◆11・虹の狂宴
隙が生じて綻びた戒めを振り払い、大鎌のギラつく刃がゼノアの背中を貫かんと迫る。
「危ないッ!!」
異変に気づいたフィーが叫ぶも、既に回避するには間に合わないタイミングだ。
「大丈夫。ちゃんと視えてるさ」
そう宣うゼノアは、右手を突き出しただけ。
「なっ……!? うわぁぁぁあああ!」
それだけで、黒刀は魔物ごとゼノアの手に瞬間移動した。
ゼノアの右手に握られた黒刀の柄。
その先には、反転して此方に背を向けさせられた魔物が、大鎌を振り切った形で静止している。
「最後通告だ。お前らは、浄化を受け入れる意志はあるか? それとも――」
「お、お前ら? ま、まだ他にもいるの!?」
「……あぁ、いや、コイツは単体ではなくて、群体なんだよ。一体に見えるが、複数の魂が同化してやがるのさ」
「同、化……?」
「喰ったんだろうよ。最初に人を殺したヤツが、殺されたヤツの魂を。そんなことを、これまで何百、何千回と繰り返してきた。地獄に堕ちてまでな」
ゼノアはやり切れぬ思いを言葉と共に苦々しく吐き捨て、黒刀を持つ手から己が法力を流し込んで、収束力を強化させていく。
「さて、気を取り直して最後通告の続きと行こうか。再度問う。浄化を受け入れるか、このまま地獄の業火にて灰燼と帰すか――選べ」
それは余りに重く、底冷えのする声だった。
今までの軽い口ぶりからは想像も出来ぬ程の、威圧感と冷徹さ。
フィーが思わずゼノアの襟首から手を離してしまい、尻込みするくらいに。
――ォオおおぁァァァあああアアああAAAAAhhhh!!
声にならぬ声が、絶叫を轟かせた。
魔物から溢れる真っ黒な法力は、天への慟哭として立ち上る。
ゼノアはそれを返答と受け取り、自身の内から引き絞るように黒刀へと法力を注ぎ込んでいく。
すると赤い鋼玉が爛々と輝きを増していき、途端に魔物の身が縮小し始めた。
黒刀の収束力が高まり、魔物の抵抗力を上回ったのである。
初めは密閉容器に空いた風穴程度の吸引力であったそれが累乗的に上昇を続け、いまやブラックホール並に成長を遂げ、魔物の全てを飲み込まんとしていた。
当然、魔物には最早抗う術など無く、黒刀に纏わりつくような漆黒の薄膜へと圧縮されてしまう。
「――ゼロから出直して来い」
宵闇を押し退け、赤き太陽が出現した。
刀身上で薄膜と化した魔物が、真っ赤な炎に包まれている。
赤く、眩く、熱く。
轟々と鳴る燃焼の音は激しさを増し、声無き絶叫と共鳴する。
その悲鳴は――幾百、幾千もの断末魔の叫びは、物理的な音にはならないが、霊的に響き渡り、魂を揺さぶる現象としてゼノアとフィーに届いていた。
(安らかに眠れ。もう、誰も殺さなくていい世界で……)
そして溶け合い混ざり合い輪郭を無くしていた幾千もの魂が――
「え、え? なにこれ! ……綺麗」
感嘆の吐息を漏らすフィー。
暗き夜空に無数の魂が、それぞれの色と共に解き放たれた。
それはまるで、虹色の妖精たちが踊っているようで。
しかしゼノアは、苦々しい顔をしていた。
結局のところ魂は解放できたが、自我を殺してしまう程の苦痛を与え、幽体を殺し、魂を砕いてしまったのだから。
……誰一人として、救えなかった。
その思いが、己を責め立てる。
「大丈夫? ゼノア、顔色良くないよ?」
「ん? ああ、問題無いさ。この程度……」
「そう? 無理はしないでね。もう魔物は居ないようだし、戻ろう?」
「……そうだな」
七色の魂の欠片は、乱れ飛び空気に溶け込むように、消えていった。
そして法力エネルギーに変換可能な部分――魂以外の霊体は、【
――だが、淡緑色の薄い法力光が、【
(今のは……?)
既視感を覚えたゼノアは一瞬立ち止まり、その正体を思い出そうとする。
しかしすぐには思い当たらず、フィーに促されて二人でジェルミ家の方に戻っていくと、いつの間にかベネデッタが戸口に立っていた。
「ベネデッタさん!」
「お二人とも、怪我は無い? 今の魔物はどうなったの?」
「無傷だ。アイツらは……焼き尽くした」
ベネデッタは扉を開き、中に招き入れながら言葉を繋ぐ。
「そう……とにかく、中に入って。身体に怪我は無くても、服は重傷みたいね。直すわ」
「助かる」
「良いのよ。二人とも土汚れが付いてしまっているし、そのまま二人でお風呂に入ってきて」
「二人で!?」
「あら、何か問題あるの?」
足が止まったフィーは、顔も固まってしまって。
「洗濯をしたいから、一緒に入ってくれると助かるのだけど……」
追い打ちをかけるベネデッタの言葉。
フィーが固まっている理由を察したゼノアは、どうしたものかと思案する。
確かに男同士なら、まぁ問題は基本的には無いかも知れないが……男同士なら。
「そうだな、じゃあお言葉に甘えて。……行こうぜフィー」
「う、うん……ぼ、僕はもう少し後に」
「服、脱いだら教えてね? すぐに洗うから」
「おお、分かった。行くぞ、ほら」
「わわ、わわわ! ちょっと!」
ゼノアに引っ張られ、風呂へと連行されていく。
「ぼ、僕は入るなんて言ってな」
<俺はフィーの身体を見ないようにする。それならどうだ?>
突如繋がれた思念通話回路に戸惑いながら、フィーは応答する。
<え? それってどういう……>
<男のフリしてる理由は知らんが、ここでバレたくないなら、こうする他無いんじゃないか?>
女性は裸を見られるとブチ切れるらしいと学習したので、ゼノアはそう提案した。
今日の昼頃その身を以て覚えた、新鮮な情報である。
<ど、どうしてその事を……!? いや、ゼノアだもんね。……分かったよ>
<なんだよ、その溜息>
<知らない。それよりも、どうして知ってるのかは、後でじっくり聞かせてもらうからね!>
<……お、おう>
その様子に圧倒され、立ち止まるゼノア。
憤然としたフィーは、そんなゼノアを置き去りに、さっさと風呂場へと入っていった。
<あ……時間差で行けばいいか。俺はトイレに寄ったフリをするから、浴室に入ったら教えてくれ>
<……うん、わかった>
すぐに左手にあったトイレのドアを開き、中に入る。
便座に用もないのに座り、交信を待つ。
<……入ったよ>
<了解。じゃあ次は、洗い終えたら浴槽の中に入ってればいい。そうすりゃ、俺からは顔しか見えないからな>
<うん……また合図するね>
<はいよ>
トイレから出てのんびり歩いて時間を稼ぎ、脱衣所ではゆっくり脱ぐことで時間を稼いでみたが、やはり欠伸が出るほど余る。
仕方なくゼノアは、暇潰しに双刀を出したり仕舞ったりして遊び始めた……全裸で。
「お二人とも、もう宜しいかしら?」
「ぅえあっ!? わりぃ、もうちょい待って!」
「あら、そうなの? わかったわ」
ベネデッタから扉越しに問われ、上擦った声を返してしまい、苦笑される始末。
そのまま廊下で待つつもりらしいことに若干の焦りを覚え、何か会話でもして間を繋ごうと画策する。
「そ、そういや、何で急にあんな魔物が出たんだろうな?」
「さぁ、それは分からないけれど……とにかく、倒してくれて助かったわ。私とテオだけでは、きっと寝ている間に殺されていたもの」
何とか話題逸しに成功したと思っていたゼノアだが、次の言葉を聞いて凍りつくことに。
「それしても、二人ともお強いのね? ご夫婦で冒険者をされていらっしゃるの?」
(……は? え? いま、なんて……)
<もう、入ってもいいよ>
ゼノアが答えに窮していると、フィーから思念通信が届く。
扉越しには返答を待つ気配。
「えーと、その……夫婦ってワケじゃないんだが」
「あら、そうなの? じゃあ婚約はまだ、なのね。男性なら、そういうことはハッキリしないと」
「そう……だな。とりあえず準備できたから、風呂入らせてもらうよ」
「ええ。ごゆっくりどうぞ。着替え、置いておくわね」
「お、おぉ、助かる」
そそくさと逃げるように、ゼノアは浴室内のドアを開けて中へ。
◇◇◇◇◇◇
「……てなワケで、すまん、どうやら女性だとバレてたみたいだ」
「……じゃあ、ここでこうして一緒にお風呂まで入ってる意味って?」
「無い、な」
意味など無い。
ただ一緒の空間に居るだけ。
浴槽に肩までどころか首まで浸かり、そろそろ口元すら沈みそうなほど埋まっているフィーは、膝を抱えたままジト目でゼノアの背中へと視線を突き刺す。
そのチクチクとした感触をしっかりと味わいながら、ゼノアは洗髪中だ。
長い髪を洗うのは面倒で、切ろうかと思案中。
「無いよね。ただ無駄に気恥ずかしいだけだよね」
「……悪かったよ。ていうか、フィーだってまだバレてないと思ってたんだろ?」
「そりゃあ……そうだよ。今までだって、誰にもバレたことなかったし」
そう言いながら口先を尖らせ、困ったように眉をひそめる。
「ゼノアにバレたのは、まぁ仕方ないとして……ベネデッタさんには、どうしてバレたんだろ?」
男の子の仕草とか頑張って覚えたのになーと溢す。
指で髪の毛の先っぽをくるくるといじりながら。
「言うほど男っぽくはないと思うぞ? それに……」
「それに……?」
「喉仏、無いし」
「あ……」
喉元に手を当て実際にその所在を確認するが、在る訳もなく。
普段は衣服の襟やローブで隠しているから良いのだろうけど、ジェルミ家で風呂を借りた際に部屋着を披露したことにより、完全に喉は露出させてしまっていた。
そのことに思い至ったフィーは、自分の不注意だと気づき落胆の色を示す。
声は低く出すように気を付けていたのに、その大元たる発声器官の隠蔽を忘れるとは……。
「とりあえずベネデッタとテオなら、口止めしとけば快く応じてくれるだろ? 隠しておきたいなら、そう頼めばいい」
「そう、だね……うん、そうするよ」
「っと、悪い、話し込んじまったな。フィーが茹で上がる前に、さっさと出るわ」
「え? あ、そんなに急がなくても……だだ、大丈夫、だよ」
途中から言葉が乱れたのは、立って移動し始めたゼノアの方を直視してしまったからである。
耳まで真っ赤にして、即座に目を逸らす。
「いや無理すんなよ。めっちゃ赤くなってんじゃねぇか」
そう言ってすぐに、浴室と脱衣所を隔てる扉は閉められた。
一人残されたフィーは、先程見てしまったものが頭から離れず、ぐるぐると脳裏を旋回している。
(あ~あ~あ~どうしよう……別のこと考えないと、別のこと……!!)
湯船の中でそんなことをしている内に、その白い肌は本当に赤く茹で上がってしまったという。
◇◇◇◇◇◇
空が白み始めたのは五時を過ぎた頃。
深夜にも魔物騒ぎで起こされたというのに、ベネデッタは朝日と共に起き出して朝食の準備をし始めた。
風呂上がりに遺品の部屋着を借りたゼノアとフィーは、六時過ぎに起き、その朝食を頂く。
話は必然的に、睡眠を妨げてくれた魔物に関するものに。
「結局なんだったのかな? 昨夜の魔物」
「さぁな。この辺はまだ温泉街ソレイユの警備範囲なんだろ?」
「ええ、そうよ。私はここに住んでもう七〇年以上になるけれど、まずソレイユ山に魔物が登ること自体が珍しいわね。ほとんどは、麓の結界線を越える前に退治されるはずだから」
ベネデッタの話だと、麓にはソレイユ山をぐるりと囲むように結界線が引かれており、そのラインを越えると直ちに麓の国王軍詰所にて感知し、偵察部隊が派遣される。
偵察部隊で殲滅可能ならそれで終了。
ダメなら増援要請し、最大で五合目の駐屯軍も合わせて一個連隊――約三〇〇〇名の人員と兵器を以て叩き潰すらしい。
国王軍は基本的に二四時間体制で配備区域の監視を行うので、その監視の目を潜って侵入することなどあり得ない、とのこと。
「あり得ないと言っても、現に出たしなぁ。まぁアイツは瞬間移動が出来るタイプのようだったから、それで結界とやらを潜り抜けたのか?」
「どう、かしら……私は結界には詳しくないけれど、魔性の魂に反応して斥力を発生させる物のはずだから、いくら速くても壁に激突するような衝撃を受けると思うわ」
「そうだね。そうなれば、無傷では済まないし、当然結界を管理している国王軍にも感知される」
ベネデッタの推測をフィーが保証し、補った。
結界線は上空一万mまで効果があり、飛行体も感知できるらしい。
しかし昨夜、国王軍は来なかった。
つまり、感知できていない、という事に。
「じゃあ、あの魔物はどこから来た?」
「それは……」
「分からない、よね」
分からないなら、今後の対応をどうすれば良いのか?
先の魔物が侵入したのと同じ方法で、第二第三の魔物が現れる可能性は十分にあり得るのだ。
何も対策を講じないのは愚かだと言える。
「……なら、仕方ねぇ。調べに行くか」
「え? 何か心当たりがあるの? ゼノア」
「まぁ、な」
「危険じゃないかしら? 大気を凍てつかせるほどの法力を持った魔物なんて、この辺ではまず聞かない話よ。国王軍に任せた方が……」
「いや……軍じゃ無理かもな」
ベネデッタの心配をよそにゼノアは立ち上がり、皿を持って洗い場へ持っていく。
「心配すんなよ、ベネデッタ。危なくなったらすぐに引き返すさ。だからまぁ念の為に、国王軍に報告はしといてくれても良いぜ? 俺らが逃げ帰ったら、あとは国王軍に任せることにしよう」
「そう? 分かったわ。……あ、洗い物はそこに置いといてね」
「はいよ」
「……ねぇまさか、興味本位で蜂の巣をつついて、後処理は他人任せにしよう、なんて考えてない?」
何かを察したらしいフィーがジト目で疑惑の矛先を向けてくるが、ゼノアは虚空への快活なスマイルで受け流す。
「はっはっは。御冗談を」
「……ゼノアが丁寧語を使う時って、くっそ怪しいんだよなぁ」
そのやり取りを見て、苦笑するベネデッタ。
仲の良い夫婦だなぁ、とでも思っていそうである。
夫婦ではないと、あれから散々説明しているのに。
ゼノアはベネデッタの好意に甘えて皿を置き去りに、そのまま寝室の方へ向かうと、途中の乾いた洗濯物を回収して着替え始めた。
漆黒のドレスシャツを着て、白いデニムパンツを履き、緋色のアウターコートを羽織って、空の背嚢を担ぐ。
「あ、待ってよ! 僕も行くって」
「ん? あぁ、了解」
急いで朝食の残りを掻き込むフィーを待っていると、背後で動きがあった。
「……んぁ。おはよう」
テオが起きたらしい。
振り返って、ゼノアは朝の挨拶を返す。
「おお、起きたか。おはよう」
「……あれ? どこか、行くの?」
「ん? あぁ、ちょっとな。用事ができちゃってさ」
それを聞いた途端、ガバっと起きたテオは、
「えーっ!? 今日は泥遊びするって約束だろ!?」
と
「早めに帰れたら、相手してやるよ。だからテオは、自分のやるべき事をキッチリ終わらせとけ」
「ぶーぅ! なんだよソレ! 大人はいつもそうだ! 子供との約束なんてどうでも良いと思ってんだろ!? 自分たちの都合だけ優先させて、それを言い訳にして子供と関わるのが面倒臭いだけなんだ!」
「テオ! なんてこと言うの!?」
ゼノアと両親とが繋がってしまったのか、突然始まったテオの我儘に、ベネデッタが困惑した様子で割って入る。
しかしそれを目線と首の横振りで制したゼノアは、テオに向き直って片膝を床に付き――両肩に手を置いて、視線の高さを合わせた。
「すまねぇな。確かに俺は面倒臭がりだ。ソイツは否定できねぇ。けどさ、約束は守るよ。自分の口から出した言葉は、必ず守る。だから信じてくれないか? 俺が、ここに帰ってくることを」
真摯な眼差しが眩しかったのか、ゼノアを一度疑ったテオは、自分の目を向けることができない。
けれどゼノアは辛抱強く待った。
両肩に手を置いたまま、逃さないとでも言うように。
やがて、テオが観念した様子でそちらに目を向けると、そこには自信に満ち溢れた、力強い瞳があって。
「……わかった。待ってるよ、オレ」
憮然とした表情のままだったけれど、そう言葉を絞り出してくれた。
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