◆10・魔の舞踏
地面に張り付く黒き円陣から浮かび上がるは、夜空より尚暗き漆黒の魔物。
初めに出てきたのは闇をそのまま被ったかと見紛えるほど、光無きフードに包まれた歪な頭部だった。
フード内には真っ青な人の顔があるように思えるのだが、詳細がまるで知覚できない。
目も鼻も口も、何故か輪郭がぼやけ、どんな色形なのか全く判別ができないのだ。
まるで、存在自体が揺らいでいるかの如く。
続いて出てきた上半身も同様だった。
フードに繋がる外套も、闇がそのまま纏わりついているみたいに輪郭が揺らいでいる。
手に持つ巨大な鎌もまた、月光を浴びて鈍く光るその刃ですら、造形はぼんやりとしか認識できない。
そして足は――無かった。
完全に円から出てきた足元は、外套の裾が風に揺られているだけで他に視界を遮る物が無く、反対側の空間が見えている。
魔物は浮遊したまま、此方を真っ直ぐに見据えてきた。
真っ黒な外套を頭から被り、生気が無いどころかこの世のモノとも思えぬ風貌で、巨大な鎌を得物とする、そんな特徴を持つ魔物と言えば――
(うーん、分からん。なんだコイツ?)
まっさらな頭の中には、この魔物に関する情報は入っていないらしい。
誰おまえ?
みたいな顔で首を捻っているゼノアのことが気に入らなかったのか、黒き魔物は何の予備動作も無く、鎌を水平に振るう。
物理的な重さがあるならば、身体の筋肉や関節を使って武器を振るおうとするものだ。
しかし、この魔物にはそれが無い。
ただ何気なく前方を撫でるように振るわれた大鎌は瞬きよりも速く空を切り、ゼノアの胴体を上下に二分する軌道を描く。
魔物が動き出す一瞬前、背筋を襲った悪寒に従って咄嗟に身を低くしたゼノアは、迫りくる超音速の大鎌を視認し、後方に身を投げ出して回避。
腰の高さで地面と平行になり天を仰いだ上半身の数cm上を、冷たい風が通り過ぎる。
そのままだと頭から土に突き刺さるので、両足で地を蹴り後方転回。
背を逸し地面に両掌をつき、両脚を振る反動で上半身を引き上げ、更に距離を取って着地した。
元に戻る視線の先――魔物は先程の場所に、もう居ない。
(後ろッ!?)
瞬時に展開した【天征眼】による全方位への透過視覚。
視えたのは、背後にて佇む黒衣の魔物と、この脳天へ振り降ろさんと大上段に掲げられた大鎌で。
咄嗟に右方向へ転がるように回避。
右足を左斜め後方へ引きつつ重心を右腰下部へ落とし、球が転がるように右方回転しながら大地を蹴り飛ばして移動速度の加速を図る。
その場に残っていた足首が身体の動きに引きつけられた直後、縦に空を裂く刃は地へと突き立つ――が、物理的な破壊は起こらず、生えていた緑草が軽く萎れただけ。
(今の移動速度は、空間転移でもしたのか? あの地面の草……外傷は無いのに、死んでやがる)
小麦粉でも振りまいたように白く凍る硬い茶土の上を転がりながら体勢を立て直し、白い息を吐いて呼吸を整える。
(ヤバイ、寒すぎてまともに身体が動かねぇ)
ゼノアは身体だけでなく寒さで回らなくなった頭を総動員して、現状の把握に努めた。
いくら冷え込むと言っても、このレベルは異常ではないのか?
雨が降る程度には温暖な気候なら、空気中に含まれる水分のお蔭で昼夜の気温差はそこまで開かないはずだ。
氷点下までいくと、植物は死ぬ。
毎日こんなに冷え込むなら、植物など育たない。
しかしここには、緑草がそこら中に生えている。
とすると、この気温低下は一時的なもので――コイツがもたらしたものか?
(てことは、あのディアナとかいう魔女が使ってた氷魔法は、効かねぇかもな)
そう思っても試してみたくなるのが人の
ゼノアは右手を突き出して、ゆっくりと此方へ近づいてくる魔物へ向けて、凍波を放った。
空気中の水分が亜音速で凍っていき、即座に魔物へと到達。
しかし、魔物は氷った空間など意に介さず、そのまますり抜けて進んでくる。
(やはり、無駄か)
残り数歩の距離を、魔物は消した。
ゼノアの真後ろに瞬間移動した魔物は、再度大鎌を振るう。
敢えて大鎌が来る方向へと身を沈め、死の刃筋を潜ったゼノアは、魔物の脇を抜けてそのまま止まらずに駆け出す。
(殴ったって効かないだろうなぁ、肉体無さそうだし。さて、此方からの攻撃手段をどう確保するか)
凍ったお蔭で走りやすい地面の上を疾走しながら逃げ回る。
それから幾筋か月下に銀光を閃かせた魔物だったが、ゼノアにかすりもしない事を悟ったのか、攻撃手段を切り替えた。
外套の袖が持ち上がったかと思うと、その闇の下から赤く濡れた腕を突き出し、幾つもの赤黒い法力球を放つ。
直線的に飛来するかと思われたそれらは、尾を引きながら自在に旋回し、上下左右からゼノアを追尾。
(止まったら、アウトだな)
死のマラソンを強要される形となり、球体に追われるてペースも逃避方向も乱されていく。
上方向から落ちてきた一つをステップで躱すと、目標を失った球体は地に潜る。
しかしその主――魔物と同様に、地中で向きを変えると再度此方へと向かってきて地面から飛び出し、同時に前後左右の複数方向から包囲を狭められ、
(やべ、喰らう!?)
斜め後方に跳躍しながら咄嗟に両腕を交差させて顔や上半身を庇う。
死を意識して極限の集中力が発揮されたのか、時間の流れが非常に遅く思えた。
球体は先程までの疾風の如き速さではなく、緩慢と天道を行く雲のようで。
そして自分の動きもまた同様に遅く感じられる中、ゼノアは自身の両手に違和感を覚える。
まるで掌から何かが出たがっているような、ジリジリと焼け付くような感触。
――ふと脳裏を過ったのは、目覚めた時に天から降ってきた、あの白黒の双刀だった。
着弾。
禍々しさを覚える赤黒い球体は、何かに触れた瞬間に爆発する仕組みだったらしい。
内包する高濃度に圧縮された法力が、戒めを解かれて全弾連鎖爆発。
周囲の地形を数m抉るほどの威力を発揮した。
立ち込める粉塵。
吹きすさぶ冷風に土埃が払われて見えたその光景に、感情の無さそうな魔物が初めて――静かに動揺を示す。
視界が晴れて現れたのは、交差した腕の先から、白黒の双刀を具現化した無傷のゼノア。
薄手のローブにすら、綻び一つ見当たらない。
(双刀……今まですっかり忘れてたけど、そういや俺の中に居たんだったな。なんか自分たちを使えみたいな思念を感じたけど、お前らもしかして生きてんのか?)
ゼノアの無意識下の問い掛けに応じ、【天征眼】を通じて情報が自動取得される。
双刀の銘は、
(左の白刀が【
というらしい。
(そうか……求めれば、情報が送られてくるんだな? なら、お前らの力とか知りたいね)
即座に、能力の詳細について情報が送られてくる。
受け取った情報を整理して顔を上げたゼノアは魔物を射抜く眼光を鋭く尖らせ、にやりと口元を歪めて嗤う。
その顔は――今度は此方の番だ、と如実に語っていた。
双刀を順手に持ち、足元が爆散する勢いで駆け出す。
残像を置き去りに、自身の脚力が生む圧倒的な風圧に逆らわず双刀を後ろになびかせ、数十mの距離を数歩で消して魔物へと斬りかかる。
斬られる前に瞬間移動にて消える魔物。
白黒の双刀は空振りし、地を踏みしめ方向転換したゼノアは、即座に再度突進していく。
(うーん、いくら速く動いても、瞬間移動されたら敵わんなぁ。ヤツの意表を突くのが常套手段なんだろうけど、さて人外相手にどうするか)
一閃、二閃と双刀を翻していくが、一瞬で位置を変える魔物にはかすりもしない。
魔物側もゼノアを攻撃しようとするが、大鎌が振るわれる速度よりも双刀が閃く速度の方が速く、瞬間移動というアドバンテージを持ってしても回避に専念するしかなくなっていた。
当然、法力球を撃つ暇など皆無。
謂わば、どちらも相手に触れられぬ舞を踊っているようなもの。
そんな最中――ジェルミ家の玄関が内側から、開かれた。
ゼノアが一瞬そちらに意識を奪われた隙を、
「あっ!? バカ、来るなッ!!」
この狡猾な魔物が逃す訳も無い。
「……えっ?」
扉から一歩出て固まるフィーに向けて、赤黒い法力球が放たれた。
ゼノアの現在位置は、魔物を挟んでジェルミ家の反対側。
魔物の妨害も予想されるが、それ以前にかなりの距離があるし、今から駆け出しても法力球の着弾には間に合わない。
予期せぬ攻撃に、目を見開いたまま動けないフィー。
時間にして一秒にも満たぬ刹那、赤黒く禍々しい球体が自身に迫りくるのを、ただ見つめ続けて。
「……っ!!」
先程ゼノアを襲った爆発が、今度はフィーに降りかかる。
それに背を向け、表情の無い青白い顔を、僅かに嘲笑うように歪ませる魔物。
「……この野郎ッ!!」
激昂して吼えるゼノアは、何の捻りも無く真っ直ぐに、正面から魔物へと突撃した。
瞬時に距離を詰め、黒刀が振り降ろされる。
魔物は瞬間移動にて回避。
空を斬る黒刀。
ゼノアの背後に現れた魔物は、既に大鎌を振りかぶっていた。
それが、振り降ろされる。
――刹那、ゼノアの口元が歪み、嗤う。
声無き驚愕が、魔物の動きを止めた。
何故ならば、魔物の胸元から【ゼノアの手にあったはずの黒刀が生えていた】から。
「ゼノアっ!?」
焦燥に駆られた甲高い声が届いた。
ジェルミ家の玄関前にいたフィーは、背後の家屋共々無傷で。
フィーの眼前には、背後を守るように【白刀】が空中に佇んでいた。
無手に戻ったゼノアは、刀を振り切った姿勢からゆっくりと余裕を持って背後へ向き直り、未だ黒刀の力に抗おうと身を震わせる魔物を見据えて、冗談でも披露するように、おどけて言葉を紡ぐ。
「何を驚いている? オマエの力と同じだろ?」
双刀がゼノアの手元を離れ、遠く別の場所にある理由――それは、先程から魔物が惜しげもなく披露していた、瞬間移動の力。
転移ではない。
光速を超える速さで、霊子と幽子を移動させていただけ。
物体の限界速度は光速である。
しかし幽体と霊体は、光子よりも遥かに小さな極微粒子で構成されており、理論上光速を超えることが可能なのだ。
魔物は幽霊体であり、肉体の制限が無い為に超光速の瞬間移動ができた。
それを【天征眼】で看破して更には習得までしたゼノアは、フィーを救う為に白刀を使い、魔物を倒す為に黒刀を使ったという訳である。
魔物が相手の背後に瞬間移動したがる癖も戦いの中で分かっていたし、後は此方が隙を見せるだけで簡単に釣れるだろうと予想しての策であった。
――しかしこれだけでは不十分。
魔物に再度瞬間移動されれば、如何に一撃入れられたとしても、それだけで倒し切ることはできない。
それ故にゼノアは、
「んで、ソイツはこっちの力だ。どうよ? お得意の瞬間移動、できるか?」
黒刀の固有能力で、魔物の動きを封じている。
黒は陰を表す。
陰とは閉じる力。
ネジは右回しで閉まる効果があるが、それは法力の根源粒子が右方向の回転で収束力を発揮する事に由来する。
だから右手に黒刀なのであり、その収束・圧縮・閉鎖力によって逃げたくても逃げ出せないのだ。
自由自在に動き回れるはずの幽体と霊体が、まるでその場に縛りつけられたかの如く。
「ねぇ、これって……どう、なってるの?」
動けない魔物と余裕を見せるゼノアの様子を伺いながら、フィーが恐る恐る駆け寄ってきた。
ゼノアは魔物の方を注視し、フィーに背を向けたまま答える。
「黒刀の固有能力で縛ってるのさ。しかしいいタイミングだな、フィー」
「え? 何が?」
「コイツのこと、浄化できるか?」
「じょ、浄化!? この魔物を、僕が!? いやぁ、多分……無理かなぁ」
頬を引きつらせながら思案したフィーは、彼我の実力差を鑑みて、そう結論付けた。
「だ、だってコイツ、死神じゃないの? 物凄い法力を感じるんだけど……」
自分の両肩を抱くフィーが身を震わせたのは、恐らく物理的な寒さのせいだけではない。
縛られていて尚、周囲に垂れ流される絶対的な威圧感と、その場にいるだけで氷点下まで気温を下げてしまうほどの法力量。
それだけでも、並の魔物ではない。
フィーが今まで遭遇してきたどんな魔物よりも遥かに強大で、凶悪だった。
「いや、死神なんかじゃない。コイツは、修羅道に堕ちた――ヒトの成れの果てだ」
修羅道とは、地獄の階層の一つ。
生前、争い事ばかりしていた者たちが放り込まれる場所である。
「修羅道って何? これがヒト!? う、ウソでしょ……なんでそんなこと分かるの!?」
「俺の眼は、知りたいことを教えてくれるらしいんでね」
「眼が、教えてくれる? 余計に意味が分からないよ……」
「要するに、【視たモノに対して神示鑑定が行える】ってことだ。……これ、他のヤツには内緒にしといてくれよ?」
人差し指を口元に立てて、肩越しに振り返るゼノアは、悪戯な笑みを浮かべていて。
「内緒にって……良いけど、変な事に使わないでよ?」
「はっはっはー。善処する」
「不安だなぁ……ってちょっと待って。まさか僕の事も、神示鑑定済だったりするの?」
「まぁそれはさて置き……コイツをどうするか」
急に話を逸したゼノアは視線さえもフィーから逸し、魔物へと不自然にぎこちない動作で向き直る。
今しがたフィーに視線を合わせたばかりなのに。
「いやいやいや、勝手に置かないでくれるかな!? あれ、ゼノアって、しかも透視もできたよね? まさか僕の服の中まで視てたりしないよね? ね!?」
「お、おいおい。まさかそんな事する訳なぁ~いじゃないかぁ? 何をそんなに取り乱しているのかねぇ?」
「ゼノアこそ、どうしてそんなに動揺しているのかなぁ? 急に口調が変わったのはどうしてなんだろうねぇ? ……うふふふふ。まさか、僕の特殊能力をお忘れではないよね?」
口元だけは笑っているのだが、ジト目で詰め寄ってくるフィーの圧力たるや凄まじく。
ゼノアは脂汗を浮かべながら視線を彷徨わせ逃げようとするが、何故かガッチリと襟首を固定されていて顔ごとフィーに向けられてしまう。
その背後では、フィーに死神と称された魔物が、その手に持つ大鎌を少しずつ動かしていて。
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