な姿勢がむき出しになって表れている。


「今度はこちらから行くぞ」


 闇の力を大幅に増大させたエンケが接近戦を仕掛ける。


 リゲルが懐に飛び込もうとしたエンケを受け止めようと両手を前に出して構える挙動を見せた。


 エンケは急接近しつつ低い姿勢を保ちながらリゲルの正面へと飛び込んでいく。


 このままのスピードで来るなら受け止めるのは容易い——リゲルは岩石のように動かないまま、後ろへ踏ん張る態勢を整えた。


 しかし、直前になって作戦はリゲルの思い通りにならなかった。


 突如として視界からエンケが消えたのだ。見渡す限り下に潜り込んだわけでもなく、同時に背後に回られたわけでもない。傀儡の可能性もあったが、漆黒の箱が所有者を除いて操作されるとは考えにくいためその線は消えた。即座に辺り一面を警戒するリゲルだったが、次の瞬間には真正面から衝撃を受けて後ろに身体を持っていかれた。


「遅い!」


 姿を隠していたエンケがすさまじい速度でリゲルの前に躍り出ると、みぞおちに向かって右手の正拳突きを見舞った。


 ずるがしこく背後を取ろうという戦法を敢えて行わず、攻撃を受けた対象者に強烈なインパクトを焼き付かせるように残したエンケの考えは、リゲルに背筋の凍るような危機感を募らせた。


 思わぬ形で強襲を受けたリゲルは咄嗟に両腕で受け身を取りつつも、残った勢いで後転しながら立ち上がった。が、またしても目に映る景色からエンケの姿は見えない。


(くっ……これならどうだ――?)


 本体が見えないならば、とリゲルは意図的に両目を瞼で塞いだ。


 樹海の流れる風とそれによってこすれる葉の音に加え、不規則に聞こえてくる異音が鳴り始めた。


 リゲルの周辺から不自然な風を切る音が聴こえ、それが徐々に彼の足元に近寄っている。目に映る物体だけに囚われるな。短い人生の中で磨かれた戦闘の経験はそれなりにある。ここで相手の攻撃を凌げば好機が演出されるはずだ。


「甘い!」


 風切り音が遠くから鳴ったと思えば、エンケがリゲルの背後から手刀による袈裟斬りを首元に与え、また全身を樹海の中へ隠した。


 リゲルはこの一撃によってわずかながら意識が遠のいた。人によっては気絶に繋がる可能性のある部位を攻撃されていたからだ。前のめりにリゲルの身体が倒れ、うつぶせの形にならざるを得なかった。それでも諦めない。次の一撃が来るとわかっていながら拳で地面を殴り、必死に立ち上がった。


「無駄だ」


 エンケからの衝撃に続く衝撃を貰い、リゲルの身体が宙に浮いてはどさりと音を立てて落下した。


 太い樹木が無限に広がる世界の中で、エンケの声とリゲルの呻きが聴こえ、森の外には広がらなかった。


「気付くのが遅い。いずれにせよ貴様は死ぬ運命だ」


「うるせぇ……まだわかんねぇだろ……」


 リゲルが呼吸を荒げながら幾度の攻撃を受けてはよろよろと両足で地面を踏みしめた。魔封じの領域を発動(アクティベーション)で打ち消しているがそれ以上の効果はなく、魔力の回復が追いつかずに消耗していくばかりだ。エンケのいいようにやられている最中で必死に思考を回転させるが、反撃の狼煙を上げる手立てがない。


 形勢が有利なままだと踏んだエンケは蔑むようにリゲルを見下ろした。


「貴様ら教会の好きなようにはさせない。排除するしか能のない腐った組織こそ消去すべき対象だ」


「へっ、オレらが腐っているかどうかは、実際に所属してから判断するんだな」


「断る。誤った布教を続けてきた教会に真の聖女が微笑む筈がない」


 エンケは脳裏で新しいイメージの構築を始める。輝く闇が渦巻く状況に、リゲルはただ見るしかできない。


「俺はホロスを、教会を滅ぼす。貴様の足掻きはすべて無意味だ」


「そうはさせねぇよ。お前の殺しも今日限り、だ……」


 リゲルの足取りは重く、執念で立っているとしか言いようがなかった。


 不意にエンケが消える。そしてまた、接近されて顔に一撃を貰った。


 口内から血の匂いが漂い、リゲルの身体がよろめく。何とか倒れずに済んだが、魔力のバランスに狂いが生じ、発動が解除されてしまった。倒すべき相手を探して見上げれば、正面にエンケがしっかりと立っている。


「——ボロボロの体でよくそれが言えたものだな。もはや貴様が俺に抗える要素はない」


 エンケの持つ左手の黒い箱が憎く見えてしまいそうだった。右手は引き続いて闇の光球が黒い微弱な電撃を放ちながら周囲を漂っている。


「終わりだ」


 リゲルの心臓を貫くようにエンケは右手の手刀を作り、強大な魔力を突き刺そうと身体を捻じる。禍々しく輝く閃光が仮面の背後に幾つも形成されていた。後は引き金(トリガー)を引くだけ。それだけで世界は呆気なく終わろうとしていた。


 絶望に染まりかけた樹海の中心で、孤独な聖職者は何一つ諦めてなどいなかった。


「——まだだ」


 エンケには聞こえない微かな声でリゲルは呟いた。


「《ダーク——》」


 突きを放とうとしたエンケの全力の動作を終える前に、リゲルが口を開いた。


「《発動アクティベーション》!!」


 一時は失っていたはずの魔力が再び宿り、聖なる白い輝きが一人の聖職者を包み込んだ。


「何っ……!?」


 暖かくて強い——尊大な聖女の守護の下に示された至高の光は、先ほどまで死へと導かんとした黒き魔力をも一瞬で弾き返した。


 強力な魔法を放とうとした反動とリゲルからの思わぬ反撃によってエンケは仮面越しに目くらましに遭い、同時に勢いよく斜め上に吹き飛ばされた。


 リゲルに残された機会は今しか無かった。今頃エンケは突然の光に襲われて目がチカチカとして役に立たなくなっているはずだ。残された魔力でイメージを築き上げ、自らの大きさほどもある光球を作る時間を確保し、有効に利用した。


「《神聖発撃セイクリッド・シュート》!!」


 リゲル渾身の一蹴りが光球に当たって分裂し、複数の光弾が焦りながら立とうとしていたエンケめがけて放たれた。


 エンケは確実に戦いへのエンドマークを打とうとしていた。有利にはたらかせるために常時魔封じの箱(プリベントボックス)を起動し続け、最大限の身体強化に努めた。結果は見事にリゲルが手も足も出ず、圧倒的な差を以て勝利が約束されるはずだった。それなのに何が起こったのか、理解した時には遅かった。


 繰り出した光弾を避ける暇(いとま)はなく、エンケはすべてを受け止めざるを得なかった。


 エンケの周辺に生えていた木々が光によって焼け焦げ、一時的に陽光の輝きを得た他の植物たちがしおれた葉先を再び元気よく伸ばしながら息を吹き返した。


 リゲルは目線の先で大規模な爆発を確認した。それは今までの劣勢を一気にひっくり返す流転の領域に達し、おぞましい闇の奔流を浄化の光が上回った形で決着がついた。


 高速で点滅する眩い光に包まれた樹海にリゲルも思わず目を右腕で覆う。自身の放った光源が消滅し視界が回復した頃には一人の人間が膝を折っていた。先ほどまで戦っていた、不可思議な仮面を顔に纏っていたが、それも魔法によって打ち砕かれ、素顔が露になっている。

 

 多量の光魔法を浴びた黒い小さな箱は起動を停止し、エンケの傍にあるただの粗末な物体に成り下がった。

 

 破壊の危険性はないと判断したリゲルは、消耗しきった肉体を引きずりながらゆっくりとエンケに近づく。


「お、おのれ……」


 リゲルはエンケの発した声を聴いて思いがけない真実にぎょっと瞳を丸くした。仮面によって隠されていた男だったはずの声が、か細い少女の声として、少女の姿をして目の前に現れたのだ。髪も短く長身だったが、剥がれ落ちた仮面の先にあった顔立ちや声、反撃を受けてローブを失くした華奢な身体は紛れもなく少女だった。意外な正体にリゲルは驚きを隠せず、何度も両目を瞬いて凝視した。


「お、女の子……!?」

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