第11話 エンジェルハートの高利貸し

 浮利ふり飛伊乃ぴいのは,千葉県市川市で,月一つきいち(月1割の利息)の貸金業をしている。

 不良に憧れ暴走族の特攻隊長にまで昇進したものの,少年院送致と同時に高校を退学となったため,退院後は極道となった。覚せい剤取締法違反,恐喝,傷害等前科7犯。フィリピンクラブで知り合ったフィリピーナとの離婚歴あり。

 40歳のとき,組の金庫から金を盗み,フィリピンに逃亡することによって、極道の世界と自主的に絶縁した。帰国後,知り合いを頼って千葉市に移り住んだ。ヤミ金業の経験を生かし,今では,事務所を構え,月一という温情的な金利で,浮利を追い求めている。

 「浮利に惑わず」とはどこかのバンカーの言だが,ピーノは,惑わず浮利を求める。そんなピーノを世間では,「高利貸し」だとか「金貸し」などと呼んでバカしているが,そんなことなど承知の助兵だ。ついでに,死ぬまで広島弁を貫こうと決心している。おかげで毎日夜の取り立てが終わると,キャバクラやフィリピンパブ通いをすることができる。今日はキャバクラからスタートした。

     ***** 

 「さっすがー」

 「知らなかったあ」

 「スゴーイ」

 「センスいいですねえ」

 「そうなんだー」

 今日は取立のため,総武線の市川駅まで出張る羽目になった。取立後,目についたキャバクラに入った。いつも二人の女を指名することにしている。

 「マジマジ?」

 「それってヤバくない?」

 「だよね」

 ピーノはふと気づいた。こいつら,日本語のボキャブラリーは二桁もないのかと。キャバクラならどこに行っても,こちらが何を話しても,返ってくる言葉は,「さしすせそ」,キャバ嬢同士が話すときはお決まりのごとく「マジヤバ」と「だよね」。時に,「カワイイ」って単語が聞こえるだけだ。

 ピーノは,急に興ざめし,会計を済まして店を出た。ふと腕時計を見ると,午後9時になろうとしていた。一人暮らしの部屋に帰宅するにはまだ早い時間だ。どこかにピンパブはないかと辺りを伺いならピーノは繁華街をうろついた。ピーノは,世間で呼ぶところのフィリピンパブとかフィリピンクラブをピンパブと呼び,フィリピーナをピーナと呼ぶピンパプ通である。他方,ピーノは,極道時代はポン中と呼ばれ,今ではピン中と呼ばれている。

 ピーノは,総合格闘技家として,北斗三兄弟のケンシロウに憧れており,自分は愛に生きる男になると堅い決意を抱いている。

     *****

 ピーノの行く手に「モンテン・ルパ」と赤いネオンが光っている。ピーノは知っていた。「モンテン・ルパ」とは,フィリピンの首都マニラにある刑務所の名前であることを。それは,ピーノが刑務所通だからではなく,大東亜戦争に興味があり,終戦記念日には毎年靖国神社に参拝して英霊に黙祷するなど,戦中戦後における戦争史に詳しかったからだ。

 ピーノは,心の中でつぶやいた。「ほー。モンテン・ルパとはおつな名前じゃのう。まるでムショ通いを極めたわしを呼び寄せとるようじゃ。よし,ここに入ってみるか。」と。

 店内に入ると,元不良の臭いがする若いボーイが「お一人様ですか」と聞いてくる。ピーノは,「見りゃあわかろうが。二人いるように見えるか。わしゃあ,リュウケン(「北斗の拳」北斗三兄弟の父がリュウケン)じやねえから,七星点心(リュウケンの秘技である分身の術)なんか使えんわ。」と真剣に答える。ボーイは顔を引きつらせながら,ピーノを席に案内した。

 「ご指名おありですか。」とボーイが聞いてくる。「ショーアップ」とぶっきらぼうにピーノが答える。ボーイは,「は?」と怪訝な表情をして一瞬無言となる。ピーノが「空いてるコ全員並ばせりゃあええんじゃ。そん中から指名する。」と言うと,ボーイは,再び沈黙した。

「ショーアップってのは,ピーナを並ばせることじゃ。オバん以外で指名の入ってないコを呼んでくれりゃあええんじゃ。」と言うと,ボーイは,「かしこまりました。」と顔を痙攣されながら去って行った。ピーノは,その後ろ姿に向かって,「かしこまってもないくせにええ加減なことを言いやがって。」とボーイの背中にガン(眼)を飛ばした。その背中の横のボックスがピーノの視線に入った。50過ぎのサラリーマン風のオヤジの横にガマガエルのようなオバさんピーナが座っている。

 「このバンパブは期待できんか。」と思っていると、ピーナたちが足取りも重く,ぞろぞろとやって来た。合計4人だ。ピーノはその中から二人を指差して指名した。ピーノがいつも二人を指名するのは,それがお気に入りのコを口説き落とすために有効だからだ。本命のコとそのコに対する当て馬を指名し,同伴にしても何にしても2人を競わせることによって,本命のコから自分への関心を引き出すという戦術だ。

 本命のピーナはローズ,当て馬のピーナはアイリッシュと名乗った。ローズという源氏名はそのルックスに似合う華やかな名前だ。期待に反してピーノは満足し。ローズが横に座るや否や自らドリンクをすすめた。もう一人の腹のたるんだピーナが「ワタシもイーですか。」というので、ピーノは渋々OKと答えたが、「お前なんかが、一杯1000円もするドリンクをオーダーすると原価率3%そのままになってしまうわ。」と心の中でつぶやいた。

      *****

 ピーノは考えていた。30年前のバブルの頃はワシ好みのピーナが多かったものの,ここ20年はジャパゆきさんのレベルが明らかに落ちている。その原因はいくつかあるだろう。

 一つは店舗側がピーナを雇うだけの賃金を払えないからだ。ピーナの手取りは400〜500ドルであるが,店側が現実に負担するのは約30万円だ。ダンサー,シンガーという専門職として来日するという建前であるから,それくらいの給料を払わなければビザが発給されない。そこから源泉徴収がなされ,社会保険料が控除される。そこから現地のエージェント,マネージャー,日本側のプロモーター,仲介人などにカスリがとられ,ピーナの手取りが4万円から5万円になるというわけだ。土建屋も真似できない激しい中抜き合戦場だ。

 もう一つの理由としては,マニラにおけるKTVの乱立状態だろう。KTVとは,カラオケテレビの略称であるが,要するにキャバクラだ。マニラの新都心マカティや旧都心マラテには至るところにKTVがあり,無数のピーナが働いている。ピーナたちは日当制で雇われており,その額は大衆店で300ペソ(約600円)ないし400ペソ(約800円)だ。あとは,同伴,ドリンク,ボトル,指名などのバックによる出来高制だ。勤務時間は,午後7時から午前3時まで。客は90分飲み放題で500ペソ(約1000円),指名料,レディースドリンクはそれぞれ350ペソ(約700円)。大衆店で働くピーナの平均月収は2万ペソ(4万円)。高級店のピーナであれば日当1500ペソ(3000円)だ。高級店のナンバーワンともなると月収は15万ペソ(約30万円)になる。物価の違いを考えると,日本なら約150万円だ。要するに,現在のピーナにとっては,わざわざじゃゆきさんとなる金銭的動機がないということだ。若くてルックスがよいなら,マニラのKTVで働けば,日本で働くよりも稼げるということである。

 もう一つ挙げるとすれば,チップだ。バブルのころであれば,ジャパゆきさんのピーナたちは高額のチップをもらうことができたが,今はチップを払う日本人はいない。ところが,マニラのKTVなら,メインの客である中国人,韓国人は,500ペソ(約1000円),時には1000ペソ(約2000円)のチップを払うのが普通だ。日本語をしゃべる必要もない。

      *****

 ピーノは,刑務所通であるとともに,フィリピン通だ。若い頃からいわゆる追っかとしてフィリピンを訪れた回数は数知れない。最初は,フィリピンを「通る」だけ,次第に「通い」,今では「通」だ。タガログ語も英語もそれなりにできる。

 ピーノは,フィリピンパブではなるべく英語でしゃべる。ピンパブの客であるオヤジのほとんどが英語をしゃべれないので,英語で話すと,まだ水商売歴が浅く日本語をうまく話せないピーナに好印象をもってもらえる。ジャパゆきさんのベテランになると日本語はペラペラだが,ピーノは,そういう玄人には興味がない。ウィンブルドンでもオリンピックでも元来はアマチュアの大会であり,プロは参加資格がなかった。ピーノは,自分の人生に関与できるピーナはアマチュアだけで,プロの参加は禁止している。

 ローズは25歳。年齢よりも若くい見えるし,水商売ズレしていない。まさしくピーノの好みのピーナだ。ローズは,シンガーでもダンサーでのなく,親族訪問ビザで滞在しているという。離婚歴はなく子供のいないという。19歳のときに,その姉が日本人と結婚して来日したため,以後6年間,マニラに帰るのは年に1回程度で,普段は,ホテルのベッドメイキング,金曜日と土曜日だけ午後7時から12時まで「モンテンルパ」で働いているという。時給は2000円。不法就労ではあるが,この手のアルバイトに対して入管の取り締まりはなく,日本全国,このタイプのピーナが数え切れないほどピンパブで働いていることをピーノは知っていた。

 ローズは,マニラのケソンシティ出身で,現地に50歳代前半の両親が二人で暮らしている。離婚していないということだ。ローズとローズの姉の仕送りで悠々自適の生活をしているらしい。それもフィリピンスタイルだ。フィリピンでは,親が養った子供は,成人(フィリピンの成人年齢は18歳である。)すると親を養うのが当然であり、それはファミリーの常識だ。ローズは,毎月両親に5万円の仕送りをしている。それはローズにとって苦痛などではなく,両親に対する愛(ラブ)の表現であって,喜びなのだ。

 フィリピンスタイル・・・。ピーノは独り言のようにつぶやいた。何度驚かされたことだろう。ピーノは,続けて「ファミリー」「ラブ」「ヘルプ」「ゴッド」とつぶやく。ローズが怪訝そうな表情をする。ローズは,ピーノがそれまでに出会ったピーナの中ではピカイチのかわいこちゃんである。しかし,このときのピーノは,なぜかローズに対する関心よりも,ハイボールに酔わされていく自分を自覚することしかできなかった。

 いんじゃなーい/マニラいんじゃなーい♪

 ピーノの気づかないうち,ローズを含むピーナ全員がステージで音楽に合わせてダンスを始めていた。ショータイムというやつだ。ステージを見つめるピーノは窓外を見つめる自分を思い出した。


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