第26話 バハラナ(Bahala na)

 前略

 賀茂課長にはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 最近,若くてスタイル抜群のフィリピーナをデートに誘ったところ,ラブとゴッドというフィリピンスタイルに賛同するかと問い詰められたので,スタコラサッサと逃げ出しました。

 そのフィリピーナのゴッドに対する信仰は異常としか思えません。宗教ないし信仰はそれを無批判に受け容れてこそ意味をもつのだとは「理解」していますが,私にはとても「賛同」できないからです。フィリピンスタイルの研究が終了したら,いつかは宗教それ自体を研究してみたいと思っています。

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 フィリピーナのゴッドに対する信仰は,何もクリスマスなどのフェスティバルとのときにだけ現れるものではありません。日曜日に礼拝に行くこと(日曜礼拝)は当然として(その後はジョリビーに行きます。),田舎では毎日夕方になると教会に赴く信者が多くいます。カトリックがフィリピーナの精神基盤となっていることは,「ゴッド(上)(下)」でご報告したとおりです。

 私がデートに誘った23歳のフィリピーナは,4人姉妹の3番目です。両親は既に他界しています。2番目と4番目はシングルマザーで,1番目は離婚間近だそうです。23歳のフィリピーナには子供はおらず,シングルマザーの姉妹(それぞれ1人ずつベイビーがいるそうです。)と3人(プラスベイビー2人)で暮らしているそうです。彼女はマッサージセラピストの学校を卒業したものの,マッサージ嬢として生活が成り立つわけではないため,KTV嬢をしていますが,長時間労働の割には十分な収入を得ることができないので近々辞めるそうです。その後何をするかは決めていないそうです。あっ!私がKTVに行ったことを自白してしまいました。

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 カトリックの教えの中でも最もフィリピーナに大きな影響を与えている思想が「バハラナ」(bahala na)症候群です。

 バハラナというタガログ語の語源は,スペイン語の「ケセラセラ」です。日本語に訳すとすれば,「仕方ない。」「何とかなるさ。」「明日は明日の風が吹く。」といったところでしょうが,フィリピンスタイルに従って訳せば,「ゴッドが何とかしてくれる。」という神頼みの呪文ということになります。

 フィリピーナは,抜け出せない貧困生活を強いられたり,自分ではどうにもできない不幸や悲劇に見舞われたとき,必ずと言ってよいほど「バハラナ」と口にします。

 「バハラナ」は,どんなに辛くてもゴッドがなんとかしてくれる,という希望の言葉でもあり,「こうなったのは自分のせいではない。すべては神の思し召し,ゴッドが与えた試練なのだという諦めの言葉でもあります。これはイスラム教の世界における「アッラーの思し召し」と同じでしょう。

 「バハラナ」の思想には良い面と悪い面があります。

 良い面としては,フィリピーナをたくましいまでの楽天家に育てたことです。どんなに辛い目にあっても,どんなに貧困であっても,フィリピーナは希望を捨てません。「雨にも負けず,雪にも負けず,夏の暑さにも負けぬ・・・」です。

 ファミリーやボーイフレンドからのラブを感じ,今という瞬間を楽しみ,ハッピーを感じることを至上命題とし,常に陽気さを保ちます。フィピーナに共通する底抜けの陽気さは,踏まれても踏まれても太陽を向いて伸びようとする雑草のようなバイタリティを感じ,とても魅力的です。日本のズケベオヤジがフィリピーナにハマるのもそのためでしょう。

 「バハラナ」がフィリピーナたちを救っていることは,フィリピンの自殺率の低さにも表れています。2015年に行われた世界保健機関による自殺率の国別比較において,フィリピンは10万人中2.9人にすぎず,170カ国中の150位でした。日本は10万人中18.5人で17位です。

 日本とフィリピンにおける自殺率の差を宗教だけに求めることはできませんが,少なくともフィリピンでは,自殺を堅く禁じているカトリックの教えと「バハラナ」の思想(それもカトリックの思想ではありますが。)とが相まって,世界でも極めて自殺率の低い国になっていることはたしかです。

 一方悪い面として,「バハラナ」思想は自らのマインドを変え,努力をして人生を変えようとする計画性をフィリピーナから奪いました。ファミリーとラブさえあれば,あとはゴッドがなんとかしてくれるという思いが強すぎるため,他文化を理解しようとしたり,貧困を抜け出すため自分で将来設計をたてたり,慎重に物事を考えて行動することなどは,フィリピーナたちの大半が苦手です。

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 KTVでは,給料の支払日が月に2回あります。これは全ての職種においてです。

なぜ給料を2回に分けて支給しているのおわかりでしょうか。別に雇用主に支払うお金がないから2回に分けているわけではありません。

 2回に分けて支給しないと,ほとんどのフィリピーナは生活できなくなるからです。フィリピーナたちは,お金が手元にあれば後先考えずにすべて使い切ってしまうのです。江戸っ子の「宵越しの金は持たない」気質です。将来のために貯蓄をするという考え方自体が,フィリピンでは一般的ではありません。明日のことを考えず,今手元にあればきれいに使い切ってしまうのがフィリピンスタイルです。

 月に2回給料日があると,使い切った頃に給料が支給されるため,なんとか生活が成り立つのです。将来に備えて貯蓄することが当たり前の日本人からは,フィリピーナのこうした無計画生は危なく見えます。

 しかし,それが必ずしも悪いことだとも言えない面があります。フィリピン経済を支えているのは,フィリピーナによる大量の消費だからです。消費が増えるほど経済は発展するというのもまた真実です。

 現在の日本は内需の落ち込みで苦しんでいます。日本人の大多数はお金をもっているにもかかわらず将来に備えて消費しないため,国内の経済は冷え込んだまま,デフレを脱却しません。

 経済学者の多くは,日本人が活発に消費するようになれば国内経済はたちまち活気を取り戻し,長引くデフレからも抜け出せると予測しています。もし日本人がフィリピーナのように消費活動に励むようになれば,日銀のインフレ率2%目標などたちどころに実現できるでしょう。その意味では,ピンパブに通うオヤジたちは日銀の目標達成に貢献していると言えるでしょう。

 このように,カトリック信仰から生まれた「バハラナ」思想は、フィリピーナに対し功罪両面をもたらしています。

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 バハラナの思想が,単にフィリピーナのカトリック信仰への傾倒の結果にすぎないと断言することもできません。

 300年を超える植民地支配の中で,宗主国スペインの自称宣教師たちに奴隷同然の暮らしを強いられ,自分でどれだけ努力しても貧困から抜け出せなかったという過去ないし歴史が,フィリピーナに「バハラナ」の種を植え付けたのです。フィリピンを支配する無抵抗の400年史が「バハラナ」症候群を育み実となったといえるでしょう。激しい貧困にさらされる悲劇の中,「バハラナ」と唱えてすべてを神に委ねることは,フィリピーナにとっての最後の救いだったのです。

 日本の歴史でいえば,鎌倉仏教に似ています。その先駆けとなったのが浄土宗です。浄土宗では「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで阿弥陀如来が極楽浄土へと導いてくれます。餓死者が溢れ,この夜での幸せが望めない世に,経典も読めず,修行する時間もない庶民に広く受け入れられました。

 フィリピーナにとっては,「バハラナ」と唱えるだけで,現状が慰められ,いずれはゴッドが天国へと導いてくれるのでしょう。私にもそのような魔法の呪文がほしいと思う今日この頃です。


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