私のトラブルメイカー

白湊ユキ

その1


 年度の半ばにして急遽退職が決まった遠藤さんの送別会が開催されたのは、少し肌寒い秋の夜のことだった。


「えー、では——不肖この晴海和希が。遠藤さんの門出を祝って。かんぱーい」


「「「かんぱーい!」」」


 私の音頭に三人の唱和が続く。

 それぞれが手にしたグラスを合わせ、部屋の中に小気味の良い音を響かせる。

 会場である私の——正確には、私と雨宮の——自宅に集まったのは四人。その全員が、同じ職場に同じ年に入社した同期だ。

 クリーム色のカーペットを敷いたリビングの床に座り、私たちは酒を酌み交わしつつ談笑する。

 部屋の中央にある四角いテーブルを挟んで私の向かいが今日の主役、遠藤さん。太いストライプのワイシャツをラフに着こなす、スマートな感じの伊達男で、赤いフレームの眼鏡がトレードマークだ。彼から時計回りに、大平さん、雨宮、私の順に、コの字を作って座っている。


「半年ぶりに集まったと思ったら、長老の卒業式なんてな。晴海から聞いたときは驚いたぜ」


 そう言いながら坊主頭をぽりぽり掻く大平さんに、雨宮が愛嬌のある膨れっ面で同意する。


「ねー。あたしもびっくりしちゃった」


「まぁまぁ二人とも。今日は久しぶりの同期会も兼ねてるんだし、楽しく騒ぎましょうよ。遠藤さんを質問攻めにするのは、もう少し後で」


「げ、やっぱりそういうのある?」


「当然です。私だって総務として知り得ることしか、知らないですもん」


「勘弁してくれ……」


 遠藤さんは大げさに頭を抱えて見せる。


「晴海が一番ひどーい」


 雨宮が肩を竦めると、頭の後ろで巻いた明るい茶髪の毛先も揺れる。その鈴を転がすような声に、私たち三人の笑い声が重なった。


 雨宮は、ぱっちりとした二重と整った顔立ちをした、どちらかと言えば可愛いという表現の似合う美人だ。

 見た目の印象通りと言うか、服装はフェミニンなものを好む。今も白いレースのブラウスに濃いブラウンのフレアスカートと、実にほわほわした感じだ。足を崩して座ると、長いスカートの裾が広がって、なんだかお嬢様っぽい雰囲気を醸し出している。今朝一緒に家を出たときとは違う格好だ。仕事を上がってから全員が集まるまでの間に、速攻で着替えたらしい。

 ……さりげなく化粧も直しているという念の入れっぷりには呆れるけど。

 仕事着である襟の高いシャツのまま、正座でビールをぐい飲みする私とは雲泥の差である。

 その雨宮は、私の隣でカシスオレンジをちびちび飲んでいる。時折、綺麗に切り揃えられた前髪をいじる仕草も絵になる、が——。なんだか今日は大人しい。


 テーブルの上には、ピザとか唐揚げとか柿ピーとか、定番のおつまみが所狭しと並べられている。

 宴会の食事って、どうしてこう全体的に茶色くなっちゃうんだろう。別に嫌いなわけじゃないけど、なんか視覚的に寂しい。何の気なしにぼやいてみたら、雨宮がサーモンとアボカドのお手製サラダを用意してくれた。

 それはテーブルの中央。あたかも砂漠のオアシスが如く、一際豊かな彩りを放っている。しかも文句なく美味しいので、ついつい箸が伸びてしまう。ほんのり山葵が効いた和風ドレッシングに、アボカドの果肉が口の中でとろけて、何とも幸せな旋律を奏でる。うーん、さすが雨宮。


「にしても、八雲は残念だったな。あいつが一番働かされてるのに。よくやってるよ、実際」


 遠藤さんがぼやく。

 私たちの同期にはもう一人、八雲という男がいる。今ここにいないのは、仕事で遅れてくるためだ。私たち内勤組と違って、営業部の彼は客先に出向く案件が多い。定時ぴったりに電話を掛けてきて、「悪い」と言葉少なに伝えてきた彼と、「うちの業界も激務だし、しゃーないよね」「しゃーないな」なんて言い合って笑った。


「ま、後で来るっていってたし。遠慮なく飲んどくべ」


 大平さんはそう言いながら、遠藤さんの持つ空っぽのグラスに缶ビールを注ぐ。


「悪いね。————っと」


 グラスの縁から溢れそうになった泡を啜る遠藤さん。


「ほら、おひげついちゃってる」


 雨宮がティッシュペーパーをつまみ、彼の鼻の下に付いた泡を拭う。さりげなく、それでいて無駄のない機敏な所作に脱帽する。テーブル越しだというのに。実に器用なものである。


「ああ————、ありがとう——」


 遠藤さんは眼鏡の向こう側で目を逸らしがちに言った。その仕草がなんだかぎこちない。

 それだけなら微笑ましい一コマで済むんだけど。遠藤さんの方を見る大平さんの視線が尖ったのにも、気が付いてしまう。

 気が滅入る。なんでどこに行っても、彼女の一挙一動は空気を重くするんだ。皆様の胸焦がすお気持ちは尊重したいけど、何もこんな狭い社内でなくても良いじゃないか。ちょっとは私の苦労も考えてほしい。差し当たって、この会の主催者としては、大平さんに大人の対応を要求する。——喧嘩。ダメ、絶対。


「うーん……」


「どうしたの?」


 どうにか皆の気を紛らわす方法がないか。眉間に手を当てて一人唸っていると、雨宮が顔を寄せてきた。——こいつ、涼しい顔しおって……。


「別に何でもない。ちょっと目が疲れてるのかな」


「大丈夫? 部屋でちょっと休む?」


 意外にも本気で心配してくる雨宮。でも悪いけど、その申し出はお断りだ。

 この三人だけを残したらどうなるか——。そっちのほうが気がかりで休めるわけがない。




 ————決めた。ちょっと早いがアレを出そう。


 台風の目で素知らぬ顔を決め込んでいる雨宮を、肘で小突く。私の意図を即座に察した彼女は、テーブルの下に隠していた縦に長い化粧箱を取り上げる。


「じゃじゃーん。晴海とあたしから、遠藤君にプレゼントです」


「遠藤さん、これからも頑張ってください」


「え、何? 嬉しいな」


「いよ! 長老!」


 大平さんも乗ってきて場を盛り上げてくれる。

 ちなみに『長老』とは、私たち同期組で最年長の遠藤さんに敬意を表して付けられたあだ名である。


「さあさあ。開けてみてくださいよ」


 雨宮から遠藤さんに進呈された箱の中身は、茶色の一升瓶。


「——青日じゃないか」


 赤い眼鏡のフレームを持ち上げつつ、遠藤さんが嬉しそうな声を漏らす。

 青日の純米大吟醸。日本酒好きの彼のために、雨宮の実家が営む酒蔵から取り寄せた、知る人ぞ知る地酒である。『青日』で『アオキヒ』と読む。


「ありがとう。——そうだな、折角だから俺たち皆で飲もう」


「まじ? さすが遠藤さん、太っ腹」


 青日は私も大好きだ。大平さんのテンションもうなぎ上りの模様だし——ナイス、遠藤さん。


「おい雨宮ー! 長老はお猪口をご所望だぞ」


「ええー、あたし!?」


「何言ってんの。ここ雨宮んちじゃねーか」


「晴海の家でもあるんですけどぉ。ねえ」


 確かにそれはそうなんだけど。できればこっちを見ないでほしい。

 私をじーっと見つめる雨宮と、これ見よがしにあさっての方を向いた私との無言の持久戦は、いつも通り雨宮が制した。


「はいはい、私が取ってくるよ。あんたも飲むでしょ?」


「あたしはこれで十分だよー」


 彼女の手元のグラスには、一杯目のカシオレが半分近く残っている。

 こいつは————。私の倍は平気で飲めるザルのくせに。こういう時は『飲めない女子』になるんだから始末が悪い。

 私は横目で雨宮を睨んでやってから、席を立って隣のキッチンに向かった。




   ***続く***

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