第四十二話 誤算
アルファルドの
山に造られた絶壁の一部まで魔導機を進めると不自然に形成された金属製の扉を発見し、ハッチを開いて飛び降りた。
機体はアルファルドが離れたことを対人センサーで確認すると、周囲を警戒するようにゆっくりと閉まった。念のため防犯用の警報機能を搭載した機体を選択している。
魔封じの領域に侵食されているらしく、透明な光の膜に包まれたた灰色の空と純白の山肌が露になっている。ドーム状に広がる光の幕は、山間部の一部に覆いかぶさるようにして広がっているようにも見えた。
ハダルの手記に書かれていた内容とは異なっていたが、確かにガニメデの山中は所々領域による環境を占めていた。
アルファルドは迷うことなく扉のレバーを握り、右方向に握った右手を傾ける。
ガリガリと粗目のやすりで削れるような音を立ててレバーが回り、扉が開いた。
「……」
息を呑んだ。
目の前に広がるのは端正に掘り起こされた一本道の広いトンネルで、白く塗装された内側が薄汚れていた。
光魔石による真っ白な照明もまた内部の異様さを際立させており、どこまでも白を追求した始まりの終わり(リバース・ピリオド)の拠点は、徹底的に自然物を排除したような気味悪さを印象付けている。
人知れず扉が閉まると同時にカチャリと軽い施錠音が聴こえた。
「《
振り返って呪文を唱えてみるが一向に扉が開く気配はない。
「駄目か」
誰かが遠隔魔法で操作しているが、相手はまだわかっていない。
少しだけじんわりと冷や汗をかいた。大方の予想通り、これは罠にしか見えない。
飛び込んだ罠の先に見える異変はまだ始まりに過ぎないのだろう。
退路を閉ざされた今、アルファルドは前へ進むしかなかった。
どこまでも続きそうな道をただただ歩き続けるだけだった。
しばらくトンネルを進んだ先で、古びたドアが開いた昇降機(エレベータ)に乗り込む。
横開きのドアが閉まった時、アルファルドは魔の手に堕ちてしまったのではないかと緊張が高まった。
アルファルドは事の張本人であるハレーに想いを張り巡らせていた。自分はこれから何を見せられようとしているのかはそれなりに見当がつく。相手にするのはきっとハレーだけではない。ハダルが確かに殺したはずのシャウラが、夢の中で自分を守ろうとしたアンカを殺した男が、目的地にはいるはずだ。そうでなければハレーだけがガニメデの奥地に自分を呼ぶことなどしない。
憎しみはなかった。すべての真相を知ったとしても持てないだろう。もし仮に憎むとするならば、それはハダルへの怒りだが、今はそれもない。長い間共に過ごしたハダルとの絆がアルファルドを掴んで離さない。それだけ師弟の関係は強固なものだった。
今のスイはビエラと共に彼女の真実を辿っているだろう。一か月もの間、微力ながら師匠として助力を尽くしたつもりだったが、良くない方向へ進んでいってしまわないだろうか。一時期まであった過保護な状態からバランスを取り戻したものの、うまくいってくれるか、心の底では心配になる。隣にいると考えられるビエラが良からぬことを考えていなければいいのだが――そう弟子の身を案じていた。
冷ややかな照明だけが狭い機内を照らし、外の景色はまったくと言っていいほど見えない。
妙に地上へ引っ張られる感覚が全身に残る。
文字盤も操作盤もなかった機体は突如として急激な減速と共に停止し、ガクンという音と共に小規模な揺れを起こす。
位置情報の発信源に到着したようだ。
機体は到達後、ひとりでにドアを開いて、アルファルドに退出するよう無言で促した。
見えない視線を無視するように一歩、また一歩と機内から階の床へ足を踏み入れた。
アルファルドが離れた直後に機体のドアが閉じ、開かずの扉となってその場に残った。
またしても長いトンネルが続いていた。
そして目の前には非常に身に覚えのある人物がいた。
「待っていたぞ、アルファルド」
漆黒に輝く黒い仮面、落ち着いた言葉遣い、無風の中でなびかない白いローブ。
真っ白な広間の中にハレーが立っていたのだ。
仮面によって隠された表情を見せない代わりに、堂々とした立ち姿でアルファルドを迎えた。
「——っ!」
今度は撃たれまいと
攻撃はしないという意思表示の表れだった。
「ここで死んでもらっては困る。それに今は君に不利な状況であることは間違いないはずだ」
「……」
アルファルドは黙ったまま構えを解いた。
ハレー言葉は至極まっとうだ。ただ足掻くだけでは消耗しかしない現実を受け入れなければならない。
戦いたくない相手だが、戦わざるを得ない事態へと次第に追い詰められていくのではないかという予感が頭をよぎる。
過去の油断から撃たれた事実は変わらない。ここはぐっとこらえてハレーに従うしかなかった。
「物分かりがよくて助かる。君は主様と対面させなければいけないからな」
「夢に出てきた男か?」
「ご名答。あのお方に顔を合わせられる機会はめったにない。名誉なことだぞ?」
「何が名誉だ。反吐が出る」
アルファルドが吐き捨てた。
見せられた夢は決していい気分にはならない。自分を逃がした命の恩人を殺されているならなおさらだ。
ハレーは右手をひっこめるとアルファルドに要求した。
「ここで
じわじわと魔力を消費させる魔封じの領域において装甲衣を放棄する行為は限りない死を意味する。
装甲衣に手を掛けながら脱ぐことを躊躇う。
長年共に戦ってきた相棒であり、必然的に身体の一部でもあったからだ。
一時的に脱ぐ時間帯はあろうと、赤の他人に命と同等の得物を渡すなどハンターとしてあるまじき失態でもある。
しかし、不用意に手を出せばハレーの思うつぼだ。そうしなければならない事態に追い込まれていた。
アルファルドは装甲衣を脱いでハレーに引き渡す形で要求を呑んだ。
ハレーは受け取る
「君は運命に抗えない。師匠と弟子もな」
「そんなの、まだわからないだろう」
せめてもの抵抗を見せるが、それで何が変わるわけでもない。
「その口が利けるのも今のうちだ。主様の元へ行くぞ」
「……」
ハレーは装甲衣を持って満足そうに先頭を歩き始める。
身体の軽くなったアルファルドが見えない縄で引っ張られるように後へと続く。
拒むという選択肢はなかった。
引き返そうがしまいが、ハレーに自分の命を握られている現実に変わりはなかった。
長く続いたトンネルの道に終わりを告げる頃、一つの大きな鋼鉄の扉に到達した。
「《
唱えたのはハレーだった。
生命維持だけで精いっぱいのアルファルドが魔法を使ってしまえば十中八九死に至る。
鈍重な扉が開くと、その先もやはり白で満たされた広大な空間が存在した。
大小様々な球体が浮遊し、間(ま)の中心には灰色の布で包まれた物体が鎮座している。
物体は二人が近づくと満面の笑みを見せた。よく見れば物体ではなく飾り気のない玉座に座る白い顎髭を生やした男だった。
素顔は灰色のフードによって見えないが、アルファルドには正体が誰なのか手に取ってわかるような感覚を覚えた。間違いない。悪夢の中でアンカという女性を殺したあの男だと。
「……」
アルファルドは一瞬、怒りの波に打ちのめされそうになるが、必死に理性で抑え込んで平静を保った。
「主様。アルファルドを連れてきました」
「ご苦労だった。さぞかし持っている服も重いだろう。一度わしに預けてはくれないか?」
「仰せのままに」
ハレーは綺麗に畳んだ装甲衣を持って主と呼ぶ男の両手に持たせた。
「これが弟子の装甲衣か……作戦を邪魔した邪悪な得物を今一度見るとはな……」
男は愛玩用に造られた魔物を愛でるように装甲衣の端から端をゆっくりと撫でた。
服を通して寒気が走った。まるで自分が恐怖によって支配され、意のままに操られているかのように。
確実に弄ばれている。唯一にして最大の武器を奪われ、アルファルドはただ見ることしかできなかった。
「ハレー、お前は下がっておれ。この青年と話がしたい」
「はっ」
命令を受諾したハレーはアルファルドの背後まで下がり、彼を監視するように自身の時間を止めた。
「初にお目にかかるぞ、アルファルドよ。わしに聞きたいことがあるのではないのか?」
フードの男は問い掛けた。
「――お前の名はシャウラ。聖女複製計画、そして
アルファルドが一つ間を置いて口を開いた。
「今更隠す必要もない。そうとも。わしがシャウラだ」
シャウラは被っていた灰色のフードに手をかけた。
細長く骨ばった手でゆっくりと布をめくると、そこに現れたのは夢に出てきた眼帯の男でも、過去にハダルが葬ったシャウラでもなかった。
白髪交じりの短髪に壮年の顔、そして傷ついていたはずの瞳はどちらも健在だった。右は黒、左は金の
アルファルドの想定に狂いが生じた。師匠が確かに凍結させ、決して浅くない傷を負わせていたはずなのに、首謀者は無傷に、無事に戻り、回復していた。
気付いた時にはもう遅かった。
すべての行動がシャウラの掌の上で転がされていたという現実に。
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