第四十六話 記憶/消去

残された時間の中でシュウが真っ先に向かった場所は白い施設の地下空間だった。本来であれば立ち入りが禁じられている。

 空間内は全体的に暗く、非常灯を示す赤い光魔石の照明が天井から下がっていた。

天井に設置された全方位に広がる魔力監視機(ウォッチャー)によって映像が記録され、どんな人物が侵入してきたのかを判別している。

シュウはその監視を見事に掻い潜って広々とした地下空間に潜入している。それもそのはず、研究者では数少ない強力な干渉魔法を監視機に展開し、何事も起きていない通常の映像を差し替えて入ってきたのだ。

これだけでも解雇処分ものの規則違反なうえ、まっすぐ見つめる先の巨大な立方体に関わろうとしているのだから明らかな重罪となる。

(悪く思わないでくれよ――)

一六年前に魔力の暴走を起こしたとされている魔封じの箱(プリベント・ボックス)。まだ破壊されていない箱の一つで、施設内で浮遊しながらゆっくりと回転している。

 箱の周囲はシュウの背丈の倍以上の高さを持つ鉄柵の円によって囲まれており、物理的な侵入は魔封じの空間の特性も相まって侵入は困難だった。

 だが、シュウはさも当たり前のように鉄柵を跳び越えて箱に侵入し、箱の底部分にこっそりと円盤状の魔道具を張り付けた。この円盤が何を意味するものなのか、それはシュウの頭の中でしか分からない。

 事前に環境を管理する魔導機をスイから貰った指輪の力で干渉し、魔封じの空間の範囲を最小限にとどめていたのだ。

 警報機の作動もなく地下室を後にしたシュウは、昇降機を使って屋上の発着場へ向かい、脱出に手ごろな丸形の魔導機にいくつか目を付けておく。

発着場を去ると急いで自分の研究室へと戻っていった。スイを逃がすためのヒントになる文献を据え置きの魔導機で閲覧するためだった。

 魔力紙に印刷された研究施設の事件簿に接続し、過去に自分と同様に子どもを脱出させた親に当たる人物がいないかどうかを確かめる。

 詳細な検索機能のふるいにかけたところ一件だけ閲覧できる事件簿が見つかった。

「これだ……」

 シュウが静かに声を上げる。

 魔力の暴走と同じ年に起きた事件として魔力紙に書き込まれていたものだ。

 子どもの脱走を手伝った人物の名はアンカ・アクロス。当時の女性研究員だった。

魔力不全の赤子であるアルファルド・アクロスを魔導機で施設の発着場から脱出させたのち、外部の人間から射殺される。この際赤子を乗せた魔導機は南へイオに向かって飛び、墜落していったとされているが詳細は不明だ。

書かれた内容を見て、シュウはすべてが真実ではないと見抜いていた。

 過去に起きたアルファルドや現在のスイの状況を考えると、偶然に外部の人間が介入して殺害にまでこぎ着けるには無理がある。真実を揉み消すなら内部の人間が動いて一切の情報を流さないように隠す方がまだ理解できる。シュウが仮にアンカを殺すのであればそうしただろう。

 速かれ遅かれ業を煮やした所長を中心とする内部の人間は今頃、シュウやスイを陥れようと策を張り巡らせているはずだ。彼らに先手を打って出ていくしか方法はない。そしてシュウは苦肉の策を取らざるを得なかった。

 娘であるスイを救うためには、彼女の記憶を消すしかなかった。

 施設の秘密にまつわる記憶が消え、組織から発見されるまでの時間稼ぎにしかならない。だが、現状を乗り越えるためには真実を知っている状態から初期化しなければ早々に見つかり、殺処分は避けられないだろう。機密情報を知っているのであれば猶更だ。

 その後、研究室内で身辺整理を始め、シュウが死亡した時のためのメッセージを自らの魔導機の中に入れておいた。ハスワードは敢えて変更せず、この場に来れば思い出すだろうと踏んでそのままにしておく。

 夕方になって、シュウは研究室にやってきたスイに現状を打ち明けた。

 自分がスイを殺さなければならない事態に陥ったこと、それを避けて通るためには記憶を消さなければいけないことを伝えた。

 シュウは何度も謝った。ここまで二人が追い込まれる形になってしまった責任はすべて自分にあるのだと心から認めて。

 娘はしばらく沈黙を貫き、俯いてしまった。

 いきなりそんな宣告を受けてしまえば、誰もが簡単には受け入れられないはずだ。

 今までの思い出に別れを告げ、まったく新しい自分となって逃避行を続けながら生きなければならない。

 その運命を選択できないのであれば、シュウは本当の意味で娘に手をかける。自らの手を汚す。しかし、彼女が死を受け入れてしまうのであれば全力で止める。父として、一人間として、正義を貫く限りは。

「わたしは忘れてしまっても、お父さんはわたしのこと、忘れないんですよね?」

 スイが確かめるように質問を投げかけた。

「そうだ。俺が生き続ける限り、お前を忘れたりはしない」

 シュウはできる限り彼女の問いを肯定できるように答えた。

「お父さんは、わたしにどう生きてほしいですか?」

「今までと変わらないさ。記憶は失っても魔導の感覚は失わないはずだ。何処に行っても鍛え続けるんだ。それが俺への恩返しになる」

「そうですか……そう、ですよね……」

 スイは手探りで心の中を辿った。

 お互いにすべてを納得できているわけではないが、もう二度と会えない運命を受け止めるしか方法はなかった。

「明瞭なお前は記憶を取り戻しにここに戻ってくる。その時に俺は像となってお前を導く。その際の引き金(トリガー)を俺は用意しておこう」

 これから謹んで受ける大罪を背負う前の、せめてもの償いだった。

 スイは胸の前でぎゅっと右手を握り締め、覚悟を決めたように顔を上げた。

「——わかりました。お父さんを信じます」

 日頃から互いを信頼する親子に血縁はない。だが、それでよかった。血筋ではない絆で結ばれている事実をシュウはただ噛み締める。

「次に目が覚めた時にはまっさらな記憶のお前になる。準備はいいか?」

「はい。それでもお父さんといた日々は、決して忘れません」

「俺が忘れないんだ。お前は絶対に失わせない」

 スイは黙ったまま頷いた。

 シュウがゆっくりとスイの頭を撫でるように右手を彼女に乗せ、両目を閉じて詠唱を始める。

「《示せ呪禁、閉じろ縛錠、すべての過ちを去りしものにする聖女ステラの御業を、今——》」

 二人を包む黒く禍々しい光が研究室を包み、飽和していく。

「《抹消者の心(デリーターズ・マインド)》」

 呪文が唱えられるとスイは全身に受ける強力な魔力によってわずかながら浮き上がった。両目は衝撃を受けたように見開き、同時に身体もぶるぶると身震いを起こして自由の利かない状態へと陥った。

 父が娘に与える最後の魔法にして、最も邪悪な呪いでもあった。

 スイは急激に全身に流された魔力に耐えきれず、声を出す間もなく意識を失ってしまう。

 シュウは構わず悲愴感漂う表情で魔力を流し込み続けた。

 ――許してくれ。ここまで愚かな選択を取った父を。そう何度も心の中で叫んだ。

 魔力が伝染するように、デスクも、そこに置かれていた据え置き魔導機も、本棚も重力に逆らうように暗黒の光を放ちながら浮遊している。そして何よりシュウ自身も浮き上がり、研究室という限られた空間がいかに異様な光景を描き出しているかが見て取れる。

 限界まで魔力の奔流を続けた一つの儀式が反重力の喪失と共に終わりを告げる。

宙を舞っていたものたちが次々と床に落ちてはどさっと音を立てた。強力な呪文を交わした二人も例外ではなかった。

両脚でしっかりと着地したシュウが遅れて落ちてきたスイを抱きとめる。

瞳を閉じて気を失っている彼女に、確かに呪文は効いている。その感触があった。

「——これでいいんだ」

 自らを納得させるように呟くが、彼女の記憶喪失という重大な損失を被ったシュウには非常に重い選択だった。後はできるだけ早く魔導機に乗せ、遠くに向かって飛ばすだけ……。

 別れはすぐそこまで来ていた――その時だった。

 研究室のドアが炎の爆発魔法によって強引に破られ、辺り一面が煙だらけになる。

 爆発の直前にスイを庇うような形で抱きしめ、何とか娘は死守する。

 噴き出した煙にシュウは思わず咳き込む。落ち着いて風魔法を展開し、視界を確保しようとした。

 煙の先には白衣を着た人物――所長らしき影が浮かび上がり、やはりこのタイミングを狙って出てきたのだろうと推測できる。

 だが、シュウの予想は裏切られ、煙が晴れた時には判断が遅れたと理解せざるを得なかった。

 雷魔法を取り込んだ銃弾が「《解除(リリース)》」の呪文と共に放たれていたのだ。

 シュウを狙った弾丸は彼の右肩に命中し、強い衝撃を与えて気絶させる。

——しまった。一瞬の出来事に置いてけぼりになりながら、シュウは意識を閉ざしてしまう。

 銃の主は施設の所長――ではなく、黒い仮面を付けた人物が代役を務めた。

「素晴らしい。いい射撃の腕を持っているな」

「…………」

 所長は絶賛するが、仮面の人物は銃をしまうとしばらく身動き一つしなかった。

 その人物の傍を通った複数の白衣の男たちが意識のない二人を取り押さえて連行する。

 脱出計画を目論んだシュウとスイが何処へ向かったのか、真相を知るには真夜中まで時計の針を進めなければならなかった。

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